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第17話 余韻(3)

 結衣の家でのお泊まり。


 しかも、週末の夜に二人きり。


 お互いに好き同士と正式に言葉にして認め合ったのだから、今までかろうじて固く保っていた理性の壁も、簡単に壊してしまっても誰も文句は言わないはずだ。


 むしろ、ある程度その壁を壊して一線を越えてこそ、恋人と言えるのかもしれない。


 そんな、ラブコメ漫画や深夜アニメで培った浅い知識と妄想に溺れそうになりながら、しかし自分達は友達という設定を貫く、さながら高難易度の縛りプレイをしなければいけないのだと思い出し、瑞樹はリビングのソファで大きなため息を吐いた。


 瑞樹が先に風呂を終えてソファでゆっくり座っていると、後から風呂から上がってきた結衣が、タオルドライしただけの少し湿った髪のまま、当たり前のように瑞樹の股の間のスペースにすっぽりと入り込んで座ってきた。


「……どうしたの、そんなおっきなため息吐いて」


 瑞樹の股の間で、結衣がコロンと首を後ろに傾けて振り返る。瑞樹の鼻先に、結衣の少し冷たくて湿った髪の毛が触れた。風呂上がりの甘いシャンプーの香りが直接脳を揺らし、無性にこそばゆい。


「いやー……。せっかく結衣と両思いだとわかったのに、イチャイチャ出来ないのかーと思ったら、早くも設定を後悔してきて」


 瑞樹のその隠し立てのない正直な物言いに、結衣は「ふふっ」とニヤニヤしながら、背中をピトッと瑞樹の胸に完全に密着させてきた。


「えー? じゃあ、やっぱり普通に付き合う? 私は、瑞樹くんがどうしてもって言うなら、それでも全然いいんだよ?」


「……それでもいいってだけで、結衣にとってはベストな選択ではないんだろ?」


「それは、まあ。……ロマン的に」


「だろー。それに、俺も禁断の恋みたいな背徳的なシチュエーションをリアルでやってみたいっていう、男としての欲はあるからな……ん? あれ?」


 瑞樹は、ふと自分たちの現状に疑問を抱いた。


 禁断の恋を瑞樹たちに当てはめると、つまりは、友達なのに恋人のようなことをする、となる。


 友達という建前だからって、友達としての健全な振る舞いしかしていなかったら、それはただの友達でしかないじゃないか。


 つまり、禁断の恋的なものを成立させるには、友達でありながら恋人ムーブが出来るということ……いや、むしろ『しなければいけない』のだ。


 なんだ、イチャイチャ自体が禁止されてるわけじゃないのか。


「……ねぇ、瑞樹くん。瑞樹くんの中でイチャイチャって、具体的にどんなことなの?」


「え? そりゃあ、馬鹿みたいに人前でくっついたり、歩く時に手を繋いだり……お互い強く抱きしめ合っ……たり……同じベッドで一緒に、寝た……り……」


――あれ? 全部、既にしている。


 これを恋人がするイチャイチャの定義だとするなら。結衣と正真正銘ただの友達だと思っていたこの半年の間から、既になんの躊躇いもなくしてしまっている。


「ふふふ。……全部、してるねー?」


 結衣が、勝利を確信したように悪戯っぽく笑う。


 今もこうして瑞樹の股の間に入り込んで、瑞樹の胸元に後頭部を当てて甘えるように体重を預けているのも、客観的によく考えたら完全にカップルのそれだ。


 なるほど。


 先月の大谷高校の文化祭に行った時、イチャイチャする姿を遊に見られて『それで付き合ってないなら、恋が僕にはわからない』と真顔で言われた、その意味がやっとわかった。


「……結衣。俺は今、すごく大事な学びを得たと同時に、何か人として大切な感覚を失ってしまっていたことに気が付いたかもしれない」


 恋人同士のイチャイチャを、頭で理解した。


 つまりは、そういったことをこれからやっていくことで、禁断の恋の背徳感を味わうのだと。


 だけど。結衣とのこれまでの距離感が日常的過ぎて、もはや手を繋いだり抱きつかれたりしたくらいでは、ドキドキもクソもない。


 友達なのにイチャイチャするという禁断のシチュエーションは存在しても、すでにそれが当たり前になっているため、そこに背徳的な感情が生まれにくいのだ。


 結衣とのこの異常な距離感が、瑞樹の当たり前の基準になってしまっている。


 今更くっついたり手を握ったくらいじゃ、イチャイチャを感じられない体にされてしまった。


「そこはほら、オタクの想像力と創意工夫で乗り切ろうよ! 私も頑張るし!」


 肩を落として落ち込んだ瑞樹を励ますように、結衣は胸元で小さくガッツポーズを作ってみせる。


「私、大抵のことは大丈夫だから。遠慮なく何でも言って!」


 瑞樹は力無くコクコクと頷き、股の間にいる結衣の肩を後ろから優しく抱き締めた。


 結衣の口から、「んっ」とくすぐったそうな吐息が漏れる。頬に触れる濡れた髪の毛が、冷たくて気持ち良い。


「……なぁ、結衣は、他の男にこうやって抱き締められても大抵のことは大丈夫だからって、無防備に受け入れたりしないよな?」


「しないよ! 言っておくけど、私は瑞樹くんみたいに無自覚な鈍感主人公ムーブはしないからね。他の男の子と距離感が近くなっちゃうのは、日頃から意識してそうならないように気をつけてるし。それ以外の過剰なスキンシップは、考えなくてもダメってちゃんとわかってるから。……すごくナイーブになってるね、瑞樹くん」


