第12話 全部、つながっている
「……ずいぶん、話が早いな」
恒一郎が店の表へ出ると。
一人の男が待っていた。
四十前後だろうか。
派手さのない着物。
腰には刀。
その後ろには、若い男が一人控えている。
「お前が志堂恒一郎か」
「そうだけど」
「少し話がある」
「ここじゃ駄目?」
男が眉を寄せた。
「ずいぶん肝が据わってるな」
「昨日から色々ありすぎて、慣れてきた」
「何の話だ」
「こっちの話」
背後で。
朱莉が小さく息を吐くのが聞こえた。
男は恒一郎をしばらく見たあと、言った。
「蔵前屋の者を脅したそうだな」
やはり。
恒一郎は少しだけ目を細めた。
「脅してない」
「相手はそう言ってる」
「何て?」
「主人を侮辱した上、後悔させると言ったそうだ」
「言ってないな」
「では何と言った」
「後悔するなって言われたから、『それも俺が決める』って」
男が黙る。
「……それだけか?」
「他にも話したけど、脅してはいない」
「その口ぶりで?」
「失礼だな」
「恒一郎」
朱莉が後ろから低く言う。
「何?」
「少し黙った方がいいと思う」
「そう?」
「ええ」
男が朱莉を見る。
「朱莉もいたのか」
「ええ。私もその場にいました」
「本当に脅していない?」
「刀も抜いてないし、手も出してません」
「言葉は?」
「口は悪かったわね」
「朱莉」
「事実でしょう?」
「まあ」
男が長く息を吐いた。
「……今日は捕らえに来たわけじゃない」
「じゃあ何しに?」
「忠告だ」
「誰からの?」
男の目が僅かに動く。
「俺からだ」
「本当に?」
「お前さん」
声が低くなる。
「何でも見透かそうとするのは、長生きしないぞ」
「見透かしてるわけじゃない」
まだ。
見えているだけだ。
それも、全部ではない。
恒一郎は男を見る。
怒っている。
だが。
それだけではなかった。
困っている。
面倒に巻き込まれたくない。
そんな色が混ざっている。
「蔵前屋には近づくな」
男が言った。
「どうして?」
「この町で商いをしてる人間なら、誰でも知ってる」
「俺は昨日来たばかりだから知らない」
男が怪訝そうに恒一郎を見る。
「蔵前屋は金を持ってる」
それ以上は追及せず、男は続けた。
「商いも大きい。役所にも顔が利く」
「それは聞いた」
「だったら分かるだろ」
「何が?」
「正しいか間違ってるかだけで、世の中が動くわけじゃない」
恒一郎は黙った。
その言葉。
嫌というほど知っている。
前の人生でも。
誰が正しいかより。
誰が上司か。
誰が顧客か。
誰が金を払っているか。
そんなもので決まることは、いくらでもあった。
「だから、関わるな?」
「そうだ」
「花街の娘が消えてても?」
男の表情が変わった。
ほんの一瞬。
「……何の話だ」
「知らない?」
「質問してるのはこっちだ」
「今、顔が変わった」
「恒一郎」
朱莉が今度は少し強く呼ぶ。
だが。
恒一郎は男を見ていた。
「知ってるんだな」
「決めつけるな」
「じゃあ、知ってる?」
男が黙る。
やがて。
「娘が店を抜けるなんて、珍しい話じゃない」
「寝込んだあとに消えてても?」
今度は。
明らかに沈黙が長かった。
「……誰から聞いた」
「何人かから」
「余計なことを嗅ぎ回るな」
「それも忠告?」
「ああ」
「誰のための?」
男が恒一郎を睨む。
「お前のためだ」
恒一郎は少しだけ考えた。
「そうか」
あまりに素直に答えたせいか。
男の方が拍子抜けした顔をした。
「……分かったのか?」
「忠告してくれてることは」
「なら」
「聞くかどうかは別だけど」
「お前な……」
「一つだけ聞いていい?」
「何だ」
「消えた娘たちを、役所では探してないの?」
男は答えなかった。
その沈黙が。
答えのように見えた。
「もういい」
男は踵を返す。
