第22話 城下の外まで続いている
恒一郎が小さな蔵を出たとき、空はすでに白み始めていた。
助け出した娘は立てるようにはなっていたが、足元はまだ危うい。
「無理に歩かなくていい」
「……すみません」
「謝るところじゃない」
恒一郎は娘を支え、大きな通りまで出た。
ほどなく、空の駕籠が一台通りかかる。恒一郎は銭を払い、娘を乗せた。
蔵の中には三人の男がいる。
二人は抵抗できないよう縄で縛り、最後の一人も柱へ括りつけてある。刀もすべて取り上げた。
今ここで、三人を相手に時間を使う必要はない。
棚から見つけた控え帳には、お絹、西河岸、白波宿の記載がある。
恒一郎は駕籠とともに花街へ戻った。
途中、夜明け前から店を開けていた茶屋の者に銭を渡す。
「榊という役人に、この店へ来てほしいと伝えてくれ。志堂恒一郎から話がある、と」
男は頷き、足早に去っていった。
◇
「……今度は、ずいぶんなものを持ってきたな」
控え帳をめくりながら、榊が低く言った。
場所は朱莉のいる店の一室だった。
救出した娘は隣の部屋で休ませている。千鶴もそちらにおり、おかみさんが二人についていた。
恒一郎は榊の前に座り、帳面を指した。
「ここだ」
日付と荷の名、数らしき記号が並んでいる。
その中に、お絹の名。
そして西河岸、白波宿。
榊の目つきが変わった。
「この帳面は、あの蔵に?」
「ああ。娘を運び込んだ男も三人残してある」
「娘の話も聞けそうだな」
「具合が戻ってからにしてくれ」
榊は恒一郎を見たあと、短く息を吐いた。
「分かってる」
帳面へ視線を戻す。
「これなら、あの蔵と三人は押さえられる。娘を連れ込んでいたことまでは誤魔化せん」
「蔵前屋は?」
「そこまでは届かん。帳面に宗兵衛の名はない」
榊は苦い顔で続けた。
「あの蔵が蔵前屋の手の者につながったとしても、それだけで宗兵衛本人が命じた証にはならん」
「そうか」
「それだけで宗兵衛まで届くなら、とっくにやってる」
榊は帳面を閉じた。
「だが、これは使える。少なくとも今までとは違う」
「なら、ここは任せる」
榊が顔を上げる。
「お前は?」
「白波宿へ行く」
「今からか?」
「ああ」
「少しは休め」
「今なら、まだ何か残ってるかもしれない」
榊はしばらく恒一郎を見ていたが、やがて鼻から息を吐いた。
「西門を出て街道を真っすぐだ。歩いても半日はかからん。荷車が行き交う道だから、迷うこともない」
「助かる」
恒一郎は榊を見る。
「もう、蔵前屋に近づくなとは言わないんだな」
榊の目がわずかに細くなった。
「言える状況じゃなくなった」
榊は控え帳を軽く叩いた。
「これだけ出てきて、まだ何も見るなとは言えん」
恒一郎は紙と筆を借り、お絹の名がある行と、その前後の日付、記号、西河岸、白波宿を書き写した。
原本は榊へ渡す。
「蔵の方は頼む」
「ああ。こっちは俺がやる」
榊は控え帳を持って立ち上がった。
恒一郎も一度頷いた。
◇
「白波宿へ行くのね」
朱莉は、恒一郎が口を開く前にそう言った。
部屋へ戻ってきた恒一郎は、一瞬だけ足を止める。
「まだ何も言ってないぞ」
「顔を見れば分かるわよ」
「そんなに分かりやすいか?」
「あなたの場合、何か見つけたときだけ妙に迷いがなくなるもの」
朱莉は座ったまま、千鶴たちが休む隣室へ一度だけ目を向けた。
「榊さんは?」
「蔵と男たちを任せた」
「なら、こっちは私がやるわ」
朱莉は指を一つ折った。
「千鶴と、助けてきた娘はここに置く。おかみさんにも手伝ってもらって、同じように金を受け取った娘が他にいないか探す」
二本目。
「名前を書いた娘。急に具合を崩した娘。そのあたりも聞いてみる」
三本目。
