第十四章 大山津見(おおやまつみ)の怒り
その夜——山が揺れた。
集落にいた。コノハナと。門前で大山津見に「連れていけ」と言われて、丘の下の集落に来ていた。老人が部屋を用意してくれた。
コノハナは侍女と一緒に寝ていた。俺は隣の部屋にいた。まだ——夫婦ではない。形式が済んでいない。地上には手順がある。
揺れた。
最初は小さかった。床が軋む程度。地震かと思った。地上には地震があると聞いた。大地が揺れる。
——大きくなった。
壁が軋んだ。天井から土が落ちた。外で犬が吠えた。子供が泣いた。
飛び出した。外に。
山が——光っていた。
大山津見の山。あの屋敷がある山。山の頂上から——茶色い光が放射状に広がっていた。大地の色の光。岩の光。
怒っている。
大山津見が——怒っている。
「……門前では許したはずだ」
「ニニギさま——」
コノハナが出てきた。侍女と一緒に。顔が白かった。
「父が——」
「分かっている。怒っている」
「許したはずなのに——」
「許したのは頭だ。——腹は許してない」
頭で「やる」と言った。しかし岩長比売を退けられた怒りは——消えていなかった。娘を「石」として差し出して、石だけ返された父親の怒り。
地面が——割れた。
集落の道に亀裂が走った。大国主が繋いだと言われた道に。
「——来る」
山の方から。何かが降りてきた。
岩だった。
大きな岩。山の一部。大山津見が——山ごと怒りを投げつけている。
「コノハナ——下がれ!」
草薙剣を抜いた。
岩が迫ってきた。集落に向かって。転がりながら。木をなぎ倒しながら。
斬れるか。斬れない。岩だ。しかし——
振った。
雲模様が——動いた。渦を巻いた。力が込み上げてきた。今度こそ。今度こそ制御して——
——暴発した。
また。
金色の光が剣から噴き出した。前回より強い。嵐の残滓。制御なしの力。
光が岩に当たった。岩が——砕けた。粉々に。
砕けた破片が——飛び散った。
全方向に。
「——うわっ」
俺の頭の上を岩の破片が飛んでいった。
「きゃっ」
コノハナが侍女に引き倒された。破片が頭上を過ぎた。
集落の家の屋根に破片が落ちた。穴が開いた。
老人の家の壁に破片が刺さった。
「何じゃ——何が起きた——」
老人が家から飛び出した。壁に岩が刺さっている。
「すまない——俺の剣が——」
「天から来た人——あんた何をしとる——」
「岩を——斬ったら——飛び散った」
「斬るなら方向を考えんか!」
正論だった。
二つ目の岩が来た。山の方から。もっと大きい。
——斬れない。斬ったらまた飛び散る。集落に被害が出る。
「コノハナ! 村人を連れて離れろ!」
「でも——」
「離れろ!」
コノハナが動いた。侍女と一緒に。村人を集めて——丘の反対側に。
岩が来た。
斬らない。避ける。横に跳んだ。岩が道を転がって——田に突っ込んだ。水が跳ねた。田が潰れた。
三つ目。四つ目。
大山津見は山ごと怒っている。山の岩を——次々に投げてくる。
走った。集落から離れた。丘の方に。岩を集落から逸らすために——自分が動く。俺が動けば岩は俺を追う。大山津見の標的は俺だから。
丘の上に着いた。あの木の下。コノハナの木。
——岩が来た。大きい。今までで一番大きい。丘ごと潰す気か。
剣を構えた。暴発させるわけにはいかない。集落から離れたが——コノハナたちが丘の裏にいる。
斬るな。サルタビコに言われた。暴発させるな。守りたいものを壊す。
しかし——避けたら丘の裏に転がっていく。コノハナの方に。
斬らなければならない。しかし暴発させてはならない。
——制御しろ。
足を踏ん張った。土を掴んだ。あの感覚。サルタビコと戦ったときの感覚。足の裏が土を掴む。
頼む。
剣に言った。心の中で。
斬るんじゃない。受け止めてくれ。——この岩を。
雲模様が——動いた。
