第三話 俺が当主?
清洲城に着いた。
籠の隙間から外を見る。
城。
武士。
馬。
槍。
旗。
すべて本物だった。
俺は今まで、いくつもの城を取材してきた。
城跡を歩いて、石垣を撮影して、案内板を読んで、地元の人から話を聞く。
そのあと、近くの喫茶店で記事を書く。
それが俺の仕事だった。
だから、城を見ること自体には慣れている。
でも。
ここは違う。
清洲城は「残っている」のではない。
今、使われている。
人間がいる。
武士がいる。
そして。
ここで織田家の未来が決まろうとしている。
「……俺、本当に戦国時代にいるんだな」
自分で言っておいて、妙な気分になった。
*
「三法師様」
籠から出される。
当然のように抱き上げられた。
二歳だから仕方ない。
仕方ないのだが。
中身は三十八歳。
それを考えると、かなり複雑な気分になる。
「清洲でございますぞ」
声の主を見る。
秀吉だった。
「……」
俺は秀吉の顔を見上げた。
この男について、俺は知っている。
後に天下を取る。
だが、それ以上は曖昧だ。
俺が書いた記事の主人公は三法師であって、秀吉の生涯ではない。
だから。
秀吉が今、何を考えているのか。
俺には分からない。
ただ一つ。
この男が俺を抱いている。
それだけで。
俺が歴史の中心にいることだけは分かった。
*
広間に入ると、空気が変わった。
何人もの武将がいる。
俺には顔と名前が一致しない人も多い。
だが。
知っている顔がいくつかある。
柴田勝家。
丹羽長秀。
池田恒興。
そして。
織田信雄。
「……」
俺は信雄を見た。
信長の息子。
俺にとっては叔父。
歴史の中では、後に秀吉と争い、徳川家康と組み、小牧・長久手で戦う。
そこまでは知っている。
でも。
今の信雄は。
まだ何もしていない。
俺を見る目も、教科書に載っている人物を見るような目ではない。
一人の幼児を見る目だった。
信雄が近づいてくる。
「これが三法師か」
「はい」
秀吉が答える。
「信忠様の御子でございます」
信雄はしばらく俺を見つめた。
「兄上の子……」
その呟きには、少しだけ感情が混じっていた。
悲しみなのか。
責任感なのか。
それとも別のものなのか。
俺には分からない。
信雄が俺の頭に手を置いた。
「小さいな」
当たり前だ。
二歳だ。
俺は心の中でツッコんだ。
信雄は少し笑った。
「されど、織田家の血はこの子に流れている」
その言葉に。
周囲の空気がわずかに変わった。
*
話し合いが始まった。
俺には難しい話ばかりだった。
信長の死。
信忠の死。
明智光秀。
織田家の領地。
家臣団。
後継者。
俺は秀吉の膝に座らされながら、大人たちの話を聞いていた。
そして。
一つの名前が何度も出てきた。
「三法師様」
俺だ。
「信忠様の嫡子である以上」
「織田家の正統は三法師様にある」
「しかし、いまだ幼少」
「後見が必要」
俺は聞きながら思った。
「……なるほど」
少し分かってきた。
俺自身が政治をするわけではない。
俺は「織田家の正統性」を持つ存在として利用される。
問題は。
誰が俺を後見するのか。
そこだった。
「三法師様をお支えする」
秀吉が言った。
すぐに。
「織田家のことは、織田家の者が支えるべきでしょう」
別の声がした。
信雄だった。
秀吉と信雄。
二人が互いを見る。
笑っている。
だが。
俺には分かった。
この二人。
仲良しではない。
少なくとも。
俺を巡って、意見が違う。
*
話し合いは続いた。
やがて。
三法師を織田家の後継者として立てることが決まっていく。
俺は呆然としていた。
「……俺?」
秀吉が笑う。
「はい」
俺を見る。
「三法師様こそ、織田家を継ぐ御方でございます」
俺は周囲を見る。
柴田勝家。
丹羽長秀。
池田恒興。
信雄。
秀吉。
全員が俺を見ている。
俺は。
二歳。
なのに。
俺の未来が、今ここで決められている。
俺は少し怖くなった。
現代では。
自分の人生は自分で決めるものだと思っていた。
仕事を選ぶ。
住む場所を選ぶ。
結婚する。
旅行する。
記事を書く。
全部、自分で決める。
それが当たり前だった。
だが。
ここでは違う。
二歳の俺には。
何も決められない。
だから。
周囲の大人が決める。
俺の人生を。
*
会議の後。
俺は信雄と二人きりになった。
いや。
正確には、少し離れたところに家臣がいる。
完全な二人きりではない。
信雄は俺の前に座った。
「三法師」
「……はい」
「お前は、まだ幼い」
