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人の尻拭いばかりしていた俺、江戸風異世界で「すべて」が見えるようになったので、二度目の人生は好きに生きる  作者: 若松あ太郎
第一章 花街で始める二度目の人生

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第17話 花街で妙な男が人気になった

 昨夜、蔵前屋の蔵を抜け出した恒一郎と朱莉は、裏道をいくつか回って追っ手を撒き、そのまま花街へ戻った。


 二人とも怪我はない。


 ただ、蔵前屋の手の者には顔を見られている。


 翌朝。


 恒一郎は朱莉と並んで花街を歩いていた。


「ねえ、あの人じゃない?」


「たぶんそうよ」


「思ってたより普通ね」


 道の向こうで、若い女が三人、こちらを見ながらひそひそ話している。


 恒一郎と目が合うと、三人そろって顔を逸らした。


「……俺、何かしたか?」


「心当たりが多すぎて困るわね」


 朱莉が涼しい顔で答える。


「悪いことをした覚えはないんだが」


「そういう意味じゃないわよ」


 少し歩くと、今度は店先にいた女が恒一郎を見つけて目を丸くした。


「あっ」


 そのまま遠慮なく近づいてくる。


「あんたが恒一郎?」


「そうだけど」


 女は恒一郎の顔をじっと眺めた。


「ほんとに普通ね」


「さっきも聞いたな、それ」


「もっとこう、怖い顔した人かと思ってた」


「何を聞いたんだ?」


「荒くれを何人も一人で黙らせたって」


「ずいぶん話が大きくなってるな」


「違うの?」


「まあ、完全に違うとも言えない」


 隣で朱莉が吹き出した。


「そこは否定しないのね」


「説明すると長い」


「便利な言葉ね、それ」


 女はますます面白そうに恒一郎を見る。


「でも、本当に朱莉姐さんと一緒にいるのね」


「一緒に行動してるだけだ」


「あら」


 女が朱莉を見る。


「そうなの、朱莉姐さん?」


「そうよ。ただ一緒にいるだけ」


 朱莉は笑顔で答えた。


「ふうん」


「何よ、その顔」


「別にぃ」


 女は楽しそうに笑うと、「じゃあね、人気者」と手を振って去っていった。


 恒一郎はその背を見送る。


「……人気者?」


「知らなかったの?」


「何を?」


「あなた、ちょっとした噂になってるわよ」


「初耳だ」


「でしょうね。本人だけ知らないものよ、こういう話は」


 朱莉は楽しそうに笑った。


「ほら。人気者は愛想よくしなさい」


「頼んでないんだけどな」


「人気って、そういうものよ」


     ◇


「あんた、ずいぶん噂になってるねえ」


 店へ戻るなり、おかみさんが笑った。


「らしいな」


「半分は感心、半分は面白がってるよ」


「そっちは分かる気がする」


「あら、自覚あるの?」


 朱莉が横から口を挟む。


 そこへ、奥から若い女が二人、顔を出した。


 二人とも恒一郎から視線を離さない。


「……何?」


「ねえ、聞いていい?」


「内容による」


「どんな女が好きなの?」


 いきなりだった。


「もっと他に聞くことないのか?」


「ない」


 即答された。


 もう一人もうなずいている。


 恒一郎は少し考えた。


「話が通じる女」


 二人が顔を見合わせた。


「何それ」


「顔じゃないの?」


「顔も大事だ」


「あははっ、正直!」


「そこは否定しないのね」


 横から朱莉の声が飛んできた。


「お前が言うな」


「あら。私、何か言った?」


「言ってないけど、顔で得してる側だろ」


 朱莉が一瞬、目を瞬いた。


「そういうこと、さらっと言うのね」


「事実だろ」


「ほんと、変な男」


 若い女の一人が笑いながら、恒一郎の袖を軽くつまんだ。


「じゃあ私でも可能性ある?」


「何の可能性だ」


「決まってるじゃない」


「その辺にしておきなさい」


 朱莉がするりと会話へ入ってくる。


「昨日、この人ずいぶん夜更かししてるの。少し休ませてあげて」


