第九話 十通の手紙
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その夜。
大坂。
秀吉が築き始めた城は。
まだ完成には程遠かった。
石垣の向こうでは。
夜遅くまで人夫たちが働いている。
槌の音。
木材を運ぶ音。
兵たちの声。
そのすべてが。
遠くから聞こえていた。
俺は。
その一室で眠っていた。
上杉景勝。
北条氏政。
徳川家康。
そして。
秀吉。
今日一日だけでも。
俺は。
前世で名前だけ知っていた人間たちと。
何人も顔を合わせた。
少し疲れていたのだと思う。
*
「三法師様!」
突然。
襖が開いた。
「……ん?」
眠たい目を開ける。
そこにいたのは。
長谷川秀一だった。
いつも落ち着いている秀一が。
珍しく息を切らしている。
「どうしたの?」
「急ぎの知らせにございます」
「信雄叔父さん?」
秀一が。
頷いた。
「はい」
俺は。
眠気が一気に消えた。
*
「羽柴秀吉殿から」
秀一は。
一通の書状を差し出した。
「織田信雄様へ。
講和を促す書状が届いたとのことです」
「講和……」
俺は。
書状を見る。
「内容は?」
「信雄様に対して」
秀一が。
慎重に言葉を選ぶ。
「三法師様の身を案じるのであれば。
これ以上、戦を続けるべきではない。
そのような内容にございます」
俺は。
黙った。
*
秀吉が。
俺を使った。
いや。
正確には。
俺の存在を。
信雄叔父さんへの圧力に使った。
分かっていた。
秀吉は。
俺を殺すつもりはない。
むしろ。
織田家の当主として。
俺を利用したい。
だからこそ。
俺の命を。
信雄叔父さんの弱点として使う。
「……信雄叔父さん」
俺は。
呟いた。
*
秀一は。
続けた。
「さらに」
「まだあるの?」
「はい」
「信雄様は。
かなり思い悩んでおられるとのことです」
俺は。
黙って聞いた。
「徳川家康殿とともに。
このまま戦を続けても。
仮に勝利したとして。
織田家が家康殿の影響下に入る可能性が高い」
「……」
「しかし。
敗北すれば」
秀一の声が。
少し低くなる。
「秀吉殿によって。
織田家そのものを潰されるのではないかと」
俺は。
布団の上で。
小さな手を握った。
*
信雄叔父さんは。
挟まれている。
秀吉と戦えば。
家康の力を借りるしかない。
家康に勝ってもらえば。
今度は。
織田家が徳川の影響下に入る。
秀吉に負ければ。
織田家そのものが消える。
しかも。
俺がいる。
織田家の嫡流。
三法師。
俺の未来を考えれば。
信雄叔父さんが。
秀吉の講和を受け入れようとするのも。
当然だった。
*
「……信雄叔父さん」
俺は。
小さく呟いた。
「俺のために」
戦を終わらせようとしている。
でも。
それでは駄目だ。
信雄叔父さんが。
織田家を守ろうとして。
秀吉に実権を渡す。
その未来は。
俺の知っている歴史へ。
また一歩近づいてしまう。
*
「秀一」
「はい」
「お願いがある」
「何でございましょう」
「清洲へ行く」
秀一の目が。
大きく開いた。
「今から、でございますか?」
「うん」
「しかし……」
「信雄叔父さんに会う」
俺は。
布団から降りた。
足元がふらつく。
それでも。
立った。
「急がないと」
「三法師様」
「お願い」
秀一は。
しばらく俺を見ていた。
そして。
深く頭を下げた。
「承知いたしました」
*
「それと」
「はい」
「これを持っていく」
俺は。
机の上に置かれた書状の束を指差した。
秀一が。
怪訝そうな顔をする。
「……これは?」
「十通」
「十通?」
「うん」
俺は。
その束を。
小さな手で押さえた。
