↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人の尻拭いばかりしていた俺、江戸風異世界で「すべて」が見えるようになったので、二度目の人生は好きに生きる  作者: 若松あ太郎
第一章 花街で始める二度目の人生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/54

第13話 その鎖ごと、壊してやる

 少しずつ、つながってきた。


 金。名前。黒い跡。病。失踪。


 そして、蔵前屋。


 恒一郎は、お梅の身体から伸びる黒い糸を見つめていた。


「恒一郎」


 朱莉に呼ばれる。


「何?」


「考え込むのはいいけど、お梅を怖がらせないで」


 見ると、お梅が不安そうにこちらを見ていた。


「ああ。悪い」


 恒一郎は表情を緩めた。


「もう聞かないから、休んで。何か思い出したら、朱莉かおかみさんに言ってくれ」


「……はい」


 お梅が小さく頷く。


 千代がすぐそばへ寄った。


「お梅ちゃん、寝よ」


「うん……」


 朱莉と恒一郎は部屋を出た。


     ◇


「それで?」


 廊下を歩きながら、朱莉が聞く。


「何が?」


「さっきから難しい顔してたでしょう」


「難しい顔なんてしてた?」


「してた」


「悪いこと企んでる顔じゃなくて?」


「今日はそっちじゃない」


「使い分けがあるのか」


「あるわよ」


 朱莉が少し笑ったが、すぐに真顔へ戻った。


「名前が関係してると思う?」


「分からない。でも、調べる価値はある」


 お菊。お春。消えたお絹。


 それから、他にも話を聞ける娘はいる。


 確認することは増えた。


「まず、お菊とお春に聞こう」


「ええ」


「名前を書いたかどうか」


「もし二人で違ったら?」


「また考える」


「二人とも書いてたら?」


「もっと気になる」


「慎重なのか大胆なのか分からないわね」


「俺にも分からん」


 階段を下りる途中で、朱莉がふと足を止めた。


「どうした?」


「……別に」


「別にって顔じゃないけど」


「また見るの?」


「見えるものはな」


「本当に厄介な人」


 朱莉はそう言ったが、怒ってはいなかった。


     ◇


 お菊の店へ戻ると、彼女はまだ横になっていた。


「また来たんですか?」


「悪い」


「別に嫌じゃありませんけど」


 お菊が恒一郎を見る。


「朱莉姐さん、この人、ずっとこんな感じなんですか?」


「昨日会ったばかりだから知らないわ」


「そうでした」


「そこ、忘れるところか?」


 少し笑いが起きる。それだけでも、昨日よりお菊の顔色がよく見えた。


「一つだけ、聞き忘れたことがあるの」


 朱莉が言う。


「お金をもらった時、何か書かなかった?」


 お菊が目を瞬く。


「書きました」


 朱莉と恒一郎が顔を見合わせる。


「何を?」


「名前です」


「自分の?」


「はい」


 恒一郎の目が細くなる。


「どうして?」


「受け取った印が必要だからって」


 お梅と同じだ。


「その紙は?」


「男の人が持っていきました」


 これも同じ。


 朱莉の表情が強張る。


「お菊。その男、お金以外に何かくれなかった?」


「いいえ」


「名前を書いた以外に、何か言われた?」


「あとで頼み事をするかもしれないって」


 これも同じだった。


 恒一郎は黒い糸を見る。細く、胸元から身体の外へ続いている。


「……恒一郎?」


「うん」


「同じ?」


「かなり」


 だが、まだ二人だ。


 もう一人、確認したい。


     ◇


 お春の店へ行くと、運よく本人はまだいた。


「またですか?」


 少し怯えたような顔をしている。無理もない。


「ごめんなさい」


 朱莉が先に謝った。


「これだけ聞いたら、今日はもう何も聞かないから」


「……はい」


「お金を受け取った時、名前を書いた?」


 お春は首を傾げた。


「いいえ」


 二人とも一瞬、黙った。


