第48話 夜の荷
「封をした荷を、日が落ちてから運んだことはあるか?」
新吉の表情が止まった。
返事はない。
少し離れたところでは、久七が別の手代に荷の置き場所を指示している。
新吉の視線が一瞬、横へ逃げた。
それから、恒一郎へ戻る。
「……あります」
庄兵衛の眉が動いた。
綾乃はすぐに店の奥へ目を向けた。
「ここでする話ではありませんね」
それから久七を呼ぶ。
「久七さん」
「はい」
「こちらはもう大丈夫です。荷出しをお願いします」
「承知しました」
久七は近くの手代へ声を掛け、そのまま仕事へ戻った。
「新吉さん。こちらへ」
「……はい」
◇ ◇ ◇
店の奥にある小部屋へ移った。
四人が入ったところで、綾乃が戸を閉める。
新吉は座ったものの、膝の上に置いた手を落ち着きなく握っていた。
恒一郎は向かいへ座る。
「さっきの話から聞く。何を運んだ?」
「……荷です」
「どんな荷だ」
新吉が口を閉じる。
「封をしたあとか?」
「はい」
綾乃の目がわずかに細くなる。
「どこへ運んだのです?」
「作業場です」
庄兵衛が新吉を見る。
「封を終えた荷をか」
「……はい」
「何のためにだ」
新吉は答えなかった。
恒一郎が聞く。
「誰に言われた?」
今度の沈黙は、さっきより長かった。
「新吉」
庄兵衛の声は低かったが、怒鳴ってはいない。
「聞かれたことに答えろ」
新吉の喉が動く。
「……久七さんです」
庄兵衛の顔から表情が消えた。
「久七が?」
「はい」
「何と言われた」
「荷造りに手直しがあるから、作業場へ戻しておけ、と」
綾乃が尋ねる。
「封は?」
「切ってません」
「あなたが作業場へ置いたのですね?」
「はい」
「そのあとは?」
「戻れと言われました」
「誰に?」
「久七さんです」
庄兵衛が何か言おうとした。
恒一郎が先に口を開く。
「まだ、それだけだ」
庄兵衛がこちらを見る。
「久七が荷を戻すよう指示した。それは分かった。だが、それだけで何をしていたかまでは分からない」
「……そうですな」
庄兵衛は一度息を吐き、黙った。
綾乃は新吉へ向き直る。
「一度だけですか?」
「……いいえ」
「何度?」
「三度……いや、四度だったと思います」
「いつです?」
「そこまでは……」
新吉が俯く。
「全部は覚えてません」
綾乃は責めなかった。
「思い出せる範囲で結構です。どの荷だったかは?」
「箱なら、いくつかは」
「あとで確認します」
綾乃は迷いなく答えた。
「ほかにありますか?」
「……ほか?」
「運ぶ以外に、何か頼まれませんでしたか」
「ありません」
答えは早かった。
恒一郎はその顔を見た。
「箱を開けたことは?」
「ありません」
「誰かが中身に触れているところは?」
「見てません」
今度も迷いはない。
恒一郎は少し間を置いた。
「新吉」
「……はい」
「まだ何かあるな」
「ありません」
返事は早い。
「じゃあ、何でそこで迷った」
新吉は答えない。
恒一郎は急かさず待った。
膝の上で、新吉の手だけが強く握られていく。
「新吉さん」
綾乃の声が飛ぶ。
「知っていることは全部話してください」
沈黙が続いた。
やがて、新吉が口を開いた。
「……金を」
庄兵衛が顔を上げる。
「何?」
「久七さんから……金をもらいました」
綾乃の目が鋭くなる。
「いつです?」
「荷を運んだあとです」
「毎回ですか?」
「毎回じゃありません。二度……いや、三度です」
「どのくらい?」
「ほんの少しです。酒代になるくらいで……」
「何と言って渡されたのです?」
「遅くまで働かせたからって」
新吉が俯く。
「酒でも飲めって」
「店からの手当ではありませんね」