「信雄叔父さんに見せる」
秀一は。
書状を一通ずつ確認した。
差出人。
丹羽長秀。
長谷川秀一。
福富秀勝。
前田玄以。
佐々行政。
矢部家定。
滝川一益。
前田利家。
上杉景勝。
北条氏政。
十人。
十通。
*
「これを」
俺は。
秀一を見る。
「絶対に無くさないで」
「命に代えても」
「うん」
俺は。
頷いた。
「じゃあ」
俺は。
小さな胸を張った。
「信雄叔父さんを助けに行こう」
*
大坂から。
清洲へ。
俺たちは急いだ。
*
清洲城。
その頃。
信雄は。
一人。
机の前に座っていた。
目の前には。
秀吉から届いた書状。
そして。
家康からの報告。
どちらを選んでも。
織田家が危うい。
「……どうすればいい」
信雄は。
頭を抱えた。
父。
信長。
兄弟たち。
そして。
三法師。
織田家を守りたい。
ただ。
それだけだった。
「三法師を」
信雄は。
目を閉じた。
「路頭に迷わせるわけにはいかぬ」
だから。
秀吉の申し出を。
受けようとしていた。
*
「信雄様」
家臣が。
声を掛ける。
「御休みになられては?」
「眠れるものか」
信雄は。
答えた。
「儂が戦を始めた」
「……」
「このまま勝てば。
家康の力を借りることになる」
「……」
「負ければ。
秀吉に織田家を奪われる」
信雄は。
拳を握った。
「どちらに転んでも。
織田家が残る保証などない」
そして。
「それならば」
秀吉の書状を見る。
「せめて三法師だけでも守らねば」
*
そこへ。
「信雄様!」
外から。
慌ただしい声が聞こえた。
「何だ!」
「三法師様がお見えです!」
「……何?」
信雄が。
立ち上がった。
*
襖が開く。
「信雄叔父さん」
「三法師……?」
信雄は。
目を疑った。
目の前にいるのは。
大坂にいるはずの。
三法師。
その小さな体が。
長谷川秀一に支えられて立っている。
「なぜ……」
「来た」
「いや。
なぜここへ?」
「信雄叔父さん」
三法師は。
信雄を見た。
「秀吉さんから。
手紙、来た?」
「……」
信雄は。
答えられなかった。
その反応だけで。
三法師には分かった。
*
「信雄叔父さん」
「何だ」
「秀吉さんと。
家康さん。
呼んで」
「……何?」
「二人とも」
「ここへ呼べと?」
「うん」
信雄は。
呆然とした。
「三法師。
これは子供の遊びではない」
「遊びじゃないよ」
三法師は。
まっすぐ信雄を見る。
「織田の話をする」
*
やがて。
信雄の命によって。
秀吉と家康へ。
使者が送られた。
当然。
二人とも。
簡単には応じなかった。
だが。
その使者が。
「三法師様がお呼びです」
と告げると。
二人とも。
その意味を考えた。
そして。
やがて。
二人が。
清洲へ姿を現した。
*
部屋の中央。
信雄。
その隣に。
三法師。
向かいには。
羽柴秀吉。
徳川家康。
そして。
長谷川秀一。
その後ろには。
まだ。
誰もいない。
*
「三法師様」
秀吉が。
口を開いた。
「このような場所で。
いったい何を?」
「話」
「何のお話でしょう」
「織田の話」
秀吉の笑顔が。
少しだけ固まった。
家康は。
黙って三法師を見ている。
*
三法師は。
信雄を見る。
「信雄叔父さん」
「うむ」
「戦を始めた」
「……」
「だから」
三法師は。
秀吉と家康を見る。
「責任を取る」
秀吉が。
眉を動かした。
「責任?」
「うん」
三法師は。
続けた。
「信雄叔父さんは。
織田家の実権を。
秀吉さんと家康さんに渡す」
「……!」
秀吉の顔が。
変わった。
「そして」
三法師は。
自分の胸を指差した。
「俺は。
三法師として。
