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人の尻拭いばかりしていた俺、江戸風異世界で「すべて」が見えるようになったので、二度目の人生は好きに生きる  作者: 若松あ太郎
第一章 花街で始める二度目の人生

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第14話 味方と敵くらい、見れば分かる

 その日の夕方。


 お梅の店では、いつもより早く戸を閉めることになった。


 表向きは、お梅の具合が悪いから。


 本当の理由は違う。


 あの男が、もう一度来るかもしれない。


 おかみさんは店の女たちを集めると、短く言った。


「知らない男が来ても、一人で話すんじゃないよ。金も受け取らない。何か書けと言われても書かない。いいね」


「はい」


 不安そうな返事が重なる。


「それと、しばらく一人で外へ出るのもなしだ」


「おかみさん、それじゃ仕事が」


「命と仕事、どっちが大事だい」


「……命です」


「なら決まり」


 強い。


 恒一郎は少し感心した。


「何だい」


 視線に気づいたおかみさんが睨む。


「いや。頼もしいなと思って」


「今さらかい」


「昨日会ったばかりだから」


「そればっかりだね、あんた」


 横で朱莉が笑った。


     ◇


「それで、どうするの?」


 店の奥。


 朱莉、おかみさん、恒一郎の三人で覚え書きを囲んだ。


「待つ」


 恒一郎が答える。


「待つ?」


「向こうから来るなら、その方が早い。お梅を訪ねてきた男が、また来る可能性がある」


「来なかったら?」


「他を当たる」


「随分のんびりしてるのね」


「闇雲に走るよりいいだろ」


 恒一郎は覚え書きへ目を落とした。


 お梅。


 お菊。


 お絹。


 それ以外にも、金を受け取った娘がいる。


 調べたいことはいくらでもある。


 だが、相手もこちらの動きを知った可能性がある。


 お梅を連れ出そうとした男は、おかみさんに追い返された。


 そのまま何も考えず、もう一度やって来るだろうか。


「それより」


 朱莉が言った。


「あの紙の黒い跡。蔵前屋の使いが落としたものにも、似たのがあったのよね」


「ああ」


「なら、蔵前屋に直接聞けば?」


「聞いて答えると思う?」


「思わない」


「だろ」


「でも、反応は見られる」


 恒一郎が朱莉を見る。


「なるほど」


「何よ、その顔」


「俺より大胆だなって」


「あなたに言われたくない」


 おかみさんが呆れたように二人を見る。


「蔵前屋へ乗り込むのはやめな」


「まだ行かないよ」


「まだ?」


「恒一郎」


「言葉の綾」


「本当かい?」


「たぶん」


「余計に信用できないね」


     ◇


 その時だった。


 表から、戸を叩く音がした。


 三人の視線が向く。


「誰だい?」


 おかみさんが声を張る。


「榊だ」


 朱莉と恒一郎が顔を見合わせた。


「また役人?」


「早いな」


 おかみさんが戸を開ける。


 立っていたのは、昼間の役人――榊だった。


 ただし、今回は一人ではない。


 後ろに、別の男がいた。


 五十前後。


 榊より上等な着物。


 腰には刀。


 ふっくらした顔に、柔らかな笑みを浮かべている。


「こちらが志堂恒一郎殿ですか」


 男が言った。


「そうですけど」


「私は役所勤めの杉浦と申します」


 榊が横で何とも言えない顔をしていた。


 恒一郎はそれを見る。


 嫌そうだ。


 少なくとも、喜んで連れてきたようには見えない。


「今日は何の用です?」


「先ほど、妙な話を耳にしましてね」


「妙な話?」


「花街の娘が、誰かに連れ去られているとか」


 朱莉の表情が変わる。


 榊は黙ったままだった。


「誰から聞きました?」


 恒一郎が尋ねる。


「役所には色々と話が入ってきます」


「便利ですね」


「お役目柄です」


 杉浦は穏やかに笑う。


「それで、少し事情を聞かせていただければと思いまして」


「事情?」


「消えた娘についてです」


「探してくれるんですか?」


「もちろん」


 間髪入れずに答えた。


 杉浦は懐から一枚の紙を取り出す。


「まずは、分かっている娘の名を」


 役所で使う覚え書きだろうか。


 その紙の端。


 恒一郎の目に、薄い黒い染みが映った。


 これまで見たものほど濃くはない。


 だが、よく似ている。


「……」


「どうしました?」


「いや」


 恒一郎は杉浦の顔を見る。


 笑っている。


 穏やかに。


 親切そうに。


「ぜひ協力したいんですよ」


「そうですか」


「ですから、皆さんが何を調べ、何を知っているのか。最初から話していただけますかな」


 恒一郎は一度、榊を見る。


 ちょうど目が合った。


 一瞬だけ。


 榊の表情が僅かに固くなる。


 答えを促しているようには見えなかった。


「……なるほど」


 恒一郎が言う。


「何か?」


「いえ。役人って親切なんだなと思って」


 朱莉が横から恒一郎を見る。


 声だけは普通だが、目が変わった。


 気づいたらしい。


「それで?」


 杉浦が促す。


「どの娘が金を受け取ったとか、何か妙なものを見たとか。全部話していただきたい」


「全部?」


「ええ」


「どうして?」


「探すためですよ」


「何を?」


 杉浦の笑顔が僅かに止まる。


「……娘たちを、です」


「そうでした」


「志堂殿」


「はい」


「あなたは、少々疑り深いようだ」


「よく言われます」


 杉浦の笑顔が薄くなる。


「遊んでいる場合ではないのですが」


「すみません」