俺は黙っている。
「今は何も分からぬだろう」
分かっている。
むしろ。
俺はあなたより色々知っている。
とは言えない。
「だが」
信雄が続ける。
「お前は織田家の血を継ぐ者だ」
俺は信雄を見る。
「織田家は、お前の家だ」
その言葉。
なぜか胸に残った。
秀吉も俺を守ると言った。
信雄も俺を守ると言う。
でも。
二人の言葉は少し違う。
秀吉は、
「私が支える」
と言った。
信雄は、
「織田家はお前の家だ」
と言った。
俺はその違いが気になった。
*
清洲会議が終わった。
俺は織田家の後継者となった。
……らしい。
らしい、というのは。
俺自身が何もしていないからだ。
俺がやったことといえば。
飯を食って。
寝て。
抱き上げられて。
大人の話を聞いていただけ。
「……これで俺が当主?」
妙な話だった。
ところが。
話はそれで終わらなかった。
*
その後、俺は清洲で過ごすことになった。
そして、しばらくして。
俺は織田家の内部事情を少しずつ知ることになった。
信雄。
信孝。
三法師。
そして。
秀吉。
それぞれに立場がある。
俺は、その関係を整理しようとした。
信長の息子。
信忠の息子。
俺。
「……ややこしいな」
現代なら、家系図を書けば終わる。
だが戦国時代では。
血筋だけでなく。
誰がどの家臣を持っているか。
どの領地を持っているか。
誰と同盟しているか。
それが重要になる。
俺はそこで初めて。
「織田家の当主」という言葉の意味を少し理解した。
*
1582年10月。
俺は正式に織田家の家督を継ぐ立場として扱われることになった。
だが。
当然ながら。
二歳の俺に政治はできない。
織田家の実際の運営には、成人した織田一族や重臣たちが関わる。
その中でも。
信雄の存在は大きかった。
「信雄様が織田家をまとめる」
そんな話を耳にする。
俺は考えた。
「……じゃあ、俺は?」
織田家の正統な跡取り。
でも。
政治はできない。
俺の代わりに。
信雄が動く。
秀吉も動く。
丹羽も。
池田も。
柴田も。
俺を中心に。
みんなが動く。
「……」
俺は妙な気持ちになった。
俺は織田家の当主なのか。
それとも。
ただの看板なのか。
*
その日の夜。
俺は布団の中で、過去の記事を思い出していた。
三法師。
織田信長の孫。
清洲会議。
その後。
岐阜。
秀吉。
関ヶ原。
西軍。
敗北。
高野山。
1605年。
そこまで思い出した。
「……」
俺は天井を見つめた。
やっぱり。
俺は死ぬ。
しかも。
このまま行けば。
関ヶ原で西軍につく。
そして負ける。
「いや」
俺は首を振った。
まだ二歳だ。
これから二十年以上ある。
「変えればいい」
簡単に言った。
だが。
何をどう変えるのか。
それは分からない。
歴史の細部を知らない。
誰が敵になるのかも。
誰が味方になるのかも。
俺は知らない。
それでも。
一つだけ。
決めた。
「俺は、織田家を残す」
秀吉の家臣になるつもりはない。
徳川家康の家臣になるつもりもない。
俺は織田家の人間だ。
そして。
俺には、もう一つ気になることがある。
俺が書いた記事にあった。
後に俺は。
羽柴秀信。
と名乗る。
「……」
俺は眉をひそめた。
なぜだ?
いつ。
どうして。
俺は羽柴になる?
まだ知らない。
だが。
俺は小さな拳を握った。
「……嫌だな」
それだけは。
なぜか。
強く思った。
*
その頃。
清洲の別の部屋では。
秀吉と信雄が向かい合っていた。
「三法師様は、まだ幼すぎる」
信雄が言う。
「だからこそ、我らが支えねばなりませぬ」
秀吉が答える。
「織田家のことは、織田家の者が決めるべきだ」
「もちろん」
秀吉は笑った。
「織田家のために、私も尽くすつもりでございます」
信雄は秀吉を見た。
「……羽柴殿」
「はい」
「三法師は、兄上の嫡子だ」
「承知しております」
「ならば」
信雄の目が鋭くなる。
「その子を、誰のものにもしてはならぬ」
秀吉は笑顔のままだった。
「それは、まことにごもっとも」
しばしの沈黙。
やがて秀吉が頭を下げた。
「三法師様は、織田家の御方でございます」
信雄は答えなかった。
その二人の会話を。
二歳の俺は知らない。
ただ。
この日から。
俺を巡る政治が始まった。
俺はまだ知らない。
信雄が。
秀吉が。
そして織田家の人々が。
それぞれの「三法師」を思い描いていることを。
俺自身が。
そのどれでもない人生を選ぶことになることを。