織田を残す」
「三法師様?」
「岐阜」
地図を広げる。
「尾張」
「……」
「北伊勢」
そして。
「ここを。
俺の織田にする」
秀吉は。
完全に黙った。
*
「お待ちください」
秀吉が。
初めて焦った声を出した。
「三法師様。
それでは……」
「何?」
「織田家の実権を。
そのように分けるなど」
「秀吉さん。
欲しいんでしょ?」
「……」
「織田の実権」
秀吉は。
言葉を失った。
*
家康が。
静かに口を開いた。
「三法師様」
「はい」
「なるほど。
面白いお考えです」
秀吉が。
家康を見る。
「家康殿」
家康は。
気にせず続ける。
「ですが」
「うん」
「三法師様。
これからは。
信長公の御威光を。
今までのように利用することはできませぬぞ」
「うん」
「織田家の実権を手放せば。
周囲は。
三法師様を守る理由を失います」
「……」
「すぐに。
どこかの大名が攻めてくるかもしれませぬ」
家康は。
静かに尋ねた。
「その時。
三法師様は。
どうなされます?」
俺は。
少し考えた。
そして。
笑った。
「その時は」
家康を見る。
「助けてよ」
「……」
家康の目が。
少し細くなる。
三法師は。
笑っていた。
*
「では」
家康が。
続けた。
「もし」
「うん」
「我らが。
三法師様を攻めたなら?」
笑顔が。
消えた。
「……」
俺は。
家康を見た。
秀吉も。
信雄も。
黙っている。
俺は。
ゆっくり振り返った。
*
「長谷川」
「はい」
「開けて」
「承知しました」
秀一が。
後ろの襖へ手を掛ける。
ゆっくり。
開いた。
*
そこに。
人がいた。
先頭に。
丹羽長秀。
その後ろに。
前田利家。
滝川一益。
さらに。
上杉景勝。
北条氏政。
*
秀吉の顔から。
笑みが消えた。
「……これは」
家康は。
しばらく黙っていた。
そして。
小さく笑った。
「なるほど」
三法師は。
二人を見る。
「攻めたら」
小さな手を。
上杉へ向ける。
「上杉さん」
次に。
北条を見る。
「北条さん」
「困るよね」
氏政が。
一歩前へ出た。
*
「羽柴秀吉殿」
氏政は。
静かに言った。
「徳川家康殿」
二人を見据える。
「我ら北条は」
一拍置いて。
「越後の上杉とともに。
三法師様との三国同盟を結んでおります」
「……!」
秀吉が。
息を呑んだ。
家康は。
目を細める。
*
「我らが三法師様を攻めれば」
家康が。
小さく笑った。
「越後と相模から。
挟み撃ちですな」
景勝は。
黙っている。
だが。
否定もしない。
利家も。
滝川も。
丹羽も。
誰も動かない。
ただ。
三法師の後ろに。
立っている。
*
秀吉は。
考えていた。
岐阜。
尾張。
北伊勢。
そこだけなら。
たいした脅威ではない。
しかし。
その背後に。
上杉。
北条。
さらに。
滝川。
利家。
丹羽。
織田家臣団。
それがいる。
そして。
自分が今。
まさに戦っている相手。
徳川家康までいる。
この小さな子供を。
敵に回す意味が。
想像以上に大きい。
*
先に動いたのは。
家康だった。
「三法師様」
「はい」
「一つ。
お願いがございます」
「なに?」
家康は。
静かに頭を下げた。
「その同盟に」
一拍。
「我らも加えていただけませぬか」
「……」
秀吉が。
振り向く。
「家康殿?」
家康は。
続ける。
「三法師様の御領地を。
我らが攻める必要はない」
「……」
「それどころか。
織田家を残すという御考えには。
我らも賛同いたしましょう」
そして。
「実権については」
家康が。
秀吉を見る。
「秀吉殿にお譲りすればよい」
「なっ……」
秀吉が。
絶句する。
*
「もちろん」
