第十四話 『悲しみのアンジー』
関西ミュージックスクールには高等専修学校コースがあり、わたしはその道に進むことにした。
中卒でも三年間の高等課程を終えて卒業すると専門学校や大学に進学する資格を得ることが出来るという。しかも学びながら芸能活動も可能で、生徒たちはプロデビューを目指しながら通っているそうだ。
声優コースやダンスコースなどさまざまなコースがあるなか、わたしはミュージシャンコースを選ぶことにした。レッスンカリキュラムにボーカルもあったから。姉の「歌が上手い」という言葉を信じてみようと思った。
北海道での貧乏時代。子どもの頃は母の食堂を手伝うのは当たり前のことだと思っていたけれど、友だちから親と旅行したりゲームセンターで遊んだ話しを聞くとやはり羨ましかった。姉とわたしは閉店して片付けまで済ませると、歌うのが唯一の楽しみだった。有線放送から流れてくる曲に合わせて歌うのだが、毎日やっているうちに曲のパターンがわかるようになり、初めて聴く新曲でもすぐ歌いこなして姉を驚かせた。
北海道と言えば松山千春や中島みゆきをはじめ、ドリカムやGLAYなど多くのアーティストを輩出している。わたしはなかでもYUKIが好きで、彼女の動画を見つけては真似をしたものだ。歌だけでなくファッションセンスにも憧れていたように思う。
大阪に来てからは歌う機会も減ったが、姉から言われて当時の感覚が身体に漲るのを感じた。それまで押さえ込んでいた「個性」を解放できる予感にワクワクした。
ミュージックスクールには「いろんな人間」が集まってくる。
一般の高校と違い髪型や服装は自由なのだから金髪に染めたヘアスタイルも目にするが、思ったより少ない。むしろ派手な金髪よりもブラウン系や染めずに黒髪のままという比率が高いぐらいだ。
俳優や声優を目指す者とアイドルを夢見る者、歌手やミュージシャンを目指す者はそれぞれ私服やヘアスタイルに現われるらしい。いずれにしろわたしは「黒い学ラン」の呪縛から逃れて伸び伸びと過ごすことができた。
さすがにスカートは止めといたけれど、ショッキングピンクのスキニージーンズにオフホワイトのハイカットスニーカー。朝日を思わせる薄いオレンジの開襟シャツ。髪はショートボブ。細いフレームの黒縁メガネをかけて「第二の人生」をスタートした。
だんだんわかってきたのは「外見」よりも「思考」という観点で「いろんな人間」がいることだった。わたしはこれまで経験してきた義務教育とは別世界なのだと実感した。
「キミはもっとロックンロールしてもいいんじゃない。スージー・クアトロみたいなノリが似合うと思うよ」
ミュージシャンコースの先輩からいきなり言われて面食らう。カイトさんはギタリスト志望でバンドを組むメンバーを探しているらしい。ボーカルのレッスンでわたしを見かけて気になったそうだ。
そもそもスージー・クアトロを知らないのでネットで調べたところ七十年代に人気を博した女性のロックミュージシャンだった。ベースを弾きながら歌うのだが、黒やイエローのレザースーツに身を包みハードロックをシャウトする姿はボーイッシュでカッコいい。
「オレはこんな風でいかつい感じじゃん。でもジェンダーレスなアーティストに憧れてるんだよな。例えばデビッド・ボウイとかさぁ。逆にユウの場合はスージー・クアトロみたいにパワフルさがあればもっと魅力的になるんじゃないかなあ」
カイトさんの言葉にカラダが反応した。肩甲骨のあたりから首筋を通って後頭部まで冷たいなにかが流れるのがわかった。冷や汗のように嫌な感じではなく、爽やかで心地良いものだ。
たぶん「希望が膨らむ」という言葉を体感するならばこのような状態ではないだろうか。
「ボクは自分が男なのか女なのか分からくなって戸惑い、普通の高校に進学せずここに来たのです」そう明かしてしまえばどんなにスッキリしただろう。しかしどうしても言葉には出来なかった。
わたしはカイトさんに勧められるままベースを弾く練習もした。スクールではボーカルコースだけど、空き時間にカイトさんから教えてもらう。ギターコースとベースコースは同じ講師だから、ベースについても質問すれば答えてくれるそうだ。
「ボーカルとベースと二つも選択したらレッスン料もそれだけかかっちまうからな。ベースはオレが基礎を教えるから、上達したらまたそのとき考えるさ」
カイトさんを通じて他のカリキュラムの先輩たちとも話す機会が増えたのは刺激になった。やはりプロを目指している人ばかりなのでこちらも勉強しないとついていけないのだ。