「書いてない?」


「はい」


「紙とか出されなかった?」


「何も」


 恒一郎は、お春を見る。


 黒い糸はない。


 今も何も見えない。


「なるほど」


 朱莉が恒一郎を見る。


「やっぱり?」


「まだ」


「まだなの?」


「お春は昨日、金を受け取ったばかりだ」


「時間の違いかもしれない?」


「ああ。それもある」


 名前を書いたかどうか。


 時間が経ったかどうか。


 他に何かあるのか。


 まだ決められない。


「ただ、比べる価値はかなり上がった」


「その言い方、好きね」


「便利だからな」


 お春が不安そうに恒一郎を見る。


「私、大丈夫なんでしょうか」


 恒一郎は少し考えた。


「今のところ、俺には変なものは見えない」


「じゃあ……」


「でも、もしあの男がまた来たら、何か書けって言われても書かないで」


 お春が息を呑む。


「分かりました」


「それと、一人でついていかない」


「はい」


 朱莉が横から言う。


「必ず誰かに知らせて」


「はい」


 今度は力強く頷いた。


     ◇


 店を出たあと、朱莉はしばらく黙っていた。


「どうした?」


「……名前」


「うん」


「お梅も、お菊も書いた。お春は書いてない」


「ああ」


「それで、お春には黒い糸がない」


「今のところは」


 朱莉が恒一郎を見る。


「かなり怪しいじゃない」


「かなりな」


「でも断定はしない」


「しない」


「頑固」


「褒めてる?」


「今日は褒めてない」


「今日は?」


「そこ拾わなくていい」


 朱莉が少しだけ笑った。


「ねえ。名前って、そんなに大事なものなのかしら」


「この世界では?」


「私に聞いてる?」


「俺より知ってるだろ」


「普通は、名前を書いたくらいで熱なんか出さないわよ」


「だよな」


 それ以上は分からない。


 ただ、本人の名前を自分で書き、男がその紙を持ち帰っている。


 そこに何かがある。


「……本人が書くことに意味があるのかもな」


 朱莉が振り返る。


「どうしてそう思うの?」


「名前だけ欲しいなら、本人に書かせる必要はないだろ。わざわざ書かせるってことは、本人が書くこと自体に意味がある可能性はある」


「なるほど」


「可能性だけど」


「もう分かってるわよ」


 朱莉が笑う。


「何?」


「最後に必ず逃げ道を作るでしょう」


「断定しないだけだ」


「はいはい」


     ◇


 昼過ぎ。


 二人は、お絹がいた店へ向かった。


 おかみさんから話を聞いていた娘は、店の裏で待っていた。


 名は小鈴。恒一郎には二十歳くらいに見えた。


「朱莉姐さん」


「ごめんなさいね」


「いえ」


 小鈴は少し緊張していた。


「お絹のことで聞きたいの」


「……はい」


「男から金をもらってるところ、見たんだって?」


「見ました」


「どんな男?」


「知らない人です」


「何を話してた?」


「そこまでは」


「紙に何か書いてた?」


 小鈴が頷く。


「はい」


「何を書いてたか分かる?」


「遠かったから……」


 小鈴が少し考える。


「でも、あとでお絹に聞きました」


 恒一郎と朱莉が顔を上げる。


「何て?」


「『何書いてたの?』って」


「答えは?」


「名前だって」


 朱莉の表情が変わった。


 お梅。お菊。お絹。


 三人とも、金を受け取り、自分の名前を書いている。


 お梅とお菊には黒い糸。


 そして、お絹は消えた。


「そのあと、お絹は?」


 恒一郎が聞く。


「三日くらいして、熱を出しました」


「どれくらい?」


「一日寝て、次の日には少し良くなったんです」


「それから?」


 小鈴の表情が曇る。


「二日後に、いなくなりました」


「荷物は?」


「ほとんど残ってました」


「誰か、出ていくところを見てない?」


 小鈴は少し迷った。


「……一人、見た子がいます」


「お絹を?」


「夜明け前に」


