第十六話 どん底で響いた救いの言葉
ふかふかなベッドに埋もれて夢心地……というか朦朧としているわたしの頭に誰かが話しかけているらしい。
「しゃあないな。うちにお持ち帰りするわけにはいかんから、店で寝かしたろう」
心地良い男性の声がした。
肩を貸してもらいながら歩いたのを覚えている。
「店」らしきところにつくと安心したのかまた眠ったようだ。
シャッターが開くような音がして目が覚めた。
「おはようさん。って誰やねん。店長、まさかナンパしたんちゃうでしょうね」
「アホか。協会の集まりが終わってほろ酔いで帰りよったらゴミ捨て場で拾うたんや」
「やっぱり、お持ち帰りやないですか」
わたしはそんなやりとりを耳にして自分の置かれている状況が少しずつわかってきた。どうやら危険はなさそうなのでこちから訊いてみた。
「あのぅ、お取り込みのところすみません。ここはどこですか?」
「おお、目が覚めたか。ラクーンギターちゅうて、オレの店やから心配せんでええ。オレは店長のアラクマ、こいつはダンや」
「ユウです。なんかお世話になったみたいで、ありがとうございます」
「ガハハハ、おもろい姉ちゃんやな。まあ、元気になるまでゆっくりしてったらええ」
「はあ、すみません」
記憶が曖昧でそんなやりとりしかできず、昼過ぎてから歩いて帰ることにした。
本来は自宅まで体調がよければ30分ほどのはずが小一時間かかった。
翌日になるといろいろ思い出して申し訳なくなり菓子折を持ってお詫びに行く。
ギターの形をした看板が目立つからすぐにわかった。
ラクーンギターは昨日と同じく客が少ない。というかわたしはまだ客がいるところを見たことがない。
「こんにちは」
そっと顔を出すと大声が返ってきてドキッとした。
「ユウちゃんやないかぁ、よー来たなぁ。昨日と見違えるほど顔色がようなって、よかったよかった。ガハハハ」
店長の荒熊博さん。フルネームは教えてくれたがさすがに年齢は聞けなかった。たぶん四十代前半だろう。ヘアスタイルはトップを普通に伸ばしてサイドとバックを刈り上げる緩い感じの「ツーブロック」だ。黒いエプロンを着ていることもあって威圧感はなく話しかけやすい。
「これ、ほんの気持ちですがお詫びに」
「あらま、かえってすんまへん。おおっ、穂の一やないの。しかも詰め合わせ。若いのにしっかりしとるなぁ。ウケねろうて『面白い恋人』とか持ってきたらツッコまれるとこやで」
わたしは大阪に来てもうすぐ十年になるけれど、関西のノリは奥が深い。どうリアクションしたものか考えているうちにタイミングを逃してしまう。
「ちょうどよかったよ。昨日はあんな風やったからよう聞かんかったけど、もっと話したいと思うてたとこやねん。今日は時間あるやろ。いろいろ聞かせてえな」
「はい、わたしは構いませんけど。お店の方はいいんですか」
客が少ないのは承知のうえで一応気を遣った。
「店のことまで気にせんでええよ。おーい、ダン。スタジオで話してるから、店の方頼むで。なんかあったら内線で呼んでやぁ」
店長が叫ぶと奥の方から返事があったので通じたようだ。階段を上ると二階はスタジオになっており、その一つを「対談室」として使った。
「あんときは正直びっくりしたで。大阪やから酔っ払いは珍しないけど、若い娘さんがゴミ置き場で倒れとるやろ。殺人事件かもしれんやん。生きてたからよかったわ。ホッとしたのもあって、乗りかかった舟でここまで連れて来たけど」
「いろいろ嫌なことが重なって飲み過ぎちゃったみたいです。あんなに酔ったことないんですけど。ホントにご迷惑をおかけしました」
「まあええよ。でも危ないから二度とあんな飲み方はせんどきや。それより、まだ悩んでるんちゃうか。飲んだからいうて消えてなくなるもんちゃうからな。こんなしがない楽器店の店長やけど、オレでよかったら話してみんかい。もしかしたら力になれるかもしれへんで」
店長は目を見ながらそう言ってくれた。
わたしはこれからどうすればよいのか全く考えられず迷路に迷い込んでいただけに優しさが沁みた。通りすがりに救ってくれた人だけれど、逆に縁を感じたのも確かだ。
中卒でミュージックスクールに通いながら二十歳になっても芽が出ないこと。さらにトランスジェンダーの悩みと性転換手術したことまで打ち明けた。店長はうなずきながら静かに耳を傾けてくれるので、溜まっていたことを洗いざらいぶちまけてスッキリした。
「そっかぁ、えろう難儀やったなあ。でもよかったで、ユウが話してるときの目を見てたけど死んどらへん。まだ生きてるしこれからや。ええか。諦めたらあかん。何でも同じや。続けてればいい方向に向くこともある。でも止めてしもたら向きは変わらへんねん」
「わたし、生きてるって言われて力が湧いてきました。男でも女でもいい。和白優はこうやって生きてるんだって認めてもらえたようで、すごく力が湧いてきました。でも、今さらミュージックスクールに戻っても、なんかやりたいこととズレているような気がしちゃって……」
わたしが混乱した思考を整理しようとして言葉にすると、店長は察したらしい。
「それでええねん。ユウがスキなように生きたらええ。たぶん今は時間が必要なんやと思う。なんやったらうちで働いてもええで」
こうしてラクーンギターと出会い立ち直ることが出来たのだ。