「ベースやるんだったら、ジャコ・パストリアスは知ってるよね?」
ある日、カイトさんとベースコースのナルセさんが話しているのを傍らで聞いていたら、突然振られた。わたしが本格的にベーシストを目指していると思ったらしい。
いい加減な気持ちではないが、ボーカルコースを受けながらベースも弾ければというスタンスだ。それでも言われたからには気になる。ナルセさんに訊いてみた。
「ジャコ・パストリアスって誰ですか?すごい人なんでしょうか」
「そっか、知らないよな。ジャズだもんな。いやジャズだなんてジャンルで括っても収まりきれずに飛び出しちゃうほどすごいんだけどね」
ナルセさんが待ってましたとばかりに語り出すと、カイトさんが水を差す。
「ジャコ・パストリアスか。オレも名前は聞いたことあるけど正直なところよく知らないんだよね。やっぱりチョッパー弾きまくるとか?」
「お前なぁ、チョッパーバカにしてるだろう。それに今どきはスラップベースっていうんだぞ。仮にもベースを教えるんならそのぐらい知っとけや」
ナルセさんがムッとしたように口を尖らせたので、カイトさんはペロッと舌を出して肩をすくめた。ナルセさんは続ける。
「でもな、オレもジャコ・パストリアスがいかに素晴らしいかを言葉では説明しきれない。あれは聴かなけりゃわからねえよ。やっぱり。とりあえずドキュメンタリー映画『JACO』の予告映像だけでも見てみな。ベースだけじゃなくていろいろな視点から勉強になると思うよ」
わたしは早速スマホで検索して動画を見つけた。帰ってから一人で視聴することにした。
ドキュメンタリー映画のなかでロック界やジャズ界のレジェンドたちがいう。
「彼はオリジナルなのよ」
「ガキながらに『世界一イカした野郎だ』と思う」
「ジーニアスミュージシャン ジーニアスベースプレイヤー」
最も心に響いたのはウェイン・ショーターの言葉だった。
「ポップに走れば大ブレイクしたことだろう。でも彼は魂を売らなかった」
自分の流儀を曲げずに貫き通したジャコ・パストリアス。
わたしは彼に興味を持ってソロで演奏するライブ映像を視聴したが、その感情を表現するならば「すごい」ではなく「呆気にとられた」の方がより適切だろう。
フレットレスベースなうえに弦が五本もあった。わたしが弾いている一般的なベースはフレットを押さえることで音階を引き分け、弦は四本だ。その時点ですでに真似できそうにないのだが、彼はハーモニクス奏法による倍音をさも実音のごとく出してメロディーを弾く。さらにはアンプのボリュームやエフェクターを駆使してジミヘンが出すようなディストーションサウンドからシンセサイザーみたいな音まで操る。
「無理。とても真似できない」
彼の演奏を聴いてそう直感したけれど、落ち込むことはなかった。それ以上に得るものがあったからだ。わたしがやりたい音楽はベースを弾きながら歌う「スージー・クアトロ」に近く、ジャコ・パストリアスとは違う。音楽性よりも「オリジナル」であり「彼は魂を売らなかった」というポリシーこそ肝に銘じようと思った。
来る日も来る日もボーカルのレッスンを受け、終えるとベースを練習した。カイトさんはわたしがベースの腕を上げるとギターを弾いてセッションするまでになり、音楽がますます好きになっていく。
すっかりミュージックスクールに溶け込み、気づけば二年が経とうとしていた。わたしは中卒で入学したが、高卒で入学した場合は二年~三年のうちに進路が決まってくる。カイトさんは高卒組なのでもう二十歳だ。
「オレ、東京に行くことにした。この前、担任に相談したらあっちでオーディションを経験してみるのも勉強になるって言われたんだよね。武者修行みたいな感じ?落ち着いたら連絡するからユウも遊びに来いよ」
カラオケボックスでそう告げられた。頼りにしていたカイトさんが遠ざかってしまうようで寂しかったけれど、いずれはわたしも進むべき道を決めなければならない。いつまでも流されてばかりではいけないのだと身が引き締まる思いだった。
カイトさんはお酒を飲んだ。わたしは父が酔っ払って乱れる姿を散々見ているからなんとなくわかる。彼はほろ酔いで乱れるほど飲んではいないはずだ。でも笑ったりしんみりしたり、いつもと様子が違う。やはり東京に行く不安を拭いきれないのだろう。
「なあ、『悲しみのアンジー』歌ってくれよ。はなむけにさ」
「え、いいですけど。はなむけにその選曲ですか」
言わずと知れたローリング・ストーンズの名曲だ。以前にわたしが歌ったところ、カイトさんが気に入ってくれたのを思い出した。
