第43話 一緒にいたい
祭りが終わるころには、境内を埋めていた人の波もすっかり細くなっていた。
笛も三味線も止み、片付けに入った神社の者たちが、参道の灯籠を一つずつ消していく。
御池へ続く水辺の奥だけは、灯りを入れないままにしてあった。
小夜も巫女としての仕事をひとまず終え、神社脇の道を実家へ戻った。
◇ ◇ ◇
「また出るの?」
家へ戻った小夜に、志津が声をかけた。
「はい。恒一郎様に、お話ししたいことがあります」
志津が小夜の顔を見る。
「そう」
「……何も聞かないんですか?」
「話したくなったら、聞くわよ」
小夜が少しだけ目を丸くする。
その向こうで、清十郎が口を開いた。
「志堂殿には、祭りでも世話になったな」
「はい」
「だが、お前もよくやった」
「……はい」
「行ってこい。待たせてるんだろう」
「はい」
志津も静かに笑う。
「気をつけて行ってらっしゃい」
「はい」
小夜は二人に頭を下げ、家を出た。
◇ ◇ ◇
小夜が鳥居の近くまで戻ると、恒一郎はまだそこにいた。
朱莉も一緒だ。
「恒一郎様」
声をかけると、恒一郎が振り向いた。
「もういいのか?」
「はい。お待たせしました」
「いや」
小夜は一度朱莉を見た。
それから恒一郎へ向き直る。
「あの……先ほどお願いしたお話なのですが」
「ああ」
「恒一郎様と、少しだけお話ししたいです」
朱莉が小夜を見る。
それから恒一郎へ視線を移した。
「私はそろそろ戻るわ」
「もう帰るのか?」
「祭りも終わったもの。いつまでも神社にいても仕方ないでしょう?」
「送るぞ」
「いいわよ。まだ祭り帰りの人もいるし、ここからなら大丈夫」
朱莉はそう言うと、小夜を見た。
「じゃあね、小夜」
「……はい。お疲れさまでした、朱莉さん」
朱莉は軽く手を振り、参道の方へ歩いていく。
途中で一度だけ振り返った。
恒一郎と目が合う。
何も言わず、少しだけ笑って、そのまま人影の残る参道へ消えていった。
小夜はその背中を少しだけ見送った。
「歩くか?」
恒一郎が言う。
「はい」
二人で、神社から続く道をゆっくり歩き始めた。
ところどころに、祭り帰りの灯りが見える。
しばらく小夜は何も言わなかった。
恒一郎も急かさない。
やがて、小夜が足を止めた。
「恒一郎様」
「ああ」
「私、お伝えしたいことがあります」
両手を前で重ねたまま、小夜が恒一郎を見る。
「私、何かあると、すぐ一人でやろうとしてしまうでしょう?」
「そうだな」
「でも恒一郎様は、いつも一緒にやろうと言ってくださいました」
小夜は少しだけ笑った。
「今日も、助かったと言ってくださいました」
「あれは本当だぞ」
「はい」
小夜がうなずく。
「それが……嬉しかったんです」
夜風が二人の間を抜けていく。
「今日、祭りが終わって思いました」
小夜は一度目を伏せた。
「これで、恒一郎様と一緒に動く理由もなくなるのかな、と」
恒一郎が小夜を見る。
「そう思ったら……嫌でした」
小夜が顔を上げる。
「もっと一緒にいたいと思いました」
声は小さかった。
それでも、はっきり届いた。
「朱莉さんのことも分かっています」
「ああ」
「朱莉さんとのことを、やめてほしいわけではありません」
小夜は胸元で手を握った。
「それでも、私の気持ちまで、なかったことにはしたくありません」
恒一郎から目を逸らさない。
「私は、恒一郎様が好きです」
言い切ると、小夜はようやく息を吐いた。
恒一郎はしばらく小夜を見ていた。
「朱莉とのことを知っていて、それでもか?」
「はい」
間はなかった。
「それでも、です」
恒一郎は小さく息を吐いた。
「俺も、小夜と一緒にいたい」
