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第13話 届いた槍

 小平太の肩から流れた血は、豪雨に洗われながら鎧を赤く染めていた。


 新介は思わずその傷へ目をやった。左近の太刀が深く入ったわけではない。それでも、肩から腕へ伝わる血の量を見れば、決して軽い傷ではなかった。


「小平太!」


 呼びかけると、小平太は肩を一度回し、傷の具合を確かめるように腕を動かした。顔には痛みが浮かんだものの、それを隠すように口元を歪める。


「腕は動く。まだ終わっちゃいねぇ」


 そう言って、槍を握り直した。


 その姿を見て、新介も刀を構え直す。


 正面からでは届かない。


 先ほどの一合で、それは嫌というほど分かっていた。左近の槍を払う速さも、太刀へ持ち替えてからの踏み込みも、こちらの想像を一歩先んじている。力で押し切ろうとしても、技で崩そうとしても、左近はその動きを見てから最も短い動きで応じてくる。


 それでも、二人でかかるしかなかった。


 新介は息を吸い、泥を蹴った。


 小平太の槍が正面から突き込まれる。その脇を抜けるように、新介は刀を横へ薙いだ。


 左近は身を沈めた。


 刀が空を切った。


 次の瞬間、左近の太刀が返ってくる。


 新介はとっさに身を捻った。刃が肩口を掠め、熱い痛みが走る。あと一瞬遅れていれば、肩から胸まで斬り裂かれていただろう。


 新介は大きく退いた。


 雨が傷口を打つ。


 痛みを感じながらも、新介の頭には一つのことだけが浮かんでいた。


 ――届かない。


 刀では、左近の間合いへ入り切れない。


「新介!」


 小平太の声が飛んだ。


 槍が再び唸り、左近へ迫る。左近は新介を追わず、小平太の槍を受けた。穂先を外へ流し、そのまま太刀を返す。小平太は身を引きながら槍を立て直し、次の一撃へ備えた。


 その間に、新介は左へ回った。


 正面からは出ない。ただ左近の足と肩の動きを見ながら、踏み込む機会を探る。


 小平太が突けば、左近はそれを受ける。


 その瞬間に新介が踏み込もうとすれば、左近の視線がこちらへ向く。


 ならば、もう一度。


 小平太が槍を突き出した。


 左近が受ける。


 新介が踏み込む。


 左近の太刀が返る。


 新介は退き、間を置かず小平太が押し込む。


 いつしか二人の動きは、言葉を交わさずとも噛み合い始めていた。小平太が前へ出れば新介が横へ回り、新介が間合いへ入れば小平太が槍を突き込む。どちらか一人を狙えば、もう一人が空いた場所へ入り込む。


 左近は、その二人を相手にしてもなお乱れなかった。


 だが、ほんのわずかに、その動きへ負担が生じ始めていた。


 小平太は肩の痛みを押し殺し、さらに一歩踏み込む。


「おらぁ!」


 槍が雨を裂いた。


 左近の太刀が穂先を弾く。


 その瞬間、新介は左近の側面へ回り込んだ。


 左近の視線が動く。


 ほんのわずかな隙だった。


 だが、小平太には十分だった。


 槍が低く入り、左近の肩口を捉える。


 黒漆の具足が裂け、その下から赤い血が滲んだ。


 左近の足が、初めて半歩だけ退く。


 新介は息を呑んだ。


 届いた。


 今まで一度も崩れなかった男が、確かに退いた。


 小平太も、それを見逃さなかった。


「……当たったな」


 荒い息の中に、わずかな笑みが浮かぶ。


 だが、左近は傷口へ手をやることもなく、静かに太刀を構え直した。


 その目から余裕が消えたわけではない。ただ、先ほどまで二人を測るように見ていた眼差しが、わずかに変わっている。


「なるほど」


 低い声が、雨音の中へ落ちた。


 新介は刀を握り直した。


 左近はまだ立っている。


 傷を負わせたとはいえ、本陣への道が開いたわけではない。むしろ、ここからが本当の勝負なのだと、新介には分かっていた。


 小平太の肩からは、なお血が流れている。新介の肩にも痛みが残っていた。それでも二人は退かなかった。


 その先には、今川義元がいる。


 豪雨の中、左近が太刀を構える。


 新介も刀を構え、小平太は血に濡れた肩を気にすることなく槍を握り直した。


 三人の間に、再び雨音だけが満ちる。


 次に踏み込む者が、この戦の流れを変える。


 そう思った瞬間、小平太が槍を低く構えた。

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