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第十七話 石やんの『HELP!』

「そうやったん」

 ユウのカミングアウトを聞いてマリがつぶやく。

 想像していた「どん底」の範疇を超えていたのだろう、言葉を探してようやく見つけたように感じた。


 ボクはユウからトランスジェンダーについては聞いていたけれど今回はずっと生々しかった。

 ユウはマリに明かすつもりで語りはじめたところ、ボクに対しても「過去を知ってほしい」と考えが及び北海道時代からの半生を振り返る流れになったのかもしれない……。

 なんて勝手に深読みしていたら、ユウとマリはすっかり切り替えて楽しそうにはしゃいでいるではないか。


「マリが結婚してギャルママになってたのは意外すぎて笑えた」

「ちょっと、いくらユウ先輩でも笑えたてひどいんちゃう」

「ごめんごめん、微笑ましいって意味だから。でもご飯作ったり、掃除したり大変でしょ。それに子育ても新米ママなわけだし」

「うちのダンナは船乗りやから、ほとんど家に居らんねん。一年のうち半分はタンカーに乗ってるし。ユリと二人暮らしみたいなもんや。気楽にやってるわ」

「へーそうなの。じゃあさ、今日はうちに泊まってかない?ユリちゃんともお話ししたいし。ウーバーで好きなものとってさ。お酒も飲めるじゃん」

「ええのん。めっちゃ嬉しいわ。でもユリにも聞いとかなあかん。ユリ、ユリ」

 マリがユリちゃんを起こして確認したら頷いていた。寝ぼけてよくわかっていないようでもあるが、これで「お泊まり」は決定したらしい。


「ということだから。アキラはよそを当たってね。なんちゃって。うちには泊められないからダンに頼んでみるわ」

「あ、うん。よろしく……」

 ユウはスマホをいじりだしたからダンにメールしているのだろう。ダンの家に泊めてもらうのは緊張しそうだけれど、ユウからあれだけ話しを聞かされたボクにとってはその方がよかった。もし、マリが帰ってユウと二人きりになったらボクの感情がますます迷走しちゃう。


「あ、ダンから電話だ。うん、そう。だから泊めてやって。わかった、まいやんね。じゃあよろしく」

 ダンの了解を得たらしく、ユウがスマホで検索してマップ情報を見せてくれた。

「ダンは行きつけの居酒屋『まいやん』にいるそうよ。歩いて数分だから今から行ったら晩ご飯ぐらい奢ってもらえるかもよ。やったじゃん」


 外に出るとまだ空は明るさを残していたが、スマホを見ると六時を回っている。

 居酒屋「まいやん」はすぐにわかった。外観はスナックのようなドアで、スナックのようなネオン看板に「まいやん」と文字が浮かんでいたからだ。きっと元スナックだったのだろう。思ったよりこじんまりした店で中に入るとカウンターにダンがポツリと座っていた。


「よお、まあ座りいや。オレの店ちゃうけどな。へへへ」

 ダンはあいさつ代わりに生ビールのジョッキを掲げてみせた。

「今日はお世話になります」

「ユウからいきなりメールがくるやん。驚いたで。まあアキラとはゆっくり話したことないからな。いい機会や。なんか食うか?一応先輩やからな、奢るで」

「え、いいんですか。じゃあボクも生ビールで」

「マスター。あれや、納豆オムレツ。それと手羽先餃子も作ってやって」

「あいよ」

 マスターは見たところラクーンギターの店長と同じぐらいの年齢だろう。背格好も近い感じだが、鼻の下に生やした口ひげが特徴的だ。頭には髪の毛が落ちるのを防ぐためか大きなバンダナのような布を巻いていた。