光が出た。金色。しかし——前回と違った。噴き出すのではなく、刃の表面を覆うように。雲が刃に沿って流れている。
岩がぶつかった。
剣で受けた。腕が軋んだ。足が沈んだ。土の中に膝まで。
——止まった。
岩が——止まった。剣の上で。金色の光が岩を包んでいた。嵐ではなかった。壁だった。風の壁が岩を受け止めていた。
重い。重い。腕が砕けそうだ。しかし——止まっている。飛び散っていない。受け止めている。
岩を——横に流した。剣を傾けて。岩が滑って——丘の横を転がっていった。草原に落ちた。誰もいない場所に。
「…………」
膝まで土に沈んでいた。剣が震えていた。腕が震えていた。
しかし——制御した。暴発しなかった。飛び散らなかった。
山を見上げた。大山津見の山。
揺れが——止まっていた。
五つ目の岩は来なかった。
「…………」
来ない。止まった。
なぜ止まった。
——声がした。山の方から。遠くから。大山津見の声。地鳴りのような声。
「……受け止めたか。」
遠いのに聞こえた。山の神の声は山を通じて届く。
「…………」
「斬らずに——受け止めたか。」
「……ああ」
「佐久夜の方に流さなかったな。」
「当然だ」
沈黙。長い沈黙。
「……怒りは消えない。——しかし、もう投げない。」
「…………」
「岩長比売のことは——俺が抱える。お前には渡さない。お前は佐久夜を抱えろ。」
「……ああ」
「潰した田を直せ。——お前が壊したものだ」
また言われた。壊したものを直せ。サルタビコにも言われた。同じことを。
山の光が消えた。夜に戻った。星が出ていた。虫の声が戻ってきた。
膝まで沈んだ土から足を引き抜いた。丘の裏に回った。
コノハナが——走ってきた。
「ニニギさま——無事ですか——」
「無事だ」
「血が——腕から——」
見た。右腕から血が出ていた。岩を受けたときに——皮が裂けていた。痛みは今になって来た。
「……大したことはない」
「大したことあります」
コノハナが衣の袖を裂いた。俺の腕に巻いた。白い布が赤く染まった。
「……もったいないだろう。袖を」
「袖より腕の方が大事です」
「…………」
老人が来た。
「天から来た人。——田が一枚潰れた。屋根にも穴が開いた」
「……すまない」
「すまないで済むなら神はいらんのじゃが。——まあいい。直せるか」
「直す。——手で」
「手で。——いい心がけじゃ。明日の朝から来い」
老人が帰っていった。
侍女が来た。
「お嬢さま。お戻りください。もう遅い時間です」
「はい。——ニニギさま」
「何だ」
「……父が投げた岩を——受け止めてくれて。ありがとうございます」
「……受け止めただけだ。斬れなかった」
「斬らなかったのでしょう。——飛び散るから」
「…………」
「分かっています。——最初の岩で、飛び散って大変だったのを見ました。だから次から斬らなかった。受け止めた。——私たちの方に流さないように」
見ていたのか。全部。
「……ニニギさま。草薙剣が——少し光りましたね。金色に」
「……ああ。少しだけ」
「きれいでした」
きれいだった——のか。岩を必死で受け止めているときに見えた光が。
コノハナが侍女と一緒に去っていった。
丘の上に一人残った。
右腕にコノハナの袖が巻いてある。白い布。赤い血。
草薙剣を見た。沈黙している。雲模様は止まっている。
しかし——さっき、制御した。暴発ではなかった。噴き出したのではなく、刃に沿わせた。受け止めるために。
斬るためではなく——守るために。
サルタビコの言葉を思い出した。「守ると決めた者に応える」。
守ると——決めたのか。俺は。いつの間に。
考える前に体が動いていた。コノハナの方に岩が転がらないように。集落に破片が飛ばないように。
考えていなかった。体が動いた。
動いてから分かる。サルタビコはそう言った。
——分かり始めている。