「あらぁ」


 袖をつまんでいた女が、にやりとした。


「朱莉姐さん、独り占め?」


「まさか」


 朱莉は微笑んだまま答える。


「私は親切で言ってるだけよ」


 恒一郎の表情がわずかに止まった。


 以前、朱莉が口にした言葉が頭に浮かぶ。


 優しさって便利なのよ。


 先に与えておけば、あとで返せって言えるから。


「その親切、あとで何を取り立てるんだ?」


 朱莉の目が止まった。


 ほんの一瞬。


 やがて、ふっと笑う。


「……高くつくわよ」


「怖いな」


「今さら?」


 女たちが声を立てて笑った。


「やっぱり仲いいじゃない」


「ほら、もう行きなさい」


「はいはい」


 二人が奥へ引っ込んでいく。


 おかみさんがその背中を見送りながら口を開いた。


「荒くれを黙らせたからだけじゃないよ」


「何が?」


「あんたが噂になってる理由さ」


 おかみさんは茶を一口すすった。


「お梅のことを気にかけてる。娘の話をちゃんと聞く。金をちらつかせない。偉そうにもしない」


「普通じゃないか?」


「この町じゃ、その普通が案外珍しいんだよ」


 朱莉は黙って聞いている。


「女に親切な男なんて、いくらでもいるさ」


 おかみさんが続ける。


「親切にした分を、あとで取り立てる男もね」


 恒一郎は朱莉を見る。


 朱莉は目を伏せるでもなく、ただ薄く笑った。


「強い男も、金持ちも、口の上手い男もいる。でも、女の話を聞くだけ聞いて、何も求めず帰る男は少ない」


「褒められてるのか、それ」


「褒めてるよ」


「なら、ありがたく受け取っとく」


「あら、素直」


 朱莉が言う。


「合理的な意見は聞く」


「女の評判も?」


「内容による」


「ほんと、そういうところよね」


 朱莉が小さく笑った。


     ◇


「それで」


 おかみさんの表情が変わった。


「昨夜、何があった?」


 三人は奥の部屋へ移った。


 千代が茶を運んでくる。


「ありがとう」


 恒一郎が言うと、千代はにこりと笑って部屋を出た。


 戸が閉まるのを待ってから、恒一郎が口を開く。


「蔵の中に、女の名前を書いた紙が大量にあった」


「お梅やお菊みたいに?」


「ああ。本人が書いたものかどうか分からない紙も混じってる」


「黒いものは?」


「かなりの紙に、あの染みがあった。それと、一部の紙から黒い糸が伸びてた」


 おかみさんの顔が険しくなる。


「お梅のも?」


「一本は、この店の方へ伸びてた」


「じゃあ、その紙が――」


「まだそこまでは分からない」


 恒一郎が言葉を重ねる。


「ただ、紙と娘たちの間に何かつながりがあるようには見える」


 おかみさんが黙り込んだ。


「それと、朱莉の名前が書かれた紙もあった」


「朱莉の?」


「でも、私の字じゃなかったわ」


 朱莉が続ける。


「黒い染みも糸もなし。誰かが勝手に書いたものみたい」


「何のために?」


「それも分からない」


 恒一郎が答える。


「少なくとも、あの紙から朱莉につながるものは見えなかった」


「少なくとも?」


「分からないものを大丈夫とは言えない」


 朱莉が恒一郎をじっと見る。


「そういうところよね」


「何が?」


「女に人気が出るところ」


「またそこに戻るのか?」


「大事な話よ」


「そうか?」


「私にはね」


 最後だけ少し小さかった。


 おかみさんが咳払いする。


「他には?」


「娘を連れていく役の男がいた」


 恒一郎は、男が指定された娘を連れ出す役だったこと、お絹のことも知っていたことを話した。


「行き先も知ってるようだった」


「どこなの?」


「そこまでは言わなかった。町の外かと聞いた時も、否定はしなかった」


「じゃあ、町の外へ?」


「可能性はある。まだ決めつけられないけどな」


 おかみさんが腕を組む。


「蔵前屋の名前は出たのかい?」


「ああ」


 昨夜の男の言葉が恒一郎の頭に浮かぶ。


『蔵前屋を敵に回して、この町で生きていけると思うな』