小夜が目を見開く。
「……本当に?」
「ああ」
「朱莉とのことは、このままだ」
「はい」
「それでも、小夜にもそばにいてほしい」
小夜は何も言えず、恒一郎を見ていた。
やがて、その口元が少しだけ緩む。
「……よかった」
恒一郎も笑った。
少しだけ静かな時間が流れる。
「恒一郎様」
「ん?」
小夜が一歩近づく。
そして、恒一郎の袖をそっとつまんだ。
「今夜……もう少し、一緒にいてもいいですか?」
恒一郎は迷わなかった。
「ああ」
小夜の手に自分の手を重ねる。
恒一郎が顔を寄せると、少し遅れて小夜が目を閉じた。
唇が触れる。
ほんの短い口づけだった。
離れたあと、小夜はしばらく何も言わなかった。
「……これも、思っていたより緊張しますね」
「そういうものだろ」
小夜が少しだけ目を細める。
「恒一郎様は慣れていそうです」
「そういう言い方をするのか」
「事実では?」
「否定しづらいな」
小夜が小さく笑った。
「行くか」
「……はい」
二人は並んで、恒一郎の家へ向かった。
◇ ◇ ◇
家の前まで来ると、小夜の足がほんの少し遅くなった。
恒一郎が戸を開ける。
小夜は開いた戸の向こうを見た。
一度だけ後ろを振り返る。
遠くに、水守神社の灯りがわずかに見えていた。
それから前を向き、自分の足で敷居を越える。
「お邪魔します」
「今さらか?」
「こういう時は言うものです」
「そういうものか」
「そういうものです」
恒一郎が戸を閉める。
小夜は少し落ち着かない様子で部屋を見回した。
恒一郎が近づく。
「小夜」
「はい」
「無理はするなよ」
小夜は恒一郎を見る。
少しだけ困ったように笑った。
「無理ではありません」
そして、さっきよりも近くへ来る。
「私が来たんです」
「ああ」
恒一郎は小夜を抱き寄せた。
今度の口づけは、先ほどより長かった。
小夜は少し緊張した様子だったが、やがて恒一郎の衣をそっと掴んだ。
その夜、小夜は実家へ戻らなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
恒一郎が目を覚ますと、小夜はすでに起きていた。
隣で横になったまま、妙にきちんと布団を胸元まで掛けている。
「起きてたのか」
「……少し前に」
「眠れたか?」
小夜がわずかに目を逸らした。
「少しだけ」
「それは悪かった」
「そういう意味ではありません」
すぐに返ってきた。
「ただ、その……いろいろ考えてしまって」
「後悔したか?」
小夜が恒一郎を見る。
「していません」
それだけは、はっきりしていた。
恒一郎はうなずく。
「ならいい」
「はい」
小夜はそう答えてから、少し恥ずかしそうに笑った。
やがて起き上がり、身支度を始める。
「もう戻るのか?」
「朝の支度がありますので。神社にも顔を出さないと」
「そうか」
「巫女ですから」
当然のことを言うような顔だった。
恒一郎もそれ以上引き止めない。
身支度を終えた小夜は、戸口で一度足を止めた。
「恒一郎様」
「ん?」
少し迷ってから、小夜が尋ねる。
「また……来てもいいですか?」
「ああ。いつでも来い」
小夜の顔が、すぐに明るくなった。
「では、次はお菓子を持ってきます」
「自分で食う分も忘れるなよ」
「忘れません」
「そこは即答なんだな」
「大事なことですから」
小夜が笑う。
そして戸を開けた。
「行ってきます」
「ああ。行ってこい」
小夜は朝の道へ出ていった。
角を曲がる前に一度だけ振り返る。
恒一郎がまだ戸口にいるのを見ると、少し笑って頭を下げた。
それから今度こそ、水守神社へ向かって歩いていった。




