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人の尻拭いばかりしていた俺、江戸風異世界で「すべて」が見えるようになったので、二度目の人生は好きに生きる  作者: 若松あ太郎
序章 今度は、俺が選ぶ

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第3話 止まれと言ったら、本当に止まった

「――止まれ」


 恒一郎の声が、街道に響いた。


 次の瞬間。


 三人の男が、ぴたりと動きを止めた。


「……は?」


 恒一郎は目を瞬いた。


 刀を振り上げた男。


 横から斬りかかろうとしていた男。


 背後へ回り込もうとしていた男。


 三人とも、妙な格好のまま固まっている。


 いや。


 時が止まったわけではない。


 目は動いている。


 呼吸もしている。


 額には汗まで浮かんでいる。


 ただ、身体だけが動かない。


「な、なんだ……!」


「か、身体が!」


「動かねえ!」


 男たちが口々に叫ぶ。


 恒一郎はしばらく黙っていた。


「……本当に止まったな」


 自分で言っておいて、本人が一番驚いていた。


『世界の方を、お前に従わせてみるがいい』


 あの白衣の存在が言っていた言葉。


「そういう意味なのか……?」


 野盗たちも、何が起きたのか理解できていないらしい。


「てめえ、何しやがった!」


「何って……」


 恒一郎は固まった三人を見る。


「止まれって言っただけだけど」


「そんなわけあるか!」


「俺もそう思う」


 思わず素で返した。


 朱莉も言葉を失っていた。


 先ほどまでの強気な表情は消え、目を大きく見開いている。


「あなた……いったい……」


「ちょっと待ってくれ」


 恒一郎は片手を上げる。


「俺も今、驚いてるところだから」


「自分でやっておいて?」


「だから困ってるんだよ」


 朱莉が呆れたような顔をする。


 だが、その目には明らかな警戒も混じっていた。


 当然だろう。


 目の前で、刀を振り上げた男たちを一言で止めたのだ。


 助かったと思うより先に、得体の知れなさを感じてもおかしくない。


「くそっ!」


 林の中から声がした。


 隠れていた二人が飛び出してくる。


「兄貴たちから離れろ!」


 短刀を手に、左右へ分かれた。


 同時に、さっき手首を捻った痩せた男も刀を拾い上げる。


 残った男たちが一斉に恒一郎を囲んだ。


「殺せ!」


 誰かが叫ぶ。


 だが。


 恒一郎にはもう、まったく怖くなかった。


 右。


 左。


 後ろ。


 誰が先に踏み込み、誰が怯えているのか。


 どの刃がどこを通るのか。


 全部、見えている。


 しかも。


 一人ずつ相手をする必要すらないらしい。


「……なるほどな」


 恒一郎は小さく息を吐いた。


 一度目の人生では。


 いくら言っても、人はなかなか言うことを聞かなかった。


 無茶な仕事を断っても押しつけられた。


 理不尽だと言っても何も変わらなかった。


 世界はいつだって、自分の都合など知ったことではなかった。


 それが今は。


 たった一言で、世界の方が動きを変える。


「ずいぶん極端な二度目だな」


「何ぶつぶつ言ってやがる!」


 痩せた男が踏み込んだ。


 恒一郎は七人を見回す。


 そして、静かに言った。


「帰れ」


 一瞬。


 何も起きなかった。


 ――ように見えた。


「……え?」


 痩せた男の顔が引きつる。


 その身体が、勝手に恒一郎へ背を向けた。


「お、おい!」


 別の男も踵を返す。


「なんだ、これ!」


「足が勝手に!」


 固まっていた三人の身体も動き出した。


 だが、恒一郎へ向かってではない。


 街道の先へ向かって走り始める。


「待て!」


「止まれねえ!」


「兄貴!」


 七人揃って、ものすごい勢いで逃げていく。


 いや。


 本人たちは逃げたいわけではないらしい。


 必死に足を踏ん張ろうとしているのに、身体は勝手に先へ進んでいく。


「うわああああ!」


 叫び声を残し、野盗たちは街道の向こうへ消えていった。


 静寂が戻る。


 風が草を揺らす。


 鳥の声が聞こえた。


 恒一郎はしばらくその背中を見送っていた。


「……帰れ、まで効くのか」


 自分で言っておきながら、やはり実感が追いつかない。


 見れば、分かる。


 言えば、従う。


 まだそれだけしか分からない。


 だが、それだけでも十分おかしい。


「あなた」


 背後から朱莉の声がした。


 振り返る。


 朱莉は恒一郎をじっと見ていた。


 命を助けられた安堵。


 驚き。


 そして、それ以上の警戒。


 さまざまな感情が、その目の奥で揺れている。


「……本当に何者なの?」


「それ、今日二回目だな」


「答えてもらってないもの」


「俺も答えを知らない」


「そんな話、信じろっていうの?」


「信じなくていいよ」


 恒一郎は肩をすくめる。


「少なくとも、あいつらの仲間じゃない。それで今は十分だろ?」


 朱莉はしばらく黙っていた。


 やがて。


「……そうね」


 ほんの少しだけ、表情を緩める。


「少なくとも、私を攫いに来た男ではなさそう」


「残念ながらな」


「あら。残念なの?」


「そこは今後の付き合い次第だ」


「ずいぶんな人ね」


 朱莉の口元が、薄布の向こうでわずかに笑った。


 ほんの一瞬。


 それまで張り詰めていた空気が緩む。


 恒一郎もつられて笑った。


「それより」


 朱莉が突然、顔色を変えた。


「みんな!」


 倒れている三人へ駆け寄る。


 恒一郎も後を追った。


 三人とも生きている。


 それは最初から分かっていた。


 だが、近くで見ると、一人の傷が思った以上に深かった。


 腕を斬られた男だ。


 着物の袖が赤く染まり、血が地面へ滴っている。


「しっかりして!」


 朱莉が傷口を押さえる。


「町まで戻れば医者がいるわ。誰か、駕籠を――」


 そこで言葉が止まった。


 倒れた駕籠。


 傷ついた供の者たち。


 自分一人。


 どう考えても、すぐに町まで運べる状況ではない。


「まずいわね……」


 朱莉の声から、先ほどまでの余裕が消えた。


 恒一郎は男の傷を見る。


 すると。


 まただった。


「……」


 傷口が、妙に鮮明に見える。


 切れた皮膚。


 その奥。


 どこから血が流れ出しているのか。


 どの辺りまで傷が届いているのか。


 医者でもない自分が、なぜそんなことを理解できるのか。


 分からない。


 だが。


 分かってしまう。


「あなた?」


 朱莉が恒一郎を見る。


「どうしたの?」


「いや……」


 恒一郎は傷口から目を離さない。


 先ほど。


 人間に「止まれ」と言った。


 すると身体が止まった。


 なら。


 この流れ出る血にも、同じ言葉は届くのだろうか。


 試していいものなのか。


 相手は生きた人間だ。


 野盗相手に試すのとはわけが違う。


「……」


 一瞬、ためらった。


 だが。


 男の顔色が、目に見えて青くなっていく。


「このままじゃ危ないわ」


 朱莉が小さく言った。


 なら。


 何もしないよりはいい。


「悪い」


 恒一郎は傷ついた男のそばへしゃがみ込む。


「少しだけ、俺に試させてくれ」


「試すって、何を?」


「俺にも分からない」


「ちょっと」


「でも――」


 恒一郎は傷口へ手を伸ばした。


 朱莉が息を呑む。


 流れ続ける血を見つめる。


 そして。


 短く言った。


「――止まれ」


 次の瞬間。


 傷口から流れ続けていた血が。


 ぴたりと止まった。

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