「それから宗兵衛さんの方もね。宴のあと、どこへ帰ったのか。誰を呼んだのか。知ってる人はいるかもしれない」
「そこまで頼もうと思ってた」
「あら。なら先に言った私の勝ちね」
「何の勝負だ」
朱莉が小さく笑った。
恒一郎もわずかに口元を緩める。
「助かる」
「その代わり、無茶だけはしないで」
「気をつける」
朱莉は恒一郎を見たまま、少しだけ黙った。
「……ちゃんと帰ってきなさいよ」
軽口ではなかった。
恒一郎は朱莉を見る。
「ああ」
それだけ答えた。
朱莉も、それ以上は何も言わなかった。
◇
西門を抜けると、城下の景色は急に開けた。
家々が途切れ、道の両側に畑が広がる。朝の街道には、荷を積んだ車や天秤棒を担ぐ商人、城下へ向かう百姓の姿があった。
恒一郎はその流れに混じって西へ進んだ。
白波宿の土地勘はない。
だが、榊に教えられた西街道は分かりやすく、荷車の多くも同じ方向へ進んでいる。
恒一郎は手控えを開いた。
お絹。
西河岸。
白波宿。
記されていた順番から見れば、城下から河岸を経て白波宿へ送られた可能性が高い。
恒一郎は手控えを懐へ戻し、歩調を上げた。
昼前になるころ、街道の先に家並みが見え始めた。
城下ほど大きくはない。
だが、道沿いに宿や飯屋が並び、馬をつなぐ場所には何台もの荷車が止まっている。旅人と荷車が絶えず出入りしていた。
◇
白波宿へ入った恒一郎は、すぐにお絹の名を出さず、まず荷の流れを見た。
荷車が集まる場所を辿ると、宿場の西寄りに大きめの荷置き場がある。
米俵や布、木材が積まれ、男たちが荷を降ろし、別の車へ積み替えていた。
端には帳場があり、荷を受けるたびに男が帳面へ何かを書き込んでいる。
恒一郎はしばらく様子を見たあと、帳場へ向かった。
「少し聞きたい」
帳場の男が顔を上げる。
「何だい」
恒一郎は手控えを開き、そこに写した記号を見せた。
「この印に覚えはあるか。何日か前、城下から来た荷の記録にないか」
男は記号を見ると、眉を寄せた。
「ちょっと待ちな」
帳面をめくり、何枚か戻る。
「……あったな」
「いつだ?」
男が読み上げた日付は、お絹の名が控え帳に記された翌日だった。
「この日の荷を扱った人間はいるか?」
「いると思うが……」
男は荷置き場を振り返り、大声で一人を呼んだ。
しばらくして、年配の男がやってくる。
「何だ」
「何日か前の荷のことで聞きたいそうだ」
年配の男は帳面の日付を覗き込んだ。
「荷の中身までは覚えてないぞ」
「それでいい。この日、何か変わったことはなかったか?」
男は腕を組み、しばらく考えた。
「……ああ」
やがて顔を上げる。
「具合の悪そうな娘を連れた連中がいたな」
恒一郎の目が男へ向く。
「娘?」
「若い娘だ。男が二人ついてた」
「どんな様子だった」
「顔色が悪かった。ふらついてたから、あんな状態で街道を行くのかと思ったんだ」
「自分で歩いてたか?」
「ああ。男の後ろをついて歩いてたよ」
「年は?」
「十七、八くらいに見えたな。背は高くなかった」
お絹について聞いていた年頃と、大きくは外れていない。
「そのあと、どこへ行った?」
「そこまでは知らん」
男は首を振った。
「俺は荷を降ろしてたからな」
少し考えてから、西へ目をやる。
「ただ、西へ出る荷車のところで、あの男たちと一緒にいたのは覚えてる」
「乗ったところは?」
「そこまでは見てない」
男が宿場の先を指す。
「こっちから西へ出る車は、だいたいあの道を行く」
恒一郎はそちらを見た。
お絹本人だと断定はできない。
それでも、日付も年頃も合う。
そして、その娘は西へ向かう荷車のそばにいた。
恒一郎は宿場の先へ目を向けた。
一本の街道が、さらに西へ伸びていた。第22話 城下の外まで続いている