「俺は忠告したからな」
「名前は?」
男が振り返る。
「……榊だ」
「分かった」
榊は少しだけ意外そうな顔をした。
それから。
小さな声で言う。
「本当に長生きしたいなら、余計なものは見るな」
そして。
若い役人を連れて去っていった。
◇
「あなた、役人にもあんな感じなの?」
店へ戻るなり。
朱莉が言った。
「初めて話したから分からない」
「そういう意味じゃない」
「でも、あの人」
恒一郎は榊が消えた入口を見る。
「少なくとも、蔵前屋の言いなりで来たようには見えなかった」
「分かるの?」
「そこまでは」
「じゃあ何が?」
「俺を捕まえに来たんじゃないのは、本当だと思う」
「忠告も?」
「たぶん本気」
朱莉の眉が寄る。
「だったら、なおさら厄介ね」
「なんで?」
「蔵前屋に言われて脅しに来たなら、話は簡単でしょう?」
「敵だって分かるから?」
「ええ」
朱莉は少し考える。
「でも、本当にあなたを心配して『関わるな』って言ってるなら」
「蔵前屋に逆らうのが、それくらい危ないってことか」
「そういうこと」
恒一郎は少し笑った。
「何?」
「面倒になってきたなって」
「笑うところ?」
「前なら嫌だった」
「今は?」
恒一郎は少し考える。
「自分で関わるって決めたなら、まあ」
朱莉が恒一郎を見る。
「……決めたの?」
「まだ全部じゃない」
「何それ」
「少しずつ」
「慎重ね」
「覚えただろ?」
朱莉が笑った。
「ええ。分からないものを、分かったって言う方が危ない」
「正解」
◇
「二人とも」
おかみさんが、さっきの覚え書きを広げていた。
「まだ話の途中だったね」
「ごめんなさい」
朱莉が隣へ座る。
恒一郎も紙を見る。
寝込んだ娘。
消えた娘。
金を渡された娘。
「この四人」
恒一郎が、印の付いた名前を見る。
「誰が金を渡したか、もう少し分からない?」
「一人は話を聞けそうだよ」
「誰?」
おかみさんが名前を指す。
「お絹」
「消えた子?」
朱莉が聞く。
「そう」
「本人がいないのに?」
「同じ店の子が、男から金を受け取るところを見てたらしい」
おかみさんは、さらに一つの名前を指で叩いた。
「それと、このお千代」
「千代?」
恒一郎が反応する。
「うちの千代じゃないよ。同じ名前なだけさ」
「紛らわしいな」
「名前に文句言うんじゃないよ」
「すみません」
「この子は寝込んだけど、今はもう動けるらしい」
「金をもらってる?」
「ああ」
「会える?」
「朱莉なら話は通ると思うよ」
朱莉が頷く。
「行ってみる?」
「ああ」
「その前に」
恒一郎は覚え書きを見る。
「消えた子の方を聞きたい」
「お絹?」
「うん」
なぜ消えたのか。
金を受け取ったあと。
病気になったのか。
誰かが迎えに来たのか。
何か残していないのか。
「同じ店の子はどこ?」
「昼過ぎなら話せるそうだよ」
「なら、その時に」
おかみさんが恒一郎を見た。
「ずいぶん本気になってきたじゃないか」
「そう見える?」
「見えるよ」
朱莉が横で笑う。
「本人はまだ認めたくないみたいだけど」
「別に認めたくないわけじゃない」
「じゃあ何?」
「どこまでやるか決めてないだけ」
「同じじゃないか」
おかみさんが笑った。
◇
そこへ。
千代が走ってきた。
「朱莉姐さん!」
「どうしたの?」
「お梅ちゃんが起きました!」
朱莉がすぐに立ち上がる。
「具合は?」
「熱はまだあるけど、話せます」
「恒一郎」
「ああ」
二人はお梅の部屋へ向かった。
布団の中。
お梅が薄く目を開けている。
「お梅」
「朱莉……姐さん……」
「無理に話さなくていいわ」
「ごめんなさい……」
「何が?」
「仕事……」
「そんなのどうでもいい」
朱莉が即座に言った。
「今は寝てなさい」
お梅が少し笑った。