「なんか、自分が思ってた以上に、結衣のことが好きで独占欲が強かったのかも。……ごめん」


「ふふっ、別に謝ることじゃないよ。……そうだ瑞樹くん、考え方を少し変えようよ」


 瑞樹の落ち込みの意図を正確に理解したらしい結衣が、パチンと指を鳴らして提案した。


 瑞樹は結衣の体を少し離し、振り向いた火照った顔つきの結衣を真っ直ぐ見つめる。


「側から見たらイチャイチャしてる今の私たちの狂った距離感を、ただの友達としてのスタンダードにしよ? もちろん、私たち二人の間でのみ適用される特別ルールね」


「ほう?」


「くっつくのも手を繋ぐのも、そういう一般的には恋人に見られるような行為は、私たちにとっては友達同士でも当たり前にやること。……そういう設定にするの」


「つまり、こんな密着くらい、友達だったら普通でしょ? という解釈か」


 それであれば、確かにくっついたり手を繋いだりすることに、恋人ほどの初々しいドキドキをしなくても異常ではない。


 何故なら、瑞樹と結衣にとっては、それが友達としての普通の日常なのだから。


「じゃあ、それ以外の、まだやったことない領域で恋人っぽさを感じてドキドキすれば、それが禁断の恋のイチャイチャとして成り立つってことだな?」


「そーゆーこと! そこを創意工夫で頑張るの」


 結衣がニコッと、最高に可愛らしく笑った。


 ギュッと、瑞樹の心臓が甘く締め付けられる。


 なんだか難しいシチュエーションを作らなくても、こういった何気ない結衣の笑顔を独り占めできるだけで十分な気もしてしまう瑞樹だった。


 でもまぁ、一抹の不安は彼女の言葉で終わった。


 どうにか、この歪な関係でも楽しくやっていけそうだ。


「ふふふ。私たちのこの歪な関係、また小説のネタにしよーっと」


 結衣がそう言いながら、瑞樹の股の間からスルッと抜け出そうとして、瑞樹はハッとしてその細い手を引き、元の位置に戻した。


「わっ……ど、どうしたの?」


「……思い出した。結衣の小説、一花が読んでた」


 結衣は、ビックリしたように茶色い瞳を限界まで大きく見開いた。


「あ、あー……。最近、サイトのランキングにも入るようになったから、もしかしたら知り合いに見つかってもおかしくないとは覚悟してたけど……まさか一花ちゃんが」


「すごく好評だったぞ。『感情がリアル』って絶賛して、面白いって言ってた」


「そっか……それは、良かった、かな……?」


「でも結衣。あの小説の登場人物のモデルって……まさかとは思うが、俺と結衣なのか?」


 ギクっと、腕の中の結衣の体が目に見えて強張った。


「しかも、一花の話から察するに、『ゲーセン回』や『公園の滑り台回』とか。俺たち二人の間で起きたリアルな出来事も、そのままネタにしてるな?」


「……え、えーとっ……!」


 図星だろう。この狼狽えた反応の仕方だけでわかる。


 もともと結衣からは、「男子高校生の頭の中や心理を知りたい」ということで、取材と称していろいろ聞かれたことに瑞樹が答える形で協力してきた。


 あくまで心理描写の参考だけだと思っていたが、まさかのまさか。二人の間で起きた具体的な出来事も、小説のラブコメ展開に組み込んでいたのだ。


『リアルの出来事を反映する』とも結衣は言っていたが、中身を熱く語る一花の感想から察するに、かなり事細かにシチュエーションを再現してるのではと思ってしまう。


 それはもう、半ば恥ずかしい二人の日記の公開ではないか。


「……ごめん。うん、私たちをモデルにして、私たちのリアルな体験を内容に反映させてる」


 結衣は眉を下げて、申し訳なさそうに下から瑞樹の顔を見上げてくる。