『商売ってのはな、金だけでやるもんじゃねえんだよ』


「少なくとも、あいつらが蔵前屋の名前を使って動いてるのは確かだ」


「役所も?」


「そこはまだ分からない」


 恒一郎は首を振る。


「役所側にも気になる奴はいる。でも、今の段階でつながってると決める材料はない」


 おかみさんが大きく息を吐いた。


「だったら、あんたしばらく身を隠した方がいいんじゃないかい?」


「俺が?」


「蔵前屋の蔵に忍び込んで、手の者に顔まで見られたんだろ。向こうだって黙ってないよ」


「それは分かってる」


「じゃあ――」


「でも、隠れる気はない」


 おかみさんが眉をひそめた。


「どうしてだい」


「お梅たちの紙が、まだあの蔵にある。それに、お絹も見つかってない」


「だからって、あんたまで危ない目に遭うことはないだろ」


「俺が隠れてる間に、向こうが止まるとは限らない」


 恒一郎はそう言って茶を置いた。


「それに、向こうが俺を邪魔だと思ってるなら、次は何かしてくる」


 朱莉が首を傾げる。


「待つの?」


「いや」


「じゃあ?」


「出てきやすくする」


 朱莉の目が細くなった。


「……何をする気?」


「まだ考えてる」


「あなたがそういう顔をすると、大抵ろくなことにならないのよね」


「失礼だな」


「昨日、人の蔵に忍び込んだ男に言われたくないわよ」


「一緒に入っただろ」


「私はあなたに付き合っただけ」


「それ、俺が言ったら怒るやつじゃないか?」


「よく分かってきたじゃない」


 おかみさんが呆れたように二人を見る。


 やがて、何かを思い出したように「あ」と声を上げた。


「そういや、話が一つある」


「何だ?」


「数日後に大きな宴がある」


「宴?」


「花街の大店や商人連中が集まる宴さ。前から朱莉にも話は来てたんだけどね」


「断るつもりだったのよ」


 朱莉が言う。


「蔵前屋も来るのか?」


「たぶんね」


 恒一郎が少し考える。


「その宴、使えそうだな」


 朱莉が嫌そうな顔をした。


「何をする気?」


「向こうが出てくるなら、話は早い」


「正面から行くつもり?」


「隠れて探すより楽だろ」


 おかみさんが恒一郎を見る。


「本気かい?」


「たぶん」


「そこは言い切りなさいよ」


 朱莉に即座に突っ込まれた。


「正気で人の蔵に忍び込む奴もどうかと思うけどな」


「自覚はあるのね」


「多少は」


 その時だった。


 表から声がした。


「おかみさん、お届け物です」


 店の者が、一通の文を持ってくる。


 おかみさんが受け取り、差出人を見るなり顔をしかめた。


「……噂をすれば、だね」


「誰から?」


 朱莉が文を受け取る。


 目を通した彼女の眉が、わずかに動いた。


「蔵前屋?」


 恒一郎が聞く。


 朱莉は文を差し出した。


「宴への招きよ」


「お前に?」


「私と――」


 朱莉の指が文の一節を叩く。


「私の客人にも、ぜひお越しいただきたいそうよ」


「客人?」


「名前まで書いてあるわ」


 恒一郎は文を見る。


 そこには確かに、


 志堂恒一郎。


 そう書かれていた。


 朱莉が横から顔を覗き込む。


「どうやら、あなた本当に人気者みたいね」


「嬉しくない人気だな」


「女の人気と、蔵前屋の人気。どっちがいい?」


「聞くまでもないだろ」


「即答なのね」


 朱莉は少しだけ機嫌よく笑った。


 恒一郎はもう一度、招待状を見る。


 それから静かに文を畳んだ。


「向こうから呼んでくれるなら、なおさら都合がいい」


「行くの?」


「ああ」


 朱莉が恒一郎を見る。


「ずいぶん楽しそうね」


「そう見える?」


「少し」


 恒一郎は招待状を懐へ入れた。


「向こうから席まで用意してくれたんだ。使わない手はない」


 朱莉が笑う。


「じゃあ次は、正面から乗り込むのね」


「その方が楽でいい」


 おかみさんが深いため息をついた。

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