第89話 夜の連絡表
十四日の夜、野添慎二は祭り会場の倉庫で最後の長机を裏返した。修理を見送った一台ではない。使用可能な二台のうち、昼に運んだ方の脚に薄い布が挟まっていた。
「これ、何の布?」
「倉庫にあった雑巾です」と手伝いの青年が答えた。「がたついたから敷きました」
「どっちの脚が浮いてた?」
「こっちです。地面が少し斜めで」
野添は布を抜き、机を平らな床へ置き直した。脚はぐらつかない。外の舗装が傾いているなら設置場所を変えれば済むが、そのまま布を挟んで人を寄り掛からせるのは危ない。
「昼の場所、明日も使うんですか」
「雨やったら体育館へ移す。晴れたらこの辺の予定やけど、もう一回測る」
「今から?」
「今なら屋台の人もおるし」
青年は携帯の灯りを点けて外へ出た。昼に付けた青いテープはまだ地面へ貼られている。隣の屋台が布を吊るために使っている重りが、予定していた机の脚の位置まで出ていた。
「このテープ、朝まで持つかな」と青年が言う。
「剥がれたら、まず図面で見直そう。色だけで場所決めたら間違う」
野添は屋台の人へ、机を少し手前へ移してよいか聞いた。焼き物を置く予定の店主は、電源のコードが通るので困ると言う。代わりに、客が列を作る側を一歩下げてもらう話になった。
「それやと店の看板が見えにくい」と店主が指摘した。
「明日の昼に立てる位置、一緒に決めてもらえます?」
「朝ならええよ。暗い中で決めても、客が来たら変わるしな」
野添は仮の位置を図面へ書いた。店主が持っている延長コードは本人のものだし、当日の運営が勝手に動かしてよいわけではない。青いテープの横へ赤鉛筆で印を足し、明朝再確認する欄を一つ増やした。
午後の連絡網とは別に、翌朝の設営担当でまだ返事をもらえていない人が一人いた。野添は携帯を開き、いま掛けても迷惑にならないか考えた。その人は明朝、家の仕事を済ませてから会場へ来る予定だった。
「緊急でないなら、朝でええんじゃないですか」と青年が言う。
「そうやな。ただ、連絡が付かなかったら誰が代わるかは決めてある?」
「俺ですけど、午前しか空いてません」
「午後の担当を探しとこう。明日の朝、その人が来てからでもええ」
青年は予定表に自分の名前を入れた。帰宅する時刻を延ばさなかったことを、野添は別に責めなかった。翌日も祭りの片づけが続くのだから、無理に一人へ残業を頼んで当日欠員を増やしたくない。
※
集会所へ戻ると、黒瀬が折り畳み椅子の数を確認していた。祭り会場へ運び出す分と、急な雨で体育館へ移した場合に残す分とで、名札を別にしている。
「机の場所、また変わるんか」と黒瀬が訊いた。
「明日の朝、屋台の人と最終確認です。片づけのときも通路が要るから」
「昔は並べたもん勝ちやった」
「今夜やったら、まだ直せますから」
黒瀬は椅子を数える手を止めなかった。野添は、提出した書面について聞こうとしてやめた。自分がいま確かめるべきなのは、この倉庫から何脚の椅子を出せるかだ。
外でトラックのエンジンが掛かった。机を運ぶはずだった車が、別の場所の片づけに回るという。運転手は明日の朝まで待てないと言うので、野添は倉庫の横に荷物をまとめ、使う順に置き直してもらった。車が来なくても人の手で運べる量と、二人では危ないものを分けておく。
「これ、明日の雨で濡れんか」
「防水シートを上に掛ける。下に水が溜まらないよう、端は少し開ける」
「その結び方やと風でめくれる」と黒瀬が言った。
黒瀬は結び目の位置を教えたが、最後の確認は野添が行った。青年がシートの反対側を引き、留め具を一つずつ手で揺する。余った紐が通路へ落ちないよう、短く束ねた。
「終わったら、電気を消して鍵掛けます」と青年が言った。
「その前に、窓の鍵も見といて」
「昼に確認しました」
「昼と今は違うから」
青年は不服そうな顔をしたが、すぐに窓へ回った。片側の錠が途中までしか入っていない。昼に開けた人が戻すのを忘れたらしい。カチリと音がして、二人は目を合わせた。
「確認してよかったです」
「明日も忘れんようにな」
「野添さんも忘れそうですけど」
「俺が忘れたら言うて」
※
事務所へ戻った野添の携帯に、楓から明日の連絡窓口について確認が届いた。彼女は祭り当日の連絡を担当する部署にも確認しておく必要があり、用事を済ませてから会場へ来る予定だ。十五年前の文書調査には関わっていない。
『雨になった場合の会場変更は、決めたあとでこちらへ知らせてください』
『了解。判断する二人が揃う時刻と、代理の番号を送ります』
野添は前日のうちに答えられる数字だけ送り、天気を予想で決めないようにした。千鶴の乾物屋からは、出店で使う机の場所をもう少し早く教えてほしいと連絡が来ている。母親が商品の並べ方を決めるのに必要なのだろう。彼は午前の再確認が終わったら電話すると返した。
最後に倉庫を見に戻ると、黒瀬はすでに帰っていた。青年も自転車で坂を下っている。シートを留めた紐は風を受けてもほどけず、青いテープの横には明朝確かめるための赤い印が残っていた。
ひとりで事務所の戸締まりをする前に、野添は音響担当から届いた連絡を開いた。明日使うスピーカーの配線が、予定していた通路を一本横切るという。昼の図面を見ながら話をしたはずなのに、仮設の電源を取る場所が別に変わっていた。
『夜遅くてすみません。コードの長さだけ、先に確認できませんか』
『いまは測れない。明日の設営時刻を十分早めて、現場で確認しましょう』
返信をすると、音響担当から、通路を避けて裏を回す予備のコードがあると連絡が来た。野添はそれを使う前提にせず、当日その場にいる電気設備の担当にも確認してから決めると伝えた。テープで床へ貼っただけの配線を、人の往来が多い場所へ残すつもりはない。
明朝の確認項目はこれで一つ増えた。野添は古い当番表の裏へ書き足しかけ、新しく印刷した方の余白へ項目を移した。誰かが手伝いに来たとき、何を見ればいいかわかる紙が一枚あれば、口で同じ説明を何度も繰り返さずに済む。
野添は事務所の鍵を掛け、明日の朝、最初に来る人へ渡す連絡表を鞄へ入れた。時計はもう遅い時刻を示している。家へ帰れば、自分の家の明日の朝食も考えなければならない。