恒一郎が小さな蔵を出たとき、空はすでに白み始めていた。
助け出した娘は立てるようにはなっていたが、足元はまだ危うい。
「無理に歩かなくていい」
「……すみません」
「謝るところじゃない」
恒一郎は娘を支え、大きな通りまで出た。
ほどなく、空の駕籠が一台通りかかる。恒一郎は銭を払い、娘を乗せた。
蔵の中には三人の男がいる。
二人は抵抗できないよう縄で縛り、最後の一人も柱へ括りつけてある。刀もすべて取り上げた。
今ここで、三人を相手に時間を使う必要はない。
棚から見つけた控え帳には、お絹、西河岸、白波宿の記載がある。
恒一郎は駕籠とともに花街へ戻った。
途中、夜明け前から店を開けていた茶屋の者に銭を渡す。
「榊という役人に、この店へ来てほしいと伝えてくれ。志堂恒一郎から話がある、と」
男は頷き、足早に去っていった。
◇
「……今度は、ずいぶんなものを持ってきたな」
控え帳をめくりながら、榊が低く言った。
場所は朱莉のいる店の一室だった。
救出した娘は隣の部屋で休ませている。千鶴もそちらにおり、おかみさんが二人についていた。
恒一郎は榊の前に座り、帳面を指した。
「ここだ」
日付と荷の名、数らしき記号が並んでいる。
その中に、お絹の名。
そして西河岸、白波宿。
榊の目つきが変わった。
「この帳面は、あの蔵に?」
「ああ。娘を運び込んだ男も三人残してある」
「娘の話も聞けそうだな」
「具合が戻ってからにしてくれ」
榊は恒一郎を見たあと、短く息を吐いた。
「分かってる」
帳面へ視線を戻す。
「これなら、あの蔵と三人は押さえられる。娘を連れ込んでいたことまでは誤魔化せん」
「蔵前屋は?」
「そこまでは届かん。帳面に宗兵衛の名はない」
榊は苦い顔で続けた。
「あの蔵が蔵前屋の手の者につながったとしても、それだけで宗兵衛本人が命じた証にはならん」
「そうか」
「それだけで宗兵衛まで届くなら、とっくにやってる」
榊は帳面を閉じた。
「だが、これは使える。少なくとも今までとは違う」
「なら、ここは任せる」
榊が顔を上げる。
「お前は?」
「白波宿へ行く」
「今からか?」
「ああ」
「少しは休め」
「今なら、まだ何か残ってるかもしれない」
榊はしばらく恒一郎を見ていたが、やがて鼻から息を吐いた。
「西門を出て街道を真っすぐだ。歩いても半日はかからん。荷車が行き交う道だから、迷うこともない」
「助かる」
恒一郎は榊を見る。
「もう、蔵前屋に近づくなとは言わないんだな」
榊の目がわずかに細くなった。
「言える状況じゃなくなった」
榊は控え帳を軽く叩いた。
「これだけ出てきて、まだ何も見るなとは言えん」
恒一郎は紙と筆を借り、お絹の名がある行と、その前後の日付、記号、西河岸、白波宿を書き写した。
原本は榊へ渡す。
「蔵の方は頼む」
「ああ。こっちは俺がやる」
榊は控え帳を持って立ち上がった。
恒一郎も一度頷いた。
◇
「白波宿へ行くのね」
朱莉は、恒一郎が口を開く前にそう言った。
部屋へ戻ってきた恒一郎は、一瞬だけ足を止める。
「まだ何も言ってないぞ」
「顔を見れば分かるわよ」
「そんなに分かりやすいか?」
「あなたの場合、何か見つけたときだけ妙に迷いがなくなるもの」
朱莉は座ったまま、千鶴たちが休む隣室へ一度だけ目を向けた。
「榊さんは?」
「蔵と男たちを任せた」
「なら、こっちは私がやるわ」
朱莉は指を一つ折った。
「千鶴と、助けてきた娘はここに置く。おかみさんにも手伝ってもらって、同じように金を受け取った娘が他にいないか探す」
二本目。
「名前を書いた娘。急に具合を崩した娘。そのあたりも聞いてみる」
三本目。