 朱莉が身を乗り出す。


「一人で?」


「いいえ」


「誰と?」


「男の人と」


 恒一郎の目が細くなる。


「無理やり連れていかれた?」


「それが……違うんです」


「違う?」


「お絹、自分で歩いてたって」


 朱莉が黙る。


「普通だったの?」


「そこまでは。でも、呼び止めたのに返事もしなかったそうです」


「返事をしなかった?」


「はい。その男について、そのまま……」


 部屋に沈黙が落ちる。


「その男、前にも来てた?」


「前の日に、お絹を訪ねてきました」


「金を渡した男?」


「分かりません。でも、『頼み事の話だ』って」


 恒一郎と朱莉の目が合う。


「お絹は会った?」


「はい」


「そのあと、変わった様子は?」


「普通に戻ってきました」


「何を頼まれたかは?」


「何も言いませんでした」


 小鈴が俯く。


「それで次の朝には……男について出ていったんです」


「本人が出ていくって言ってた?」


「いいえ」


「荷物も置いたまま?」


「ほとんど」


 朱莉の声が低くなる。


「それで、店では?」


「逃げたんじゃないかって言う人もいました。男と一緒だったから、駆け落ちじゃないかって」


 恒一郎は眉を寄せる。


 本人が歩いている。男と一緒にいる。


 それだけ見れば、確かにそう見える。


 だが、熱を出したばかりの娘が、荷物を残し、誰にも言わず、呼ばれても返事をせずに夜明け前の町を男についていく。


 普通とは思えなかった。


「ありがとう」


 朱莉が言った。


「もう十分よ」


 小鈴が不安そうに顔を上げる。


「朱莉姐さん」


「何?」


「お絹、戻ってきますか?」


 朱莉はすぐには答えなかった。


「……探すわ」


 それだけ言った。


 小鈴は小さく頷いた。


     ◇


 店を離れてからも、二人はしばらく何も言わなかった。


 最初に口を開いたのは朱莉だった。


「恒一郎」


「うん」


「どう思う?」


「かなり悪い」


「それだけ?」


「金を渡す。本人に名前を書かせる。何日かして倒れる。一度は少し良くなる。そのあと、男が来る」


 恒一郎はそこで言葉を切った。


「そして、自分でついていく」


 朱莉の顔が強張る。


「自分でって……」


「少なくとも、見た目は」


 呼び止められても答えない。荷物も残している。


 それを本人の意思と言っていいのか。


「お梅は、まだ男が来る前に倒れた」


「ああ」


「お菊も同じくらいかもしれない」


「だったら、次に男が来る?」


「可能性はある」


「いつ?」


「分からない」


「今日かもしれない?」


「ある」


 朱莉が踵を返そうとする。


 恒一郎が腕を掴んだ。


「待て」


「戻るわ」


「分かってる」


「なら離して」


「一人で行くな」


 朱莉が恒一郎を見る。


「どうして?」


「相手が何人いるかも、何をするかも分かってない」


「でも、お梅が」


「だから俺も行く」


 一瞬、朱莉が黙った。


「……あなた。背負うって決めてないんじゃなかった?」


 恒一郎も少し黙る。


「今は」


「今は?」


 お梅。お菊。お絹。小鈴の顔。


 そして、朱莉。


 恒一郎は考えてから答えた。


「放っておく方が、気分悪い」


「それ、答えになってる?」


「俺の中では」


 朱莉は少しだけ笑った。


「本当に変な人」


「知ってる」


 二人は急いで店へ戻った。


     ◇


 店の前まで来た時、中が騒がしいことに気づいた。


「何?」


 朱莉が走る。恒一郎も続く。


 店の中では女たちが集まり、千代が泣きそうな顔で立っていた。


「朱莉姐さん!」


「何があったの?」


「お梅ちゃんのところに、男の人が来たんです!」


 朱莉の顔が強張る。


「どこ?」


「もう帰りました。おかみさんが追い返して……」


「何て言ってたの?」


「お梅ちゃんに用があるって。『前に話してた頼み事の件だ』って」


 朱莉と恒一郎が顔を見合わせた。