「……はい」
「久七さん個人から?」
「はい」
綾乃は新吉から目を逸らさなかった。
「店の仕事をしただけなら、店とは別に久七さんからお金を受け取る理由はありません」
新吉の顔が強張る。
「それは……」
庄兵衛の手が膝の上で動いた。
「なら、なぜ言わなかった」
「庄兵衛さん」
綾乃が止める。
「先に聞きます」
庄兵衛は何も言わず、口を閉じた。
綾乃は新吉へ向き直る。
「知らないことまで答える必要はありません」
新吉が顔を上げる。
「ただし、知っていることは全部話してください」
「……はい」
「あなたは、その荷がおかしなことに使われていると思っていましたか?」
「そこまでは……」
「では、何がおかしいと思ったのです?」
新吉はすぐには答えられなかった。
「夜に……わざわざ戻すのに」
絞り出すように言う。
「何の手直しかは、聞いても教えてくれなくて」
「聞いたのですか?」
「一度だけです」
「久七さんは?」
「いいから運べ、と」
新吉が唇を噛む。
「それで……金まで渡されて」
綾乃は静かに聞いた。
「それでも続けた」
「……はい」
恒一郎が口を開く。
「頼まれたから運んだ。それだけなら、何で金を受け取った?」
新吉は何も言えなかった。
「普通の仕事じゃないとは思ってたんだろ」
「……はい」
返事は小さかった。
「でも」
新吉が顔を上げる。
「箱の中に何かしてるなんて、本当に知りませんでした」
「そこまで知ってたとは言ってない」
「俺は運んだだけです。箱の中には触ってません」
「分かってる」
新吉が戸惑った顔をした。
「全部知ってる顔じゃないな」
庄兵衛が恒一郎を見る。
綾乃も何も言わない。
「だが、何も知らなかった顔でもない」
新吉の視線が落ちた。
「……はい」
「そこは分けて考える」
恒一郎はそれ以上責めなかった。
綾乃が膝元に置いていた紙を引き寄せた。
「運んだ荷を確認します」
「はい」
「四度ほど、と言いましたね」
「たぶん……」
「順番に思い出しましょう。季節でも、客先でも、箱の大きさでも構いません」
綾乃が一つずつ聞いていく。
新吉も、途切れながら答えた。
すべてではない。
それでも、二つについてはどの荷だったか見当がついた。
「この二つは確認できます」
綾乃が紙へ印をつける。
「残りも、出荷の日と夜の仕事を照らせば絞れるかもしれません」
庄兵衛が低く言った。
「久七を呼びますか」
新吉の肩がわずかに揺れた。
恒一郎は首を振る。
「今はいい」
「しかし」
「新吉の話だけで聞いても、違うと言われればそれまでだ」
庄兵衛が黙る。
「先に、どの荷が夜に動いたのか確かめる」
綾乃が頷く。
「問題になった品と重なるかを見るのですね」
「ああ」
「分かりました」
綾乃はすぐに紙をまとめた。
「帳面だけでは追えません。でも、出荷した日と作業の日、それに新吉さんの話を重ねれば、絞れるはずです」
そこで、新吉が顔を上げた。
「あの」
「何です?」
「俺は……どうなりますか」
綾乃は答えなかった。
庄兵衛も黙っている。
恒一郎は新吉を見る。
「それを決めるのは俺じゃない」
新吉の顔が曇る。
「ただ」
恒一郎は続けた。
「まだ話してないことがあるなら、今のうちに話した方がいい」
「……ありません」
今度の返事は早かった。
恒一郎はそれ以上聞かなかった。
夜に作業場へ戻された荷。
その指示を出したのは久七。
だが、まだ足りない。
荷を動かした者は分かった。
次に見るべきは、その荷へ誰が手を触れたのかだ。
恒一郎は綾乃の紙へ目を落とした。
「久七には、まだ何も聞くな」
「ええ」
綾乃は迷わず頷いた。
「先に、こっちを確かめよう」




