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第二十章 信じられなかった俺が、間違っていた


 壁が開いた。

 煙が出た。熱が出た。しかし——炎はもうなかった。桃色の光が残っているだけだった。

 中に入った。

 焦げた壁。焦げた床。焦げた天井。全部が黒い。しかし——崩れていなかった。燃えたのに立っていた。

 真ん中に——コノハナが座っていた。

 焦げていなかった。

 白い衣が白いまま。黒い髪が黒いまま。燃えた産屋の中で——コノハナだけが燃えていなかった。

 腕の中に——三人の赤ん坊がいた。

 泣いていた。三人とも。小さくて、赤くて、声が大きい。

 花びらが——舞っていた。

 焦げた天井から降ってくるように。産屋の中に。コノハナの周りに。何日も見なかった桃色の花びらが——戻っていた。

 コノハナが——俺を見た。

 黒い目。金色の点。揺れていた。揺れが——戻っていた。

「…………」

「…………」

 何を言えばいい。

 すまない。信じられなかった。疑っていた。お前の子が俺の子かどうか。お前の言葉を信じなかった。お前を火に追い込んだ。全部俺のせいだ。

 ——全部正しい。全部言うべきだ。しかし——全部を言ったら、言い訳になる。

 一つだけ言う。一番正確な一つだけ。

「俺が——間違っていた」

 それだけだった。

 それだけ言って——動けなくなった。

 コノハナが——笑った。

 疲れ切った顔で。火の中で子を産んだ体で。

「……知ってます」

「…………」

「最初から——知ってました」

「…………」

「でも——聞けてよかった。あなたの口から」

 膝をついた。コノハナの前に。三人の赤ん坊の前に。

「抱きますか」

「……いいのか」

「あなたの子ですから」

 一人目を受け取った。小さかった。温かかった。火の温かさではなく——命の温かさ。手の中で泣いていた。力強く。

「この子が一番最初に生まれました。——火が一番強いときに」

「…………」

「二番目がこの子。三番目がこの子。——三人とも、焼かれませんでした」

「……ああ」

「天孫の子だから。——あなたの子だから」

 抱いていた。泣いている子を。俺の子を。

 ——涙が出た。

 出た。止められなかった。天孫が泣いている。三種の神器を持つ者が。サルタビコに啖呵を切った男が。大山津見(おおやまつみ)に「娘をくれ」と言った男が。

 赤ん坊を抱いて泣いている。

 理由は分からなかった。嬉しいのか。悔しいのか。安堵なのか。全部だったのかもしれない。全部が同時に来て——涙になって出た。

「……泣いてますね」

「泣いてない」

「嘘です」

「……泣いている」

「…………」

「すまなかった」

「もういいです。——子供の前ですから」

 赤ん坊が——泣き止んだ。俺の腕の中で。泣いていた子が——黙った。俺の顔を見ていた。小さい目で。黒い目で。コノハナと同じ色の目で。

 産屋から出た。

 朝だった。二度目の朝。産屋に火がついてから——二日。

 コノハナを背負った。三人の赤ん坊を侍女と老人が抱えた。

 丘を越えた。あの木が見えた。

 花が——散っていた。

 桃色の花びらが。風もないのに。枝から離れて。舞い上がって。空に向かって。

 何日も散らなかった花が——一斉に散っていた。空が花びらで埋まった。

「……散ってますね」

「ああ」

「溜めていたんです。——散れなかった分を」

 背中で——コノハナが笑った。声だけの小さな笑い。疲れ切っている。しかし——笑った。

 集落に戻った。家にコノハナを寝かせた。三人の赤ん坊をコノハナの隣に並べた。

 すぐに眠った。コノハナも子供たちも。

 外に出た。

 丘の上に——人が立っていた。

 黒い衣。灰色の目。

 岩長比売(いわながひめ)。

「……来ていたのか」

「来ていました。——火がついたときから」

「……見ていたのか。全部」

「見ていました」

「…………」

「佐久夜(さくや)は——無事ですか」

「無事だ。——三人、生まれた」

「三人。——多いですね」

「……ああ。多い」

 岩長比売(いわながひめ)が——木を見ていた。あの木を。花びらが散っている木を。

「散りましたね。——やっと」

「ああ」

「佐久夜(さくや)の花が散るのを見ると——安心します。散るべきものが散っている。正しい」

「…………」

「天孫。——言ったでしょう。証明をさせるなと」

「……ああ。言った。お前が。——聞けなかった」

「聞けなかった。——その通りです。あなたは聞けなかった。だから佐久夜(さくや)は火に入った」

「…………」

「でも——生きていた。子供も。佐久夜(さくや)も。天孫の子だったから。——佐久夜(さくや)が正しかった。最初から」

「最初から——正しかった。俺が間違っていた」

「ええ」

 短かった。同意が。「ええ」一つ。岩長比売(いわながひめ)はいつも短い。

「私は——帰ります」

「帰る。——山に」

「山に。——父の屋敷に。岩の木の下に」

「…………」

「もう来ません。——ここには」

「…………」

「来る理由がなくなりました。佐久夜(さくや)が無事だったから。——それだけを確かめに来ました」

 岩長比売(いわながひめ)が——背を向けた。黒い衣が。

「岩長比売(いわながひめ)」

「…………」

「お前に——会えてよかった。退けたことは変えられない。しかし——お前を知れてよかった」

「…………」

「お前がいなかったら——俺は、自分が間違っていたことにも気づけなかった」

 岩長比売(いわながひめ)が——止まった。背中が見えた。動かない背中。石の背中。

「……天孫。一つだけ」

「何だ」

「永遠は——要りませんか」

「…………」

「私を退けた。永遠を退けた。あなたの命は花のように短くなった。佐久夜(さくや)も。子供たちも。——後悔はありませんか」

「……ない」

「本当に」

「ない。——短くても。花のようでも。あの三人の泣き声を聞いた。火の中で。あの声があれば——永遠は要らない」

「…………」

 岩長比売(いわながひめ)が——振り返った。

 初めてだった。この女が——振り返るのは。いつも背中を見せて去っていった。今度は——振り返った。

 灰色の目が——光っていた。泣いてはいなかった。しかし——何かが灰色の奥にあった。

「……いい答えです」

 それだけだった。

「では——永遠に帰ります。石は山にあるものですから。お元気で。——天孫」

「ニニギだ。——天孫ではなく」

「……ニニギさま」

 初めて——名前を呼んだ。岩長比売(いわながひめ)が。

 黒い衣が——丘を降りていった。山の方に。重い足取りだった。しかし——最初に会ったときより、背中が少しだけまっすぐだった。

 見えなくなった。

 花びらが舞っていた。岩長比売(いわながひめ)が去った後に。花びらは石には触れなかった。追わなかった。ただ——空に舞っていた。

 家に戻った。

 コノハナが眠っていた。三人の赤ん坊が隣で眠っていた。

 隣に座った。コノハナの手を取った。温かかった。火の名残か。命の温度か。分からなかった。

 草薙剣(くさなぎのつるぎ)を見た。壁にかけてある。鞘の中で——静かに光っていた。金色ではなかった。桃色だった。花びらの色の光が、鞘の隙間から漏れていた。

 足の裏が——温かかった。

 ずっと温かかった。産屋の壁が開いてから——ずっと。冷たくなっていた間のことが嘘のように。

 ——ありがとう。

 足の裏に向かって。大地の奥に向かって。声には出さず。

 ——疑う者は根を張れない。

 覚えている。届いた声を。

 もう疑わない。


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