「ここの納豆オムレツはな、タマゴと納豆をよく混ぜて焼くからお好み焼きみたいな食べ応えで美味いんや」

「納豆オムレツは食べたことないけど、作り方もコツがあるんですね」

「そやで。納豆を卵焼きで包むようにするからオムレツちゅうところが多いけど、本来はお好み焼きに納豆を入れたもんやと思うとる。なぁマスター」

「まあね。オヤジの代からそうやって納豆入り卵焼きみたいな感じで作ってたからな」


 生ビールでカンパイしていると、やがて納豆オムレツが出来上がった。

 丸い鉄板皿で焼きたてが出てきたからなおさら食欲がそそられる。アツアツなので箸で少しずつ切ってさましながら口に運ぶ。

「おいひーでふ。納豆が卵焼きといったいになって新しい食感でふね」

「そやろー。熱いからあわてんと味わって食べりいな」

 ボクが一口目をビールで流し込んでいると、手羽先餃子が出てきた。焦げ目がつくほどカリカリに焼かれていてこれも美味しそうだ。


 ひとしきり食べて飲んだころにダンが切り出した。

「ユウから聞いたで。恋に破れて軽音部を飛び出してきたらしいやんか」

「ユウがそんなことを……でも違うんです。うまく言葉にできないけど、人間関係に疲れただけじゃなくて、自分がよくわからなくなったっていうか……」

 ボクがボソボソこぼしていると、ダンは三杯目のチューハイを飲み干した。

「マスター。なんか歌うてよ」

「よ、待ってました」

 ダンのリクエストを聞いてテーブル席にいた数人の客から声が上がった。どうやら常連らしい。

「しゃあないなぁ」

 マスターは一旦奥に引っ込むとアコースティックギターを持って現われた。

 その展開にボクもテンションが上がる。飴色に輝く渋いボディやピックガードについた擦り傷。微かに凹むフレットにところどころ掠れたポジションマーク。

「かなり弾きこまれたギターですね」

 若僧の分際で偉そうなこと言うなと怒られそうだが、酔っているから多めに見てくれたようだ。普通に相手をしてくれた。

「Kヤイリや。中学生のとき親にねだって買うてもろてん。もう三十年は弾いてるからな。枯れたいい音鳴らすで」

 マスターは話しながら厨房から出てきてカウンターのイスに腰掛けた。ポロンポロンとチューニングを確認しておもむろに弾きはじめた。ビートルズの『ブラックバード』だ。有名なイントロだからすぐにわかった。ギタリストならば誰でも知っているだろう。

「あかん。爪が伸びすぎて押さえにくいわ。失敗した」

 ボクなんか難しくて弾きこなせない曲だけど、マスターは無駄口をこぼす余裕さえあった。リラックスした雰囲気で弾き語りすると、ダンも他の客たちもそしてボクも聴き入った。


 一曲歌い終えてもギターは鳴り止まず、フィンガーピッキングでブルージーなメロディーを奏でる。

「すげえ、アドリブですかね」

「ラグタイムギターや。よう知らんけど、なんとかワトソンちゃうか」

 ボクとダンがこそこそ話しているとマスターにも聞こえたらしい。

「ドクワトソンや。それにブルーグラスやし。ちゃんと教えなあかんで」

 リズミカルにピッキングしながら話す姿はまるで高度なギター漫談のようだった。

「さてと。そろそろ本業に戻らなあかん。皆もなんか注文してや」

 マスターが演奏を止めようとしたら、ダンが頼み込むように手を合せた。

「あと一曲。最後にあれ歌うてや。ヘルプ」

 すると客たちも拍手して盛り上がった。

「待ってました。ヘルプ」

「ホンマに最後やで。その前にちょっと気合い入れなあかん」

 そういうとテーブル席の客がコップを渡して、キープボトルの焼酎を注ぎ、マスターはそのままあおった。

「よっしゃあ、エネルギー満タンや。ほんならいくでえ」

 イスにかけ直してギターを構えると、今度はピックで弾き始めた。力強いコードストロークは昭和のフォークソングを彷彿とさせたが、どこかで聞いたようにも思う。すると歌い出しでつながった。


♪Help! I need somebody.


 アコギ一本の弾き語りなのでイメージと違ったが、間違いなくビートルズの『HELP!』だ。しかも途中から日本語の歌詞になり、内容もアレンジされている。ジョン・レノンを追悼する歌らしい。節回しも独特で胸に迫るものがあった。「素直にやれよ」「負けることだってあるさ」「もうダメだっていう前に」まるでボクを励ましているように聞こえた。


 歌い終えると「やっぱしええなぁ」「いつ聞いてもグッとくるわ」という声が飛交う。

 きっと誰しも多かれ少なかれ辛いことはある。それぞれが自分に重ねて背中を押してもらえる歌なのだ。

「すごいよかったです。『HELP!』のカバーかと思っていたら日本語のところはオリジナルなんですか?」

 ボクが興奮気味にコメンテーターみたいなことをいうので、ダンが苦笑いした。

「イシダオサムさんがカバーした『HELP!』や。まあ、アキラぐらいの年代は知らんやろな。大阪出身のミュージシャンやからオレらはとくに親しみがあんねん。ジョンの思い出を歌った石やんも天国にいってもうたけどな」