家康は。
三法師を見る。
「徳川も。
三法師様の御敵にはなりませぬ」
「……」
「これで。
よろしいのでは?」
俺は。
しばらく。
家康を見ていた。
そして。
笑った。
*
「本当?」
「はい」
「ありがとう」
俺は。
嬉しくなった。
「こちらこそ。
頼むよ」
家康は。
深々と頭を下げた。
*
秀吉は。
まだ黙っている。
だが。
やがて。
ゆっくりと息を吐いた。
「……三法師様」
「うん」
「まことに。
お強くなられましたな」
俺は。
首を傾げた。
「そう?」
「はい」
秀吉は。
笑った。
ただし。
その笑顔の奥には。
複雑なものがあった。
*
こうして。
信雄は。
織田家の実権を手放した。
秀吉と。
家康。
二人に。
その権限を譲る。
そして。
三法師は。
岐阜を中心として。
尾張。
北伊勢。
その三地域を基盤とする。
新たな織田家を残した。
*
表面だけを見れば。
秀吉は。
織田家の実権を手に入れた。
歴史は。
また。
俺の知っている形に戻ったようにも見える。
けれど。
決定的に違う。
*
秀吉は。
織田家の実権を手に入れた。
だが。
織田家そのものを。
完全には飲み込めなかった。
その東には。
徳川。
さらに東には。
北条。
北には。
上杉。
そして。
その中心に。
岐阜。
尾張。
北伊勢を持つ。
俺の織田家がある。
*
越後から北陸。
美濃から尾張。
東海。
そして関東。
それぞれの大名を。
俺は。
まだ直接支配していない。
領地だって。
大したものじゃない。
兵力だって。
秀吉には到底及ばない。
それでも。
一本の線が。
できた。
俺を中心として。
大名たちを繋ぐ。
一本の線が。
*
俺は。
ふと。
秀吉を見た。
家康を見る。
信雄を見る。
そして。
後ろにいる仲間たちを見る。
丹羽長秀。
前田利家。
滝川一益。
上杉景勝。
北条氏政。
みんな。
俺を見ている。
*
「……これなら」
俺は。
小さく呟いた。
「長生きできるかな」
誰にも聞こえない声だった。
*
前世の俺は。
三法師の記事を書いた。
その後の人生を。
ろくに知らないまま。
記事にした。
まさか。
自分が。
その三法師になるなんて。
思いもしなかった。
まして。
その人生を。
自分で変えることになるなんて。
*
俺は。
まだ三歳。
でも。
今日。
初めて。
歴史を。
一つだけ。
大きく変えた。
*
秀吉は。
実権を手に入れた。
家康も。
織田家と敵対する理由を失った。
信雄は。
織田家を守るために。
実権を手放した。
そして。
三法師は。
織田家を残した。
*
ただ。
誰も。
まだ気づいていなかった。
三歳の幼子が。
秀吉と家康を。
織田家の実権を巡って争う二人ではなく。
自分の織田家を中心とする。
巨大な勢力の一員に。
変えてしまったことを。
*
俺は。
十通の手紙を。
思い出した。
丹羽長秀。
長谷川秀一。
福富秀勝。
前田玄以。
佐々行政。
矢部家定。
滝川一益。
前田利家。
上杉景勝。
北条氏政。
*
十人の仲間。
十通の手紙。
それが。
俺を守る。
最初の盾になった。
*
俺は。
小さな拳を握った。
「よし」
そして。
まだ見ぬ未来を。
見つめた。
「次は」
何を変えよう。
俺は。
もう。
歴史に流されるだけの三法師ではなかった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
ぜひ、感想やコメントをもらえたら嬉しいです。
また、おかまバー〈ゴールデン戦国〉の夜話 ― 推し義龍様と転生ママ ―も連載中です。
そちらもよろしかったらご一読ください。