恒一郎は、その横で黒い糸を見る。
まだある。
昨夜よりは薄い。
だが。
消えてはいない。
「お梅」
恒一郎が声をかける。
少女がこちらを見る。
「……誰?」
「志堂恒一郎」
「昨日……いた人……?」
「そう」
朦朧としながらも、覚えていたらしい。
「少し聞いていい?」
朱莉が恒一郎を見る。
「大丈夫そうなら」
お梅が小さく頷く。
「倒れる前に、知らない男から金をもらった?」
お梅の目が。
僅かに見開かれた。
「……なんで」
朱莉と恒一郎が目を合わせる。
「もらったの?」
朱莉が聞く。
お梅がゆっくり頷いた。
「いつ?」
「四日……くらい前」
「どんな男?」
「分からない……知らない人」
「何て言われた?」
お梅は苦しそうに息をする。
「無理ならいい」
恒一郎が止めようとした時。
お梅が言った。
「困ってるだろうって……」
また。
同じだ。
「それで?」
「お金を……」
「何か返せって?」
お梅は首を横に振る。
「ただ……」
「ただ?」
「あとで……頼むことがあるって」
朱莉の顔が強張る。
「何を頼まれたの?」
「まだ……」
恒一郎が眉を寄せる。
「まだ?」
「その前に……倒れたから……」
部屋が静かになる。
お梅は。
金を受け取った。
頼み事をすると言われた。
だが。
頼まれる前に発症した。
お春は。
金を受け取った。
まだ黒い糸はない。
違いは何だ。
「お梅」
恒一郎が聞く。
「金以外に、何か渡されたり、何かするよう言われたりしなかった?」
「……?」
「小さなことでもいい」
お梅は目を閉じる。
しばらく考えて。
「……あ」
「何?」
「紙……」
「紙?」
「名前を……書いた」
恒一郎の表情が変わった。
朱莉も身を乗り出す。
「何の名前?」
「自分の……」
「どうして?」
「お金を渡すから……受け取った印にって……」
恒一郎は。
お春のことを思い出す。
「お春には……」
朱莉も同じことに気づいたらしい。
「名前を書いたか、聞いてない」
「お菊も」
「ええ」
恒一郎はお梅を見る。
「何に書いた?」
「小さい……紙……」
「その紙は?」
「男が……持ってった……」
恒一郎の頭の中で。
何かが。
一つ。
噛み合った。
金だけじゃない。
名前。
本人が書いた。
そして。
相手が持っていった。
だが。
それだけで何が起きるのかは、まだ分からない。
「朱莉」
「分かってる」
「お菊に聞こう」
「お春にも」
「ああ」
恒一郎は立ち上がる。
「ちょっと待ちな」
入口から声がした。
おかみさんだった。
手には、さっきの覚え書きがある。
「今の話で思い出したよ」
恒一郎と朱莉が振り返る。
「何?」
「お絹のことを見てた子がね。金を受け取る時に、何か紙へ書いてたとも言ってた」
「何を書いたかは?」
「そこまでは見てないそうだ」
まだ。
確定ではない。
だが。
お梅は名前を書いた。
消えたお絹も、何かを書かされている。
「他には?」
「今のところ、それだけだよ」
「分かった」
恒一郎は覚え書きを見る。
金。
黒い跡。
名前を書かされた娘。
病。
失踪。
そして。
蔵前屋の使いにも残っていた、似た跡。
失踪について何かを知っているらしい役所。
まだ。
証拠は足りない。
名前を書くことが原因だとも言い切れない。
蔵前屋が何を知っているのかも。
役所がどこまで関わっているのかも。
何のために娘が消えているのかも。
何一つ、答えは出ていない。
それでも。
全部が無関係だと考える方が、もう不自然だった。
「恒一郎?」
朱莉が呼ぶ。
恒一郎は、お梅から伸びる黒い糸を見る。
細い糸。
身体の外へ。
どこかへ続いている。
「……全部」
「何?」
「まだ分からないことだらけだけど」
恒一郎は目を細めた。
「少しずつ、つながってきた」




