第17話 余韻(4)
あいシてるHOUSE。通称『死家』。
一部のオタクたちの中で熱狂的な盛り上がりを見せ、第一話が三時間スペシャルという異例のスタートを切った深夜アニメだ。
瑞樹の好むホラーやサスペンス的な要素のあるジャンルだったこともあり、当然ながら全話欠かさず視聴した。最終話に至っては、結衣の家で一緒にリアタイまでしたほどの思い入れがある。
その『死家』の原作者が過去に書いたライトノベルが、この十月から新たにアニメ化する。
その情報を手に入れた二人は、毎週土曜日の深夜に、結衣の家に泊まり込みで一緒にリアタイしようと約束をして盛り上がっていた。その都度、瑞樹が夕飯を作ってあげるという、さながら通い妻的な甘い条件まで付いており、瑞樹としては「仕方ないな」と建前で口にしつつも、内心では週末を心から楽しみにしていたのだ。
しかし。その期待の新作アニメは、通常であれば先週の土曜日に第一話、そして今日第二話が放送される予定だったのだが。
どういうわけか、直前になって第一話から放送延期の告知が出されてしまった。
ネット上でのまことしやかな噂によると、原作の描写があまりにもグロテスクでエロ過ぎるため、全国放送するテレビアニメとしては倫理的に無理があったのではないかと言われている。
理由はどうあれ、アニメが放送されなくなったことで、瑞樹が毎週土曜日に結衣の家にお泊まりに行くという、最大の大義名分がなくなってしまったのだ。
「……まぁ、新作アニメのリアタイはなくなっちゃったけど。気にせず毎週末来るが良い、少年」
結衣の部屋の狭いシングルベッド。
二人で窮屈そうに横になりながら、瑞樹の心中の落胆を察した結衣が、偉そうな声色でそう言ってくれた。
「……いいのか? アニメがないなら、俺がここに来る正当な理由がないぞ」
「正直、もう理由なんていらないんじゃないかと」
結衣が毛布の中で体ごとこちらに向き直り、赤い顔で瑞樹の目を真っ直ぐに見つめる。
「……わ、わかった。来るよ」
可愛い。
少し吊り目気味の大きな茶色い瞳に、ぷっくりとした柔らかそうなほっぺ。
元々童顔なのも相まって、ふとした瞬間に、男なら誰でも守りたくなるような無防備な表情をよくする。
(……あれ、結衣って、こんなに可愛かっただろうか?)
瑞樹は、至近距離で結衣の顔を見つめながら、今更すぎる疑問を抱いた。
出会ってから半年間、何度も間近で見てきた顔のはずなのに、お互いの気持ちを確認し合った今日という日を境に、彼女のすべてのパーツが奇跡のような造形に見えてくる。
「……んー」
「え、何その、そこはかとなく失礼な視線。何か文句ある?」
結衣が、ジト目で瑞樹を睨んでくる。
「いや……結衣がこんなに可愛かったんだなって、改めて気付いて見惚れてただけだ」
「なによそれ。私は生まれた時からずっと可愛いですけど?」
「相変わらず自己評価が高いな、結衣は」
結衣が布団の中でゴソゴソと動き、瑞樹に正面からピッタリとくっついてくる。
吐息がかかるほどの近い距離で、結衣はジトっと瑞樹を見つめ上げた。
「周囲がもて囃すモデルさんみたいな美少女が、『私なんて全然可愛くないですよー』っての、よくテレビであるじゃん?」
「あるな」
「あれ、どう思う?」
「はいはい、謙遜乙って感じかな」
「じゃあ、『モテるでしょ?』って質問に、『いやいや、私なんて全然モテないですよー』って返すのも同じだよね」
「はいはい、嘘乙だな。完全に」
「でしょ。可愛い人が変にへりくだってそういう対応するのは、周りから見たらただの嫌味なんだよね。だから、女の子は正しく自分を見極めて、自分の市場価値や位置を正確に把握しておかないといけないの。……その自己分析の結果、私は世間一般では可愛い部類に入るって思ってるんだ」
その自己分析は、間違いではない。
結衣の容姿は、クラスや学校の大多数の男子が認めるであろうほど、客観的に見て十分に可愛いと思う。
「でも結衣。正直に『私、可愛いですけど?』なんて言ったら言ったで、『何あの子!』みたいな同性からの反感も買わないか?」
「あるねー。めっちゃあるある。でも、そーゆーこと言ってくる女の子は、自分がモテないことを他人のせいにするような、可哀想で悲しい生き物だと思うの。だから、そうやって勝手に僻んで絡んでくる人は、『あー頑張ってね』って感じで、何も気にならない」
強い子だ。
――いや、違う。強くならざるを得なかったのだ。
結衣は他者とのパーソナルスペースが皆無で、気を許した相手でなくとも無意識に距離感が近くなってしまう。だから、それを自分への好意だと受け取った男子を勘違いさせたり、その男子に思いを寄せる女子からは激しく嫉妬され、よく思われなかったりと、そんなトラブルの絶えない学校生活だったという。
だから、結果的に大谷高校の一部では、結衣のことをわかりやすい侮蔑の代名詞で呼ぶようになった。
ビッチ、と。
軽い女だと勝手に判断されて、知らない他校の人間が急に声を掛けてくることもあったし、クラスでは腫れ物を扱うように、遠巻きにヒソヒソと接されることもあった。
そんな冷たい環境で一人で生きていくには、結衣は心を鎧で覆い、強くなければいけなかったのだろう。
他人の無責任な評価で、自分を見失わないように、自分という生き物に対して、誰よりもストイックに向き合ってきたに違いない。
上手いこと言葉にはできないが、瑞樹はそんな結衣の抱える傷と不器用さを、一生隣で支えてあげたいと、月並みながらに、心からそう決意した。
瑞樹は、結衣の華奢な体を、布団の中で力強くギュッと抱きしめた。
「――えっ!? な、なに急に!」
本当に突然の行動だったから、結衣はビクッと体を跳ねさせて震わせた。
「ずっと思ってたけど。結衣って、不意打ちに弱いよな」
「当たり前でしょ! 不意打ちに強かったら、もうそれ不意打ちじゃないじゃん!」
「あー……確かに。言われてみれば、その通りだ」
結衣は、瑞樹の腕にホールドされたまま、身動きの取れなくなった自分の手を、もぞもぞと瑞樹の胸元に持ってくる。
「……ちょっと、瑞樹くん。腕枕してよ。瑞樹くんの手が私の太もも触ってて、くすぐったいんだけど」
「んん……」
瑞樹は言われた通りに腕を布団から出し、結衣の小さな頭の下に潜り込ませようとして――動きがピタリと止まった。
「……え、寝てる!?」
「……すぅ……」
今日は、朝から瑞樹の高校の広大な学校祭を歩き回った。
さらに、幼馴染たちと結衣との関係性の清算や、結衣への告白の決意、そして感情のジェットコースターのような出来事が連続した一日だった。
限界まで気を張っていたその反動の疲れが、結衣の体温と匂いに包まれたことで一気に押し寄せ、心地よい麻酔のように全身を急速に重くさせていく瑞樹は、いつの間にか深い微睡の底へと落ちていったのだ。
「……もう。急に抱きしめてくるから、襲われるかと思ったじゃん……。瑞樹くんの不意打ちずるいんだよなー……」
結衣は、瑞樹の規則正しい寝息を聞きながら一人でそう小さく呟くと。
「先に寝るし。もー。……ふふ」
ホッとしたような、少しだけ残念そうな笑みを浮かべて、自身も瑞樹の温かい胸の中で幸せそうに瞼を閉じた。