「それから宗兵衛さんの方もね。宴のあと、どこへ帰ったのか。誰を呼んだのか。知ってる人はいるかもしれない」
「そこまで頼もうと思ってた」
「あら。なら先に言った私の勝ちね」
「何の勝負だ」
朱莉が小さく笑った。
恒一郎もわずかに口元を緩める。
「助かる」
「その代わり、無茶だけはしないで」
「気をつける」
朱莉は恒一郎を見たまま、少しだけ黙った。
「……ちゃんと帰ってきなさいよ」
軽口ではなかった。
恒一郎は朱莉を見る。
「ああ」
それだけ答えた。
朱莉も、それ以上は何も言わなかった。
◇
西門を抜けると、城下の景色は急に開けた。
家々が途切れ、道の両側に畑が広がる。朝の街道には、荷を積んだ車や天秤棒を担ぐ商人、城下へ向かう百姓の姿があった。
恒一郎はその流れに混じって西へ進んだ。
白波宿の土地勘はない。
だが、榊に教えられた西街道は分かりやすく、荷車の多くも同じ方向へ進んでいる。
恒一郎は手控えを開いた。
お絹。
西河岸。
白波宿。
記されていた順番から見れば、城下から河岸を経て白波宿へ送られた可能性が高い。
恒一郎は手控えを懐へ戻し、歩調を上げた。
昼前になるころ、街道の先に家並みが見え始めた。
城下ほど大きくはない。
だが、道沿いに宿や飯屋が並び、馬をつなぐ場所には何台もの荷車が止まっている。旅人と荷車が絶えず出入りしていた。
◇
白波宿へ入った恒一郎は、すぐにお絹の名を出さず、まず荷の流れを見た。
荷車が集まる場所を辿ると、宿場の西寄りに大きめの荷置き場がある。
米俵や布、木材が積まれ、男たちが荷を降ろし、別の車へ積み替えていた。
端には帳場があり、荷を受けるたびに男が帳面へ何かを書き込んでいる。
恒一郎はしばらく様子を見たあと、帳場へ向かった。
「少し聞きたい」
帳場の男が顔を上げる。
「何だい」
恒一郎は手控えを開き、そこに写した記号を見せた。
「この印に覚えはあるか。何日か前、城下から来た荷の記録にないか」
男は記号を見ると、眉を寄せた。
「ちょっと待ちな」
帳面をめくり、何枚か戻る。
「……あったな」
「いつだ?」
男が読み上げた日付は、お絹の名が控え帳に記された翌日だった。
「この日の荷を扱った人間はいるか?」
「いると思うが……」
男は荷置き場を振り返り、大声で一人を呼んだ。
しばらくして、年配の男がやってくる。
「何だ」
「何日か前の荷のことで聞きたいそうだ」
年配の男は帳面の日付を覗き込んだ。
「荷の中身までは覚えてないぞ」
「それでいい。この日、何か変わったことはなかったか?」
男は腕を組み、しばらく考えた。
「……ああ」
やがて顔を上げる。
「具合の悪そうな娘を連れた連中がいたな」
恒一郎の目が男へ向く。
「娘?」
「若い娘だ。男が二人ついてた」
「どんな様子だった」
「顔色が悪かった。ふらついてたから、あんな状態で街道を行くのかと思ったんだ」
「自分で歩いてたか?」
「ああ。男の後ろをついて歩いてたよ」
「年は?」
「十七、八くらいに見えたな。背は高くなかった」
お絹について聞いていた年頃と、大きくは外れていない。
「そのあと、どこへ行った?」
「そこまでは知らん」
男は首を振った。
「俺は荷を降ろしてたからな」
少し考えてから、西へ目をやる。
「ただ、西へ出る荷車のところで、あの男たちと一緒にいたのは覚えてる」
「乗ったところは?」
「そこまでは見てない」
男が宿場の先を指す。
「こっちから西へ出る車は、だいたいあの道を行く」
恒一郎はそちらを見た。
お絹本人だと断定はできない。
それでも、日付も年頃も合う。
そして、その娘は西へ向かう荷車のそばにいた。
恒一郎は宿場の先へ目を向けた。
一本の街道が、さらに西へ伸びていた。




