第18話 線引(2)
その後も、大成功を収めた『事故物件』を再現した二組の生徒たちが、グループ単位で代わる代わる瑞樹のVIPソファの元を訪れては、熱烈にお礼を言ってきた。
「あの視線誘導のアイデア、マジで神でした!」「お客さん、腰抜かしてた!」と興奮気味に語る彼らの相手をして、気付けば一時間以上そうやって過ごしていた。
大音量で流れるカラオケの重低音と、高校生たちの底なしの熱気。
普段から静かな環境を好む瑞樹は、さすがに極度の気疲れをしてしまい、お礼タイムの波がようやく途切れたのを見越して、一度部屋の外の静かな廊下へ避難しようと立ち上がった。
そんな時。瑞樹の視界の端、チカチカと回るミラーボールの光が届かない部屋の隅っこで、ジュースのグラスを両手で持ち、一人ポツンと寂しそうに座っている六花を見つけた。
遊に誘われてこの打ち上げに来ていると聞いていたが、六花のクラスである三組の生徒は、ここには遊しかいない。その遊も、今は大画面の前で男子たちと肩を組んで歌っている。
つまり、彼女の見知った友達は一人も来ていない可能性が高かった。
なんとなく、その小さな背中から漂う寂しそうな雰囲気が気になって、余計なお世話かとは思ったが、瑞樹は無意識に彼女の元へと足を運んでいた。
「……お疲れ」
暗がりの中で瑞樹が声を掛けると、六花はビクッと驚いて顔を見上げ、声の主が瑞樹だとわかって少しだけ安心したように緊張の糸を解いて頬を緩めた。
「あ……お疲れ、王様」
「やっぱり、あっちからはそういう風に見えてたのね?」
瑞樹は苦笑いして、六花の隣の空いたスペースにドカッと腰を掛けた。
「みんなより一段高い大きなソファに座って、代わる代わる謁見を受けてたら、そりゃあね?」
周囲の歌声と手拍子が大きすぎて、声がよく聞こえない。瑞樹が自然な動作で六花の方へと体を少しだけ寄せると、六花はビクッと肩を跳ねさせ、体を強張らせた。
「あ、ごめん。周りの音がうるさくて、少し聞こえにくくて」
――しまった、と瑞樹は内心で猛省する。
結衣との異常に近い距離感に慣れすぎてしまい、瑞樹も無自覚に他人との物理的な距離を詰めすぎてしまっていたのだ。
相手が結衣だからあのゼロ距離でも許されている——いやむしろ向こうから近づいてくるのであって、普通はこの距離感を同級生の女の子は警戒して怖がるものなのだ。
「ううん、大丈夫。……私を構いに来てくれたんだよね?」
「まあ、そうだな。知ってる人がいなくて、退屈してるのかなーって思って」
「……うん、いないねー。天音くんがクラスメイトだけど、彼も今は忙しそうだし。それ以外は、名前も知らない絡んだことない子ばっかり。……そろそろコソッと帰ろっかなって思ってたんだ」
六花は気まずそうに寂しく笑うと、ショートボブの髪を指先で梳き、耳に掛けた。
「あれ。……髪、切ったんだ?」
瑞樹が何気なくそう訊ねると、六花は素早く、弾かれたように瑞樹に視線を向けた。そして、どういうわけかその瞳がウルウルと揺らぎ始め、みるみるうちに涙が込み上げてきたのだ。
「えっ? ちょっ……」
「……気付くよね? 普通、分かるよね……?」
「いや、わかるだろ。……てか、な、泣いてる!?」
六花は、大粒の涙をポロポロとこぼしながら、堰を切ったように怒り口調で話し始めた。
「学祭の前の日にね、思い切って美容室で短くしたの! 私の彼氏が『短い髪の子が好き』っていうから、サプライズも兼ねて、学祭で一番可愛い私を披露しようと思って!」
六花は、手の甲で雑に涙を拭いながら、悔しそうに続けた。
「でも、結局学祭二日目になっても、彼は全然気付いてくれなくて……! 私、我慢できなくて自分から言ったの。『短いの好きって言ったから、切ってきたのに』って。……そしたら、アイツなんて言ったと思う? 『あー、全然気付かなかった。てか、俺そんなこと言ったっけ? まぁ似合ってるんじゃない』だよ!? 信じらんない!!」
「うわぁぁん!」と、声を上げて泣き出してしまう六花。
幸いにも、周りの音楽のボリュームが大き過ぎて、部屋の隅で六花が泣いているのには誰も気付いていなかった。しかし、この状況を端から見れば、完全に瑞樹が女の子を泣かせているという最悪の構図だったため、瑞樹としては音と暗闇に助けられた形だ。
しかし。
それにしても、六花の彼氏とやらは無神経で酷い奴だ。
「……もう別れろよ、そんな彼氏」
「えっ……?」
涙目で、驚いたように見つめてくる六花。
少し口出しし過ぎたかと思いつつも、しかし瑞樹は、自身の胸の奥にある本心を隠すことが出来なかった。
「六花が彼氏のことを想って可愛くなろうといろいろ頑張ってるのに。肝心のその彼氏は、六花自身に興味がないみたいじゃないか。……それじゃあ、健気に想い続ける六花の努力が報われない。そんな虚しい一方通行の恋愛なんて、するな」