 同じだ。


 お絹の時と。


「お梅には会わせてない?」


「はい。おかみさんが駄目だって」


「男は?」


「怒ってました。でも、帰る時に……」


 千代が床を指した。


「これを落としていきました」


 小さな紙片。


 恒一郎が拾おうとする。


「待って」


 朱莉が言った。


「大丈夫なの?」


 恒一郎の手が止まる。


「……そうだな」


「何?」


「昨日の俺なら、そのまま拾ってた」


「少しは学んだのね」


「誰かのおかげで」


「誰かしら」


 恒一郎は近くにあった布を使い、紙片に直接触れないようにつまみ上げた。


「これなら?」


「最初からそうしなさいよ」


「はい」


 紙片には文字がない。大きな紙の端がちぎれたようなものだった。


 そして、そこに黒い染みがある。


「……ある」


「やっぱり?」


「ああ」


 お菊の金を包んでいた紙。


 蔵前屋の使いが落とした紙片。


 お春の包み紙。


 そして、今度の男。


 同じものかどうかは分からない。


 だが、似た黒い跡がまた出た。


「その男」


 恒一郎が千代を見る。


「顔、覚えてる?」


「はい」


「お春に金を渡した男と同じかは?」


「私、その人は見てません」


「そうか」


 朱莉が低く言う。


「でも、偶然じゃないわよね」


「かなり怪しい」


「またそれ?」


「今度はかなり強めの『かなり』」


「違いが分からないわ」


 だが、朱莉は笑わなかった。


「お梅は?」


「中にいます」


 二人は急いで部屋へ入った。


 お梅は眠っていた。何もされていない。


 恒一郎は少しだけ息を吐き、黒い糸を見る。


 まだ、そこにある。


 細く身体の奥から外へ伸び、どこかへ続いている。


 恒一郎には、その先が見えない。


 今拾った紙片とつながっているわけでもない。さっきの男とつながっているのかも分からない。


 何なのか。


 どうやって消せるのか。


 まだ何一つ分かっていない。


「次は、お梅だったのね」


 朱莉が言った。


「ああ」


「もし、おかみさんが会わせてたら」


「男について出ていったかもしれない」


 朱莉の手が強く握られる。


「本人の意思で?」


 恒一郎は、すぐには答えなかった。


「……分からない」


「でも、お絹は自分で歩いてた」


「ああ」


「なら」


「自分の足で歩いたからって、自分で選んだとは限らないだろ」


 朱莉が恒一郎を見る。


 その言葉を口にした瞬間、恒一郎自身も何かが引っかかった。


 お梅から伸びる、細い黒い糸。


 本人には見えない。


 本人が望んだものでもない。


 誰かが弱みにつけ込み、金を差し出し、名前を書かせる。


 そのあとで何が起きているのかは、まだ分からない。


 それでも最後には、本人がついていったように見える。


 恒一郎は、ふと朱莉を見た。


 蔵前屋から贈られたもの。


 積まれた金。


 何不自由なく暮らさせてやるという言葉。


 本人が望んでもいないのに、相手のためだと言いながら少しずつ選べる道を塞いでいく。


 形は違う。


 だが、やっていることはよく似ていた。


「恒一郎?」


 朱莉がこちらを見る。


「何?」


「怖い顔してるわよ」


「そう?」


「今度は本当に」


 恒一郎は、もう一度黒い糸を見る。


 誰が結んだのか。何のためなのか。


 どう壊せばいいのかも、まだ分からない。


 だから、まずは突き止める。


 本人が自分で選んだように見せながら、実際には選べる道そのものを奪っている奴がいるなら。


 それは、ひどく気に入らない。


「これが何なのか、ちゃんと分かったら」


 朱莉が眉を上げる。


「分かったら?」


 恒一郎は目を細めた。


「その時は――」


 黒い糸。


 蔵前屋。


 金。


 本人の意思を無視して、人を縛るもの。


「その鎖ごと、壊してやる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。