「トーリ・エイモスとか綾戸智絵がカバーしたのを聴いたことあるけど、どっちもミックをリスペクトしながら自分なりの解釈でワールドに引き込むんだよな。すげえと思った。ユウが歌うとさぁ、呼吸をするようにすんなり入ってくるからリラックスできるんだよ。それまでオレが持っていた『アンジー』に対する概念を簡単に壊した、いや溶かしちゃったって感じ。ユウのワールドなんだな。それはそれですげえと思う」
わたしはトーリなんちゃらを知らないし、綾戸智絵のカバーも聴いたことないけれど、世界的なアーティストと比べて評すのだからきっと「褒めて」くれたのだろう。でも、カイトさんが東京に行くはなむけとして「別れる恋人に向けた」曲はどうなのか。
わたしは心の片隅に引っかかる何かを感じながらも『悲しみのアンジー』を歌った。でもやっぱり気になって本音がこぼれた。
「歌いながら思ったんですけど、これって別れの曲ですよね。なんか寂しすぎるなぁ」
「いいんだよ、オレが聴きたくなっただけなんだから。それだけのこと。ワムの『ラストクリスマス』だって歌ったり聴いたりするけど、歌詞の内容を考えてるヤツなんてほとんどいないだろう。それと同じノリなんだからさ」
「そうですかぁ……」
納得したわけではないがそれ以上は追求しなかった。どころかカイトさんのとって付けたような言い訳が悲しかった。
「じゃあ、オレもアンサーソングいっちゃおうかな」
わたしがよほど浮かない顔をしていたからか、カイトさんが選曲しだした。
「あったあった。ユウは知らないかもしれないけど、この曲を贈るよ」
『セシル』というタイトルが映し出され軽快なギターカッティングでイントロがはじまった。シティポップ風なサウンドで、ロックンロール大好きなカイトさんからすると意外な選曲だ。それに「♪さよならセシル」といった別れの歌詞が続く。なんで切ない歌ばかり選ぶのだろう。
そんな気持ちなんか知っちゃことじゃねえ。という顔で気持ちよさそうに歌い上げたカイトさん。マイクを置いてしみじみと語り出した。
「子どもの頃、オヤジがよく聴いてたんだよね。クリスタルキングが歌ってるんだけどさ、『大都会』は知ってるだろう。今でも懐メロ特集とかで流れるから。この『セシル』はそれほどヒットしなかったけど、隠れた名曲だって、オヤジが言ってた。オレもそう思う」
「お父さんとの思い出の曲なんですね」
わたしは当たり障りのない受け答えをしたが、本当は「別れの歌」ばかり選ぶ理由を知りたかった。カイトさんが東京に行っちゃうことは事実だけれど、このシチュエーションで『悲しみのアンジー』からの『セシル』はまるで「離ればなれになる恋人」の選曲ではないか。あれこれ考えてるうちに胸が熱くなるのを感じた。
「ユウ。オレのこと忘れんなよ」
「えっ、はい、もちろん……」
カイトさんが目を真っ直ぐに見つめてくるので、ドギマギしてしまった。
「ユウ。ホントだぞ」
「うっ……」
いきなり抱きしめられて息が詰まった。上背がある彼の肩あたりに顔が埋まってしまいつい呻いた。
「あ、ごめん。苦しかったよな」
それに気づいて彼が力を緩めたのでハグも解かれたのだが、わたしは反射的に自分から首に手を回して抱きつく。
「いかないで、いかないでください」
「ユウ。オレも離れたくない」
それからは喋れなかった。唇を重ねる感触がしてからは脳天が痺れて思考がストップしてしまったようだ。
わたしにとってファーストキスだった。
第十四話 『悲しみのアンジー』 の中で登場する楽曲を(YouTubeリンクで)紹介。
☆ベーシスト、ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー!映画『JACO』予告編
名だたるアーティスト達による証言が続々
https://youtu.be/dyyPgT7lJHo?si=3bB62J5KWXSx6vdV
☆『Donna Lee』
ジャズのスタンダードナンバーをジャコ・パストリアス流に料理という感じ
https://youtu.be/cX8FaFs3DZ0?si=PTqOyhIlvVg_5wze
☆『悲しみのアンジー』トーリ・エイモス
ザ・ローリング・ストーンズの名曲をカバーした歌声をライブバージョンで
https://youtu.be/p_5Cvng1wLI?si=J2Chg3kaD1fWd8h7
☆『セシル』クリスタルキング
1982年『夜のヒットスタジオ』でのパフォーマンスをニコニコ動画でどうぞ
https://www.nicovideo.jp/watch/sm29786576




