第47話 誰が動かす
「これを使いましょう」
綾乃が用意させたのは、今日これから出す予定の荷だった。
すでに蓋は閉じられ、紐が掛かり、封紙には白峰屋の印が押されている。
恒一郎が先ほど調べていた箱と同じ状態だ。
「出荷までの流れを、実際に見た方が早いと思います」
「ああ。その方がいい」
綾乃はすぐに店の者を呼ばせた。
しばらくして現れた男は、五十をいくらか過ぎた頃に見えた。
背筋は伸び、歩みに無駄がない。
恒一郎を見る目には、わずかに警戒があった。
「大番頭の庄兵衛です」
綾乃が言った。
庄兵衛が軽く頭を下げる。
「お話は伺っております」
「先ほど調べた箱に、蓋とは別の場所から手を入れた跡が見つかりました」
綾乃が続ける。
「封をしたあとに、中身を入れ替えられた可能性があります」
庄兵衛の表情がわずかに変わった。
「封をしたあとに、ですか」
「ええ」
「それで、店の中の荷の動きまでお調べになると」
「ああ」
恒一郎が答える。
「細工できる腕があっても、封をしたあとの箱に触れられなきゃ意味がない。だから、まず荷の動きを見たい」
庄兵衛はしばらく黙っていた。
「調べる必要があることは承知しました。ただ、商いの内側を外の方へお見せするとなりますと、少々気にもなりましてな」
「私がお願いしました。父にも話は通しています」
綾乃が答える。
「承知しております」
庄兵衛は綾乃へ頭を下げた。
「ですから、止めるつもりはございません。店の者まで調べるとなれば、先に知っておきたかっただけです」
「疑う相手を決めるためじゃない」
恒一郎が言った。
「まず、どう動かせたのかを見たい」
「なるほど」
庄兵衛は短く頷いた。
「ならば、隠すことはございますまい」
作業場の外へ顔を向ける。
「久七」
「はい」
すぐに一人の男が姿を見せた。
三十代の終わり頃だろう。
庄兵衛より柔らかな物腰だが、受け答えにも動きにも迷いがない。
「封を終えた荷がどこを通るか、この方に見ていただく。いつも通りでいい」
「分かりました」
久七は恒一郎へ軽く頭を下げると、箱を見た。
「これは今日の荷ですね」
「ええ」
「でしたら、このあと出荷待ちへ回します」
「誰が運ぶ?」
恒一郎が聞く。
「その時に手の空いている者です。若い者が多いですね」
久七が作業場の外へ目を向ける。
「新吉」
「はい」
呼ばれて、若い男が入ってきた。
二十を少し過ぎたくらいに見える。
「これをいつもの場所まで頼む」
「分かりました」
新吉が箱の前へしゃがむ。
箱へ手を掛けたところで、久七が言った。
「急がなくていい。品を傷めるな」
「はい」
新吉は箱を持ち上げた。
慣れた動きだった。
久七が先に歩き、恒一郎と綾乃が続く。
その後ろを、新吉が箱を抱えてついてきた。
作業場を出て廊下へ入る。
何人かの店の者とすれ違ったが、新吉の持つ荷を気に留める者はいない。
久七が足を止めた。
「封を終えた荷は、ひとまずここへ置きます」
店の奥、出荷前の荷がいくつもまとめられている。
「ここから、出す順に表へ回します」
新吉が箱を下ろした。
恒一郎は周囲を見た。
店の者が出入りし、荷も運ばれていく。
「ここから動かすのは、誰の判断だ?」
「普段は私か久七です」
庄兵衛が答える。
「主人や綾乃様から直接申し付けることもございます」
「なるほど」
「新吉」
「はい」
「今みたいに荷を運べと言われたら、毎回中身まで確かめるか?」
「いえ。どの荷を、どこへ運ぶかは確かめますが、中までは」
恒一郎は床の箱を見る。
「ここまで来た箱が、作業場へ戻ることは?」
「あります」
綾乃が答えた。
「箱や荷造りに不具合があれば」
久七も頷く。
「滅多にはありませんが。紐の掛け方が悪かったり、箱そのものに不具合が見つかったりすれば戻します」
「封をしたあとでも?」
「中を開ける必要がなければ、そのまま戻します」
「封を切る必要があるものは?」
「中身をもう一度確かめます」
久七が答えた。
「直したあと、もう一度品と量を確認して、改めて封をします」
綾乃の視線が、無傷の封紙へ移った。
「封を切れば、そこでまた中身を確かめることになる」
「戻すかどうかは?」
「気づいた者が知らせます」
久七が答える。
「庄兵衛さんか私が確かめて、直す必要があると判断すれば戻します」
「その記録は?」
庄兵衛の眉がわずかに動いた。
「そこまではつけておりません」
「帳面にも?」
綾乃が聞く。
「品が増えたわけでも減ったわけでもございませんので」
綾乃が黙った。
床に置かれた箱へ目を落とす。
「……帳面には、残らない」
恒一郎は続きを待った。
「倉へ入れた数も、客へ出した数も残ります。でも、店の中で動かしただけなら数は変わらない」
綾乃が顔を上げた。
「封をしたあと、作業場へ戻しても、帳面は合います」
庄兵衛が難しい顔をした。
「ですが、それだけで何かあったとは」
「分かっています」
綾乃はすぐに返した。
「戻すことがおかしいのではありません」
一度、箱を見る。
「問題は、戻したこと自体を帳面から追えないことです」
少し間を置く。
「その移動に紛れて箱へ細工されても、数字だけ見ていたら分からない」
庄兵衛は反論しなかった。
しばらく箱を見つめ、それから荷置き場へ目を向けた。
「日が落ちてからも、作業場を使ったり、荷を動かしたりすることはあるのか?」
恒一郎が聞いた。
「ございます。急ぎの荷もありますし、その日のうちに片づけねばならぬ仕事もございます」
「封をした荷も?」
「普通は、そのまま出荷を待ちます」
久七が答える。
「ただ、紐や箱の手直しがあれば別です」
「なるほど」
恒一郎が言った、その時だった。
少し離れたところで紐をまとめていた新吉の手が止まった。
ほんの一瞬。
指の動きが止まり、すぐにまた動き出す。
庄兵衛も久七も、新吉を見ることはなかった。
恒一郎は新吉へ目を向ける。
「新吉」
「……はい」
若い手代が顔を上げる。
「一つ聞きたい」
恒一郎は、その顔をまっすぐ見た。
「封をした荷を、日が落ちてから運んだことはあるか?」
新吉の表情が止まった。




