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第12話 強者

 小平太が地を蹴った。


「どけぇ!」


 豪雨を裂いて槍が唸り、一直線に左近へ迫る。左近は半歩だけ身を開いて穂先を外すと、そのまま腰の太刀を返した。


 火花が散った。


 小平太は咄嗟に槍の柄で受けたが、刃を受け止めた衝撃は重く、踏ん張った足が泥の中へ深く沈む。


「……ちっ!」


 小平太はすぐさま槍を引き戻し、今度は間合いを詰めるように踏み込んだ。


 だが、左近は動じない。


 太刀は小平太の槍だけを正確に弾き、その勢いを利用して次の一撃へ備えている。力で押し切ろうとする小平太に対し、左近は必要なところだけを動き、余計な力を一切使わなかった。


 小平太がさらに踏み込む。


 その隙を見て、新介も間合いへ入った。


 槍を突き出す。


 左近の視線が、新介へ向いた。


 次の瞬間、乾いた音が響いた。


 太刀が槍の柄を打つ。


 衝撃が腕を突き抜け、握っていた指が勝手に開いた。槍は手を離れて雨の中を舞い、少し離れた泥へ深々と突き刺さる。


「しまっ――」


 声を終えるより早く、左近が踏み込んでいた。


 刃が真っ直ぐ新介へ迫る。


 速い。


 避ける間がない。


 そう思った瞬間、横から小平太の槍が唸った。


「新介!」


 左近は刀を止めざるを得なかった。


 槍を払う。


 そのまま新介との間へ入り、二人を分断する。


 新介は二歩ほど退いた。


 胸元が浅く裂けている。


 あと半歩踏み込まれていれば、刃はもっと深く入っていた。


 左近は追ってこなかった。


 本陣の前から一歩も退かず、ただ二人を見据えている。


 新介は泥に落ちた槍へ目を向けた。


 拾いに行けば、その間に斬られる。


 迷っている暇はなかった。


 新介は腰の刀を抜いた。


 雨粒が刀身を伝い、白く光る。


「……なんだ、あいつ」


 小平太が息を吐いた。


 新介は刀を構えたまま、左近から目を離さなかった。


「……強い」


 それ以上の言葉は出てこなかった。


 周囲では、なお戦いが続いている。


「左近殿をお助けしろ!」


 今川の近習が本陣へ駆け込もうとしたが、その前へ織田兵が飛び込んだ。


「行かせるな!」


 槍と槍がぶつかり、二人は組み合ったまま泥の中へ倒れ込む。そのすぐ脇でも別の兵たちが激しく斬り結び、本陣へ近づこうとする者も、そこから逃れようとする者も、誰一人として簡単には動けない。


 その中で、左近と新介、小平太のいる場所だけが、まるで別の戦場になっていた。


「まだだ!」


 小平太が再び踏み込んだ。


 槍が一度、二度と唸る。


 三度目の突きが繰り出された。


 左近は受け、払ってかわす。その一連の動きには一歩の乱れもなく、小平太が力で押し込もうとしても、決して間合いを崩さない。


 小平太の槍は重い。


 一撃一撃に、相手を押し潰すほどの力がある。


 それでも、届かなかった。


 新介は刀を構えたまま動けずにいた。


 踏み込めば斬られる。


 槍を失った今の自分には、左近の間合いへ入ることすら難しい。どう動けばいいのか分からないまま、焦りだけが胸の奥へ積もっていく。


 その時、左近が初めて口を開いた。


「若い」


 侮りでも、嘲りでもない。


 ただ、目の前の二人を測るような声だった。


 小平太は歯を食いしばった。


「だったら何だ!」


 再び槍が唸る。


 左近はそれを静かに受けた。


 だが、その刃が一瞬だけ槍の軌道をかいくぐった。


 小平太の右肩から腕へ、熱いものが走る。


「……っ!」


 具足の隙間から血が滲んだ。


 豪雨に打たれた血は、すぐに肩から腕を伝って流れ落ちていく。


 小平太は一瞬だけ傷へ目をやった。


 だが、槍を握る手は緩まなかった。


「まだだ……!」


 肩の痛みを押し殺すように、槍を構え直す。


 左近は、その姿を静かに見ていた。


 そして、ほんのわずかに目を細める。


 小平太が再び踏み込んだ。


 肩から血を流しながら、それでも槍は止まらない。


 左近もまた、太刀を構え直した。


 豪雨の中、二人の間合いが再び重なる。


 新介は刀を握ったまま、その背後にある本陣を見た。


 ここを抜かなければ、義元には届かない。


 そして今、その道を塞いでいるのは、目の前の一人だけだった。

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