第24話 荷を置く場所ではなかった
幌付きの荷車は、そのまま白波宿の方角へ遠ざかっていった。
恒一郎は追わなかった。
木立の陰から姿を現すと、荷車が出てきた古道へ視線を戻す。
草に半ば埋もれた道には、新しい車輪跡が残っている。荷車が通る高さだけ枝が折られ、坂になった場所には新旧の車輪跡が重なっていた。
見た目ほど、捨てられた道ではない。
恒一郎は古道へ入った。
しばらく進むと、木々の向こうに少し開けた場所が見えた。
恒一郎は足を止める。
古びた小屋が一つ。
その脇には、馬を繋ぐためらしい粗末な柵がある。
昔は道を行く者が休む場所だったのかもしれない。屋根は色褪せ、板壁も黒ずんでいた。
それだけなら、とうに使われなくなった小屋に見える。
だが、戸口の周りにはいくつもの足跡が重なっている。
柵のそばには、まだ新しい馬糞が落ちていた。
恒一郎は道を外れ、木立の中へ入った。
小屋の前に男が二人いる。
一人は馬の脚を確かめていた。もう一人は桶を持ち、小屋の脇と井戸らしい場所を行き来している。
どちらも刀を差してはいない。
荒事を専門にする者というより、馬や荷車を扱う仕事に慣れているように見えた。
恒一郎は近づかず、木々の隙間から様子を見る。
男が戸を開けた。
中に人影はない。
荷を積み上げた様子もない。
男は水を汲んだ桶を小屋へ運んだ。
「今朝のは?」
馬を見ていた男が言った。
「もう出した」
「早かったな」
「受ける方が急がせたんだろ」
それだけ言うと、男は馬へ水を飲ませ始めた。
「今朝の」という言葉が、恒一郎の耳に残った。
何を指しているかまでは分からない。
だが、白波宿から来た三人が、この古道へ向かった可能性は高い。
恒一郎はさらに様子を見た。
やがて二人とも、小屋の裏手へ回っていく。
恒一郎は木立を抜けた。
足音を抑え、小屋の脇まで近づく。
戸は少し開いたままだった。
中を覗く。
荷を置く棚はない。
米俵や木箱も見当たらない。
代わりに床には、丸めた薄い敷物が何枚か置かれていた。
壁際には水桶。
戸口の端には草履が並んでいる。
男物よりひと回り小さく、細いものが三足。
大きさは少しずつ違った。
恒一郎は目を細めた。
荷を置く場所にしては、荷を置く設備がない。
だが、人をしばらく休ませるには都合がいい。
「……荷を置く場所じゃないな」
小さく呟き、恒一郎はすぐ木立へ戻った。
ほどなく男たちが戻ってくる。
「次は?」
「日が傾く前には来る」
「遅れるなよ。こっちで待たされるのは御免だ」
男はそう言って、桶を地面へ置いた。
恒一郎は二人ではなく、小屋の前へ視線を向ける。
車輪跡が何本も重なっている。
白波宿側から入ってきた跡と、古道のさらに奥へ伸びる跡では重なり方が違う。
車輪の幅も同じではない。
蹄跡にも違いがある。
同じ荷車が、そのまま先まで走っているわけではなさそうだった。
ここで荷車を替えている可能性は高い。
この小屋は、ただの休憩場所ではない。
恒一郎は男たちへ視線を戻した。
二人を押さえるのは難しくない。
だが、今ここで騒げば、「次」が来なくなる。
それに、受け渡しだけを任されている連中なら、捕まえても先のことまで知っているとは限らない。
恒一郎はそのまま木陰に残った。
今ここで動くより、次に何が来るのかを見る方がいい。
陽が少し傾いた頃だった。
男の一人が顔を上げる。
「来たぞ」
古道の奥から、車輪の音が近づいてきた。
やがて姿を現したのは、小さな幌付き荷車だった。
先ほど白波宿の方へ走り去ったものによく似ている。
だが同じではない。
馬が違う。
幌を縛る縄の位置も違っていた。
御者は一人。
小屋の前まで来ると、慣れた様子で手綱を引いた。
「まだ来てないのか?」
「まだだ」
「なら、水だけくれ」
「次は暮れ前だとよ」
御者は舌打ちするでもなく、荷台から降りた。
待つことに慣れている。
小屋の男たちも、荷車が来たところで特に様子を変えない。
恒一郎は荷台を見る。
幌が下りているため、中までは見えない。
荷台の後ろには、低い踏み板が付いていた。
荷の積み降ろしにも使えるし、人が乗り込むにも無理のない高さだった。
それだけで用途までは決められない。
恒一郎は待った。
やがて御者が水を飲み終える。
「じゃあ、先に行くぞ」
「向こうで待て」
「ああ」
男が手綱を取った。
荷車がゆっくりと動き出す。
白波宿へ戻るのではない。
古道のさらに奥へ進んでいく。
恒一郎はすぐには動かなかった。
十分に距離が開くまで待つ。
車輪の音が小さくなってから、木立の陰を出た。
今朝の一団が、この荷車に乗ったとは限らない。
お絹らしき娘が、この先へ送られたとも、まだ断定できない。
白波宿は終点ではない。
古道の小屋も、終点ではない。
恒一郎は遠ざかる車輪の音へ目を向けた。
今度は、出てきた場所ではない。
あの荷車の行く先を見る番だった。