「あー、いや、俺こそごめん。別に怒ってるわけじゃないんだ。リアルを反映させるってのは事前に聞いてたし、俺もそれでいいと思って協力してたし。ただその……なんだ、あの主人公とヒロインが俺たちってバレないか、少し不安で」


 どこまで詳細に書いているのかわからないけど、結衣とはすでにかなり際どいことを——世間一般から見れば完全にアウトなことをしてしまっている。


 思い出すだけで心臓が破裂しそうなほどだ。


 それ自体を小説のネタにするのは、少し恥ずかしいけど良い。だけど、そのモデルが瑞樹と結衣だと周囲にバレてしまったら、もっと恥ずかしくて社会的に消えたくなってしまう。


「それは……絶対に大丈夫だと思う。登場人物の名前とか学校の境遇とかから察するのは無理なようにフェイクを入れてるし。私たちの個人情報がわかるような……例えば、主人公が幼馴染とシェアハウスしてるとか、ヒロインがビッチって呼ばれてるとか、そういうのは一切書いてないよ。……ただ、作者の『MIZU』が私だってバレたら、一発でわかっちゃうと思うけど」


「おい! 絶対にリアルで特定されるくらい有名になるなよ!?」


「ならないよー。ちょっと書いてみたいって好奇心で始めただけだし、ランキングに入ったからって、すぐに書籍化するわけじゃないし」


 そう言って誤魔化すように笑う結衣の顔が、ほんの少しだけ、寂しそうに曇ったように見えた。


「……恥ずかしいなら答えなくていいけど。本当は、小説家が夢だったりするのか?」


 核心を突いた瑞樹の言葉に結衣はビックリして、しかしすぐに首をぶんぶんと強く振った。


「違う違う! ほんとに好奇心だけ! ……ただ、それでも……自分の生み出した作品が世に出て、認められる可能性を夢見ないオタクは、いないじゃない?」


「……まあ、だな。誰もが一度は夢見ることかもしれない」


 自分の理想的な世界観や萌えを、オタクであれば誰しも頭の中に思い描く。そしてそれがもし書籍化し、書店に並び、アニメ化したら……なんて想像をして胸を躍らせるのも、オタクであれば必至だ。


 そう。だから結衣も、密かにそんな輝かしい夢を思い描いたに違いない。


「でも、瑞樹くんに言われて気付いた。確かにあまりにも私たち過ぎる内容だから、もしも本当に有名にでもなったら、瑞樹くんは相当恥ずかしいだろうなって。……瑞樹くんのプライバシーにも、迷惑かけちゃいそうだし」


 それはつまり、だからこの夢は夢のまま、趣味の範囲で終わらせないといけないということでもあると、結衣は自分を納得させるように受け取ったのだ。


 だから彼女は、先ほど少し寂しそうに笑ったのだろう。


 瑞樹は、腕の中で落ち込む結衣に優しく笑いかけると、その少し湿った頭にポンと手を乗せた。


「……ごめん。結衣の努力と頑張りを、俺のちっぽけな羞恥心なんかで止める権利はない。だからまぁ、俺のことは一切遠慮しないで、このまま思い切り書き続けろよ」


「え……いいの? 調子に乗って、めっちゃリアルに書いちゃうよ? 私たちの恥ずかしいこと」


「いいよ。……それで本当に有名になって書籍化したら、印税の分け前は二等分で頼む」


 瑞樹がニヤッと笑って冗談めかすと、結衣もパァッと顔を輝かせて笑って頷いた。


 特別なデートのシチュエーションなんてなくても、やっぱりこの部屋で二人きりで見せてくれる結衣の笑顔だけで十分だ。


 瑞樹がずっと好きだったのは、この結衣の優しくて、オタク臭くて、でも何よりも楽しい雰囲気だったのだから。

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