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人の尻拭いばかりしていた俺、江戸風異世界で「すべて」が見えるようになったので、二度目の人生は好きに生きる  作者: 若松あ太郎
第一章 花街で始める二度目の人生

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第23話 その荷車は、宿まで行かなかった

 白波宿の向こうへ、一本の街道がさらに西へ伸びていた。


 だが、お絹らしき娘が実際に西行きの荷車へ乗ったところを見た者はいない。


 恒一郎はすぐには歩き出さなかった。


「さっきの娘たちがいたあと、西へ出た荷車は何台あった?」


 恒一郎が尋ねると、年配の男は眉を寄せた。


「そこまでは覚えてねえな。荷は一日中出入りしてる」


「記録は?」


「それなら帳場だ」


 恒一郎は頷き、先ほどの帳場へ戻った。


 帳面を預かる男は、また来たのかという顔をしたものの、文句は言わなかった。


「娘がいたあとに出た、西行きの荷車を見せてくれ」


「時刻まできっちり残してるわけじゃないぞ」


「分かる範囲でいい」


 帳場の男が頁をめくる。


 西へ出た荷車は何台もあった。


 恒一郎は一つずつ確認した。


 一台は、娘を見たという頃より前に出ている。


 一台はその日、かなり遅くまで荷を積んでいた。


 もう一台。


 城下から来た荷を降ろしたあと、そのまま西へ向かった便があった。


「これは?」


「布と乾物だな。次の宿まで行く定期の荷車だ」


「御していたのは誰だ?」


 帳場の男が顔を上げた。


「馬場にいるはずだ。源八だよ」


 恒一郎はそれ以上帳面を眺めず、馬つなぎの並ぶ一角へ向かった。


 源八という男は、馬の脚を見ていた。


 日に焼けた顔の、四十を少し越えたくらいの男だった。


「何日か前、この日に西へ出た便を御していたな」


 恒一郎が手控えの日付を見せると、源八は少し考えてから頷いた。


「ああ。出たな」


「若い娘と男二人を乗せなかったか?」


 源八の手が止まった。


「……あんた、あいつらの知り合いか?」


「娘を探してる」


「そうか」


 源八は馬から離れ、顎を撫でた。


「乗せたよ。男が二人と、若い娘が一人」


 恒一郎の表情は変わらない。


「娘の顔は覚えてるか?」


「いや。そこまでは」


 源八は首を振った。


「顔色が悪かったのは覚えてる。荷台の端に座って、ずっと俯いてた」


「男二人は?」


「旅人みたいな格好だったな。この辺で見かける顔じゃなかった」


「どうして三人を乗せた?」


「金を足された」


 源八は苦笑した。


「俺のは荷を運ぶ車だ。普段、人は乗せねえ。そう言ったんだが、途中まででいいからってな」


 恒一郎は手控えを閉じた。


「次の宿まで行ったのか?」


「いや」


 答えはすぐ返ってきた。


「どこで降りた?」


「ここからしばらく西へ行ったところだ。古い道との分かれがある」


「古い道?」


「今はほとんど使わねえ道だよ。遠回りだし、雨が降りゃぬかるむ。荷車で入るような道じゃねえ」


「そこで三人とも降りた?」


「ああ」


 源八はそこで少し首を傾げた。


「妙だったんだよな」


「何が?」


「分かれ道に、小さな荷車が止まってた」


 恒一郎の目がわずかに細くなる。


「どんな車だ?」


「幌がかかってた。俺が着いたときには、もう道の脇にいたよ」


「三人を待っていたのか?」


「そこまでは知らん」


 源八はすぐに首を振った。


「俺は荷を届けなきゃならんからな。三人を降ろしたら、そのまま西へ行った」


「娘がその車へ乗るところは?」


「見てねえよ」


 きっぱりした答えだった。


「ただ、あんなところで降りて歩くとも思えん。娘は立つのもしんどそうだったからな」


 恒一郎は頷いた。


 城下から白波宿。


 そこから西行きの荷車へ。


 そして途中には、別の車。


 運び手を途中で替えている可能性がある。


「その分かれはどこだ?」


 源八は空を見てから、西の方角を指した。


「西へまっすぐ行って、大きな榎を越える。その先に石仏がある。右が街道、左が古道だ」


「左だな」


「間違えるなよ。あっちは人もほとんど通らん」


「助かる」


 恒一郎は銭を置いた。


「そこまでは要らねえよ」


「仕事を止めた分だ」


 そう言って背を向ける。


 源八は銭と恒一郎の背中を交互に見てから、何も言わず懐へ入れた。


 白波宿を出る前に、恒一郎は街道を行く荷車に声をかけた。


 途中まででいいと告げると、荷主は荷台の空いた場所を顎で示した。


 西街道は城下へ続く道より狭かったが、人の往来は絶えていなかった。


 荷車や旅人、馬を引く商人が行き交い、道沿いには畑が続いている。ところどころに小さな家並みもあった。


 恒一郎は荷台に腰を下ろしたまま、道の両側を見ていた。


 やがて、大きな榎が見える。


「ここでいい」


 銭を渡して荷車を降りた。


 さらにしばらく歩くと、道の脇に小さな石仏があった。


 道が二つに分かれている。


 右は人と荷車が行き交う西街道。


 左は木々の間へ入っていく細い道だった。


 確かに、使われていないように見える。


 草が伸び、道の端には落ち葉が溜まっていた。


 恒一郎はその場にしゃがんだ。


 土を見る。


 草を見る。


 石を見る。


 目に映るものの中に、いくつか妙なものが混じっている。


 伸びた草の間だけ、二本の筋が続いていた。


 土は固く締まり、ところどころ湿った泥に新しい車輪跡が残っている。


 道端の石には、車輪が擦った跡。


 さらに奥には、馬の蹄が踏み込んだ跡もあった。


 荒れているように見えて、荷車が通れる幅だけは残っている。


 しかも、一度ではない。


「一度や二度じゃないな」


 恒一郎が小さく呟いた。


 少なくとも、今回だけ使われた道ではない。


 恒一郎は古道の奥を見る。


 木々が重なり、その先までは見通せなかった。


 そのとき、かすかに音がした。


 ぎい、と木が軋む。


 続いて、車輪が土を踏む音。


 恒一郎は道から外れ、木立の陰へ身を寄せた。


 音は少しずつ近づいてくる。


 やがて古道の奥から、一台の小さな荷車が姿を見せた。


 幌がかかっている。


 源八が話していたものと、よく似た形だった。


 荷台の中は見えない。


 御者台には一人。


 男は周囲を気にする様子もなく、そのまま分かれ道へ出ると、白波宿の方へ向かった。


 恒一郎は追わなかった。


 荷車が小さくなっていくのを一度だけ確認し、それから視線を戻す。


 荷車が出てきた道の奥は、木々に遮られていた。


 白波宿は終点ではない。


 少なくとも、あの三人は西街道をそのまま進んではいない。


 恒一郎が見たのは、遠ざかる荷車の背ではない。


 その荷車が出てきた、古道の奥だった。

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