 恒一郎は謝った。


 だが、何も話すつもりはなかった。


「消えた娘については、俺たちもまだ分からないことばかりです」


「分かっている範囲で構いません」


「それなら、役所が調べたことを先に教えてもらえます?」


「何?」


「消えた娘は何人いるのか。最後に誰と会ったのか。役所でどこまで調べたのか」


 杉浦の眉が僅かに動く。


「こちらが聞いているのですよ」


「情報交換じゃないんですか?」


「……」


「俺たちだけ全部喋れってことなら、それは協力じゃないでしょう」


 朱莉が口元を隠す。


「恒一郎」


「何?」


「口が悪いわよ」


「丁寧に言ったつもりなんだけど」


「内容の問題よ」


 杉浦が恒一郎を見つめる。


 さっきまでの柔らかな空気は薄れていた。


「余計なことに首を突っ込むと、ろくなことになりませんよ」


「昼にも聞きました」


 榊が僅かに顔をしかめる。


「ほう」


 杉浦が横を見る。


「榊。もう話したのか」


「忠告だけです」


「そうか」


 それだけ。


 だが、榊の肩が僅かに固くなったのを恒一郎は見逃さなかった。


「では、改めて言っておきましょう」


 杉浦が恒一郎へ向き直る。


「花街で娘がいなくなることなど、珍しくありません」


「そうですか」


「借金から逃げる者。男と逃げる者。故郷へ帰る者。それぞれです」


「熱を出したあとでも?」


 一瞬。


 杉浦が黙った。


「それが何か?」


「いえ」


 少なくとも。


 何も知らない人間の反応には見えなかった。


「杉浦さん」


「何です?」


「その紙、見せてもらえます?」


 空気が止まった。


 杉浦の指が、紙の端を握る。


「……何のために?」


「気になるものが見えたから」


「気になるもの?」


「黒い跡」


 杉浦の目が細くなる。


 朱莉も黙った。


「役所の書付を改めるおつもりで?」


「嫌ならいいです」


「何?」


「見せたくないなら、それも一つの判断材料になる」


 杉浦の笑顔が完全に消えた。


「志堂殿」


「はい」


「身の程という言葉をご存じですかな」


「一応」


「なら」


「そういう言葉は、昔から嫌というほど聞いた」


「……」


「だから、あんまり好きじゃない」


 杉浦はしばらく恒一郎を見ていた。


 やがて、紙を懐へ戻す。


「帰るぞ、榊」


「はい」


 踵を返す。


 恒一郎は追わなかった。


 あの黒い跡が何なのか。


 杉浦が何を知っているのか。


 まだ、何も証明できない。


 ただ。


 昼よりはっきりしたことがある。


「榊」


 杉浦が先に外へ出る。


 榊も続こうとした。


「ちょっと」


 恒一郎が呼び止める。


「何だ」


「昼の忠告」


 榊は振り返らない。


「何の話だ」


「聞いておけばよかったかも」


「……今さら遅い」


「だよな」


 榊は小さく息を吐いた。


「志堂」


「何?」


「今夜は外へ出るな」


「どうして?」


 榊は答えなかった。


 そのまま杉浦のあとを追っていった。


     ◇


 戸が閉まる。


 しばらく、誰も喋らなかった。


 最初に口を開いたのは朱莉だった。


「ねえ」


「何?」


「あの杉浦って人」


「うん」


「黒いの、あったの?」


「あった」


 朱莉の顔が強張る。


「蔵前屋の使いと同じ?」


「似てる」


「また『似てる』?」


「同じだって断言できないから」


「もう慣れたわ」


 おかみさんが腕を組む。


「で、榊は?」


「何が?」


「あいつは敵なのかい」


 恒一郎は少し考える。


 昼に忠告した。


 杉浦の前で、こちらに話を促すこともなかった。


 そして。


 今夜は外へ出るな。


「味方かどうかは分からない」


「またそれ?」


 朱莉が言う。


「でも、少なくとも俺たちを杉浦に売りに来たわけじゃない」


「じゃあ杉浦は?」


「かなり怪しい」


「そこも?」


「今度は相当強めの『かなり』」


「段階が増えてるじゃない」


 おかみさんが呆れた。


「結局、誰が味方で誰が敵なんだい」


 恒一郎は少し笑った。


「全部は分からないよ」


 人間の心の中まで、何でも見えるわけじゃない。


 それでも。


 何を言ったか。


 何を隠したか。


 誰の前で黙ったか。


 そういうものは、見ていれば分かる。


「まあ」


 恒一郎は言った。


「味方か敵かなんて、言葉より見てた方が分かるだろ」


「それ、あなたが言うと別の意味に聞こえるわ」


「そう?」


「ええ」


 朱莉が呆れたように笑った。


 その時。


 ふと、恒一郎の頭に杉浦の最初の言葉が蘇った。


 ――花街の娘が、誰かに連れ去られているとか。


 連れ去られている。


 杉浦は、そう言った。


 恒一郎たちが役所へ訴えたわけでもない。


 この店で話していたのも、娘たちが「消えた」ということまでだ。


 なのに。


 どうして杉浦は、最初から誰かが関わっていると知っていた?


 それだけで、杉浦が何か知っているとは言い切れない。


 でも、覚えておく価値はある。


 その時。


 表の戸の向こうから、小さな音がした。


 カタ。


 三人が黙る。


 もう一度。


 カタ。


 誰かが戸に触れた音。


「……恒一郎」


 朱莉が声を落とす。


「うん」


 榊の言葉が蘇る。


 ――今夜は外へ出るな。


 どうやら、忠告には理由があったらしい。


 恒一郎は立ち上がった。


「朱莉」


「何?」


「どうやら今夜は、寝かせてもらえないらしい」

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