そこまで一気に言い切って、やっぱり部外者が偉そうに言い過ぎたと、瑞樹はすぐに後悔した。
六花は驚いたように目を丸くし、自分のために本気で怒ってくれた瑞樹の真っ直ぐな瞳を、ただ呆然と見つめ返していた。
「……ごめん。事情も知らないのに、言い過ぎてるな、俺」
しかし、六花は怒るでも反発するでもなく。フッと、憑き物が落ちたように表情を和らげた。
「……やっぱり、優しいね。瑞樹くん。ふふっ」
六花は両手でしっかりと涙を拭って、スッキリとした顔で笑った。
「昨日、学祭の帰りに別れたんだ。私から振ってやったの」
「お、おお……。そうか」
「だからこの涙は、彼氏への未練じゃなくて、馬鹿みたいに尽くしてた自分への悔し涙。……変に気を使わせちゃって、私こそごめんね」
六花は、コトンと額を瑞樹の肩に軽く当ててきた。
「今日ここに来たのは、賑やかなところに行けば少しでも気晴らしになるかなって思って。……いやー、瑞樹くんと話せてよかったー。私が思ってたこと、瑞樹くんが真っ直ぐに言葉にして代弁してくれたから、結構スッキリしたよ」
「そっか。まあ……それならよかった」
想いが報われないことほど、虚しくて悲しいことはない。六花がどれだけ頑張って可愛くなっても、彼氏はそれに応えようとしていなかったのだ。
わかっている。
恋愛感情に疎い瑞樹でも、その虚しさは、痛いほどよくわかっているのだ。
今、六花に向けて発した『報われない一方通行の恋愛なんてするな』という言葉は、本当は健気に好意を向けてくれる朱音に対して、真っ先に言いたかった瑞樹自身の本音だ。
瑞樹は、他人にだって本音や正論を言えるのに、自分が傷つけてしまった朱音にだけは、それを直接言えないのだ。
だから瑞樹も、六花を通してその言葉を発したことで、どういうわけか少しだけ胸のつかえが取れてスッキリしていた。
「六花は普通に可愛いんだから。またすぐ、ちゃんと髪の毛や爪の変化に気づいてくれる良い人に出会えるよ」
瑞樹が、重くならないようにあえて軽い慰めの言葉を掛けると。六花はニヤッと小悪魔のように笑って、瑞樹の腕にギュッと抱きついてきた。
「えー? じゃあ私、瑞樹くんがいーなー。私のことちゃんと理解してくれるし、いろいろ気付いてくれるし」
「――なっ……!」
「ご存知の通り、私って一度好きになったら結構一途に愛すタイプだから。……どう?」
至近距離でニヤッと笑うこの表情を、瑞樹はよく知っている。結衣を筆頭に、今までシェアハウスで幼馴染たちから散々くらってきた表情だ。
六花も失恋の傷を隠して、冗談でイジってきているのだ。
だから瑞樹も、過剰に照れたりせず、適当にあしらうように返す。
「はい、ダメですー。残念ながら、俺には心に決めた好きな人がいるからねー」
「あー、やっぱり。そういえば学祭初日、すっごい可愛い子と廊下でイチャイチャしてたよね」
六花が口元に指を当てて、思い出しながらニヤニヤと話す。
やはり、見られていた。
そりゃそうだ。あんなにピッタリくっついて、一年生の教室前の廊下をドヤ顔で闊歩したのだから。
「好きな人ってことは……あの子、彼女じゃないの?」
「……そうだな」
――ただの友達。
この都合の良い設定の体を、守らなければいけない。
六花は心底驚いたように目をまん丸にし、サッと瑞樹の腕から離れた。
「えーっ!? あの距離感でカップルみたいにラブラブしておいて、カップルじゃないなんてことあるんだ……へー……。瑞樹くんって、意外と悪い男なんだね」
ジト目で胡散臭いものを見るように瑞樹を見る六花に、瑞樹は深いため息を吐いて答える。
「ひとを女ったらしのクズみたいな目で見るな。言っとくけど、くっついてくるのはいつだってあっちからだからな? ……それに、六花だって今の今まで、出会って数回の俺の腕にしっかりくっついてただろ」
「あ、それは『俺はモテるんだ!』っていう遠回しな自慢?」
「なんだ、ということは、俺は六花からもモテてるってことか?」
瑞樹がニヤッと笑って意地悪く切り返すと、六花がハッとして赤い顔でたじろいだ。
――勝った。
いつも最強の結衣を相手に、高度なニヤニヤレスバトルをしているおかげか。瑞樹のラブコメにおける基礎ステータスが格段に上がっているのかもしれない。
返答の速さ、的確さ、攻撃力。どれを取っても、今の切り返しは申し分なかった。
瑞樹が勝利を確信して勝ち誇った顔でいると、六花が不意に前屈みでスッと寄って来て、瑞樹の耳に直接口をくっつけるようにして、甘く囁いた。
「……ちょっとだけ、ね」
「――ひっ!」
首筋に息がかかり、慌てて飛び退いて六花の顔を見ると、六花はまたニヤニヤと笑みを浮かべて悪い顔をしていた。
(……どうしてこうも、俺の周りの女の子たちは、負けず嫌いで意地悪いのだろうか)
瑞樹は、自分の経験値の低さを痛感し、素直に負けを認めて両手を高々と挙げたのだった。




