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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
最終章 行ってくるね

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第78話 台所の明かり

 梶十三が持ってきた茄子は、ひとつだけ妙に曲がっていた。透がまな板へ並べると、梶は形のいいほうを取り上げ、今晩は自分が食うと言った。


「あんたの畑でしょう」

「うちの畑やから、選ぶ権利もある」

「じゃあ曲がったのを持って帰ります?」

「それはあんたにやる」


 梶は七十一歳になっても、台所へ立つと人の家の調味料を勝手に動かす。透はみりんを元の棚へ戻し、曲がった茄子を半分に切った。隣に置いた祖父の帳面を、梶が見る。


「まだあの二か月を調べとるんか」

「港へ行ったって、前に言ってましたよね」

「行った日を全部覚えとるわけやないぞ。あんた、あのころ飯をまともに食わんかったから、そっちのほうがよう覚えとる」


 梶は茄子の皮へ包丁を浅く入れた。十五年前、透は祖父と二人になり、朝は起きていても食卓へ来ない日が続いた。祖父は焼き飯を作ったが、火を止め忘れ、鍋底を黒くしたことがある。


「あの人、あんたには焦げてないとこだけよそったんよ」

「梶さん、その話、何回目ですか」

「焦げたほうをわしが食うた話は初めてや」


 透は卵を二つ出しかけ、一つ冷蔵庫へ戻した。三人で食卓を囲んだ記憶がある。祖父が箸を取らない透の茶碗へ焼き飯を足し、梶が焦げた米をつまんだ。母の死から何日後だったかは思い出せない。


「あのとき祖父は、港で誰に会ったんですか」

「あんたに何か聞かれたら、港へ行っとるとしか言わんかった。戻ってきた人へ話を聞いた日もあったやろ。けど、わしがついていったことはない」

「祖父も、何もわからなかった?」

「それも、わからん。あの人は、あんたの前で全部喋る人やなかったしな」


 梶は切った茄子をざるへ移し、今日は自分の家へ持ち帰る分を分けた。いつまでも便利堂の台所にいる気はないらしい。ひとりで食べるからといって、一人前だけ作るのも面倒なのだとぼやいた。


 鍋に出汁を入れると、梶は先に煮立てろと言い、透はそのあいだ洗った皿を拭いた。ざるの茄子を見た梶が、種の色の濃いところへ包丁を入れた。透が全部捨てようとすると、梶は食える部分まで捨てるなと怒った。


「いつからそんな贅沢になった」

「古いのを無理して食べるほうが贅沢じゃないですか」

「なら、悪いとこだけ取れ。包丁、貸してみい」


 梶は透より遅い手つきで茄子を切った。刃先をまな板から離さず、種の周りだけ小さく落とす。祖父に料理を習ったことがあるのか尋ねると、梶はあの人の味は濃すぎたと言った。包丁の使い方までは見ていないらしい。


 煮立つ鍋の火を少し弱めてから、透は朝の網戸修理の領収書へ印を押した。梶が帳面の空白を見て、子どものころ透が誰の家で昼飯を食べたかを何軒か覚えていると言う。けれど、その家々が祖父の仕事先だったかどうかは、当時の自分も確かめていない。


「あんたを一人にできんかっただけの家もあったんや」と梶が言った。

「迷惑掛けたんでしょうね」

「向こうが食わしてやると言うたんよ。食わんかったら、もっと心配する」


 透は盆から碗を二つ取り、梶の前へ置いた。その一軒の名前を訊きかけたが、まず今いる人間の飯を冷まさないことにした。梶は茄子を一切れ食べ、醤油を足そうとする透を止めた。


 食事が終わって梶が片づけを始めると、透は祖父の帳面に挟まっていた買い物の控えを一枚見せた。十五年前の夏と同じ年のものらしいが、日付は書いていない。米と卵と、薄い醤油。買い物の控えに見えるだけで、誰が買ってきたかも不明だった。


「これ、祖父が料理しとった証拠にはなりませんよね」

「わしも買い物くらいしたかもしれん。誰かが置いてった紙とも考えられる」

「帳面に挟むの、あの人らしいんだけど」

「そりゃあんたがそう思うだけや」


 梶はいつもより短い返事をして、まな板を洗った。透はその言い方が少し意地悪に聞こえたが、事実を確かめているときだけは助かることもある。祖父の字で書かれた伝票と、誰のものかもわからない買い物メモは、同じ頁に挟まっていても同じ来歴ではない。


 そのあと梶は軽トラックの荷台を覗き、網戸を外したときに使った木片が一本残っているのを見つけた。透が明日返すつもりだと答えると、梶は客の家のものなら今日のうちに持っていくべきだと言う。


「客のじゃなくて、俺が当て木に使ったやつですよ」

「なら、戻す場所を決めとけ。次の仕事で探すことになる」


 梶は、道具を返すときの札も作ったほうがいいと言い、透は客から預かったものと自前のものを混ぜないよう、荷台の端に仕切りを付けてあると説明した。梶は仕切りを持ち上げ、底へ入り込んだ細いねじを一本見つけた。


「結局、落ちとるやないか」

「そこは明日掃除する予定で」

「予定のうちに、いま拾え」


 透は掌へねじを載せ、合う箱を探した。夕方まで仕事を引きずるつもりはなかったのに、梶の前ではいつも余計な点検が一つ増える。


 透は工具箱の仕切りへ木片を入れ、同じ形のものと揃えた。祖父の帳面についてもう一度訊こうとしたが、梶が帰り支度をしていたのでやめた。三十二年前の失敗を知る人でさえ、十五年前の夏のすべてを見ていたわけではない。今日、自分が渡せる道具の場所くらいは覚えておこうと思った。


 残った茄子は二人で容器へ分け、透は自分の分へ日付を書いた。梶は保存用の蓋が見当たらず、戸棚を開けては閉めている。


 梶には自分の家の洗濯物と買い物が残っていた。透が車で送ると言っても、梶は歩いて帰ると言い、茄子の容器を手提げへ入れた。夕方の醤油を買い忘れたと気づくのは、もう少しあとだった。


           ※


 夕方、梶は買って帰るはずだった醤油を忘れ、もう一度便利堂へ来た。透が戸棚から未開封の小瓶を一本出すと、梶は今度野菜と一緒に返すと言って手提げへ入れた。透はそのとき、作業台で十五年前の帳面に挟まっていた白紙の見積もり用紙を眺めていた。


「そんなところまで覗いて、何が出るんや」

「何も。書いてないんですから」

「書いてない日も、あんたは飯食うて寝とったやろ」


 透は白紙を帳面へ戻した。帳面をつけることは祖父の癖だったが、あの夏の二か月だけはできなかった。その理由を知りたい。けれど、仕事を記さなかった日のすべてに秘密があると思い始めると、梶が持ってきた茄子まで調べ物の道具に見えてしまう。


 梶は小瓶の入った手提げを持ち上げながら言った。


「あの晩のこと、また岸まで行ってみるんか」

「たぶん」

「昼にしとけよ。夜へ行っても、十五年前の夜が戻るわけやない」


 透は返事をし、煮びたしを冷蔵庫へ戻すため容器の蓋を確かめた。梶が帰ったあと、台所の電気を消した。


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