「だからワテらがこの『HELP!』を歌うときは石やんに手向ける気持ちが強いねん」

 マスターがしみじみつぶやいた。


「よっしゃぁ、ジョンと石やんを偲んで飲み直しや。マスター、チューハイおかわり。アキラも遠慮せんとたのみや。オレが奢るなんて滅多にないで」

 ダンの言葉に甘えてボクもオーダーした。

「マスター、ボクはジントニックで。あと納豆オムレツも」

 するとテーブル席からもオーダーが続く。

「マスター、こっちも納豆オムレツと手羽先餃子ねぇ」

「マスター、生ビールまだかいな。早うせんと酔いがさめるで」

 なんとこの店はマスター一人で切り盛りしている。ボクは客が増えて賑やかになったことでようやく気づいた。するとダンがカウンター越しに厨房と仲介して手伝いはじめた。

「ねえマスター、ねえマスター、ねえマスター早くーって歌やないんやから、あんまし急かしたらあかんでホンマ」

「ダンさん、えろうすんません。自分でやりますさかい」

「それにしてもダン。そんな懐メロ誰も知らんで。ウケとらんやないかい」

 ほとんどが常連で顔見知りなのだろう。だからワンオペでなんとか回るらしい。

「そっちの兄ちゃんはダンの舎弟か?ジントニックやら洒落たもん飲んどらんで、國乃長の大阪焼酎いってみらんかい」

 ボクも巻き込まれて久々に楽しい酒を飲んだ。

 けれど痛飲したらしい……。


 目が覚めると窓の外は明るくて鳥の鳴き声が聞こえた。ダンが連れて帰ってくれたのか。またやっちまった。記憶が飛んでいる。

「おう、生きとるみたいやな。オレはもう少ししたらラクーンギターに行くけど、アキラはどうする?昨日の様子やったら、もうだいじょうぶそうや思うたけど。しんどかったら寝ててもええよ」

「いえ、なんとか立ち直れそうです。いろいろありがとうございました。また落ち着いたら顔を出すので皆さんにもよろしくお伝えください」

 居酒屋で奢ってもらったうえに酔っ払って迷惑をかけたことが申し訳なくて、ついよそよそしい話し方になってしまった。

「まるで卒業のあいさつやな。ユウにもちゃんと報告しとくけど、気が向いたら連絡しいや。アイツはメグのこともやけど、アキラのことも心配してるねん」

「はい、わかってます。じゃあ、お世話になりました」

「ほな、元気で。自分に素直になりや」


 ダンのハイツから三国ヶ丘駅まで歩いたが、途中で気持ちが悪くなって何度か休憩した。

「キョーイチの教えが役に立ったな」

 自販機でポカリを買ってチビチビ舐めるように飲んだからその程度で済んだのだと思う。以前ならば水を飲んでも吐いてしまい、歩くどころではなかった。

 二日酔いの頭では余計なことを考えないのかもしれない。マスターが歌った石やんバージョンの『HELP!』を脳内でヘビロテしながら自分が進む道を思い描いた。

 

 ボクは不登校になった時も音楽に救われた。そして今もまた音楽に背中を押してもらっている。たとえ負けることがあろうと、もうダメだと諦める前に音楽が助けてくれた。その気持ちと素直に向き合えばいいんだ。


「こんなことなら、往復切符にしとけばよかった」とぼやきながら新幹線に乗ると、やがて心地良い振動で眠りに誘われた。


第十七話 石やんの『HELP!』 に登場する楽曲を(YouTubeリンクで)紹介。


☆『Deep River Blues』Doc Watson

ドク・ワトソンはアメリカのギタリスト。

ブルーグラス・ギター(フラット・ピッキング・ギター)の第一人者でもあります。

https://youtu.be/MrfYhgEcGRQ?si=mJPRwBzqtpGoUHSd



☆『HELP!』石田長生流のカバーバージョン

https://youtu.be/yfVDyU5u94U?si=CPgnX7QkiZCqN8ET


♪負けることだってあるさどんな強がりなやつにでも


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