第77話 当番表
祭りの準備を始める前に、野添慎二は長机の脚を一本ずつ揺すった。三台のうち二台は修理が終わっている。最後の一台は、処分費を払っても新しいものを買うより安いとわかっていたが、今年使えるかどうかとは別の話だった。
「雨になったら、体育館へ運ぶんでしょう」と手伝いの青年が言った。
「その場合は借りた机を使う。これ、持ち上げたときに脚が抜けるかもしれん」
「じゃあ処分?」
「見積もりを会計へ出す。勝手に捨ててあとで怒られたくない」
野添は青いテープを脚へ巻き、使用禁止と紙を貼った。黒瀬が顔を出したのは、連絡表の訂正が終わるころだった。
「雨の判断、誰がするんや」
「当日の責任者と、避難所を担当してる人と、二人で確認します。連絡がつかん場合の代理も決めました」
「十五年前は、わしが続けようと言うた」
「今年の話をしてます」
野添は鉛筆を置いて黒瀬を見た。年寄りだから口を出すなとは思っていない。実際、道具を置ける場所は黒瀬が一番よく知っている。ただ、ひとりで判断したことの責任を、いまの若い者が代わりに背負う理由もなかった。
「俺らが決めたことは、俺らの名前で残します。昔のことを話すなら、別の紙にしてください」
黒瀬は持ってきた封筒を机に置きかけ、引っ込めた。前に書いた祭りの記録と、透へ話した救助の便箋が入っている。前者は野添が本人資料として預かっていたが、後者はまだ黒瀬の手元にあった。
「別の紙で、ええんやな」
「今年の議事録と混ぜるつもりはないです」
野添が答えると、黒瀬は封筒を鞄へ戻した。祭りに参加することと、十五年前の自分が何を判断したかを記すことは、同じ用紙へ収まる話ではない。
※
野添は今年の当番表の名前を読み上げ、電話が繋がらなかった場合の代理を確認した。若い手伝いの一人は、祭り当日は午後から家族の用事があると申し出た。数日前にも伝えたはずだが、表には夕方の担当として残っている。
「俺、四時には帰るって言いました」
「聞いた。書いたつもりで書いてなかった。悪い、代わりを探す」
「五時までなら少し延ばせますけど」
「それに甘えて、当日の交代が抜けるほうが困る」
野添は白紙の欄に自分の名前を入れ、ほかの二人へ交代可能か確認した。誰でも手伝える仕事と、鍵を預かっている人しかできない仕事を同じ列に書いてしまったことにも気づく。紙を作り直すあいだ、黒瀬は倉庫へ残る最後の机を拭き、脚の傷みを若い人へ示していた。
交代を頼んだ二人のうち一人からは、朝なら来られると返事が来た。野添は名前を書き換えた表を写真に撮って送りかけ、待った。まだ返事をしていない人が一人いる。確定していない時刻まで既定の予定として流すと、当日その人だけ別の場所で待つことになる。
「誰に先に配るんですか」と青年が聞く。
「いま決まったところだけ、当事者へ。全体の表は返事が揃ってからにする」
野添は空欄のままの列を別紙へ抜き出した。催促の電話を掛けると、相手はまだ職場にいるという。帰宅後に返事をする約束を取り付け、連絡済みの丸だけを付けておいた。
「ここへ手を掛けたら、ぐらつくんよ」
「このまま使う人がおるかもしれんから、札を大きくしておきます」
野添は赤いペンを借り、使用禁止の文字をもう一度書いた。去年まで使ってきたから今年も使えるという判断を、自分の名前で残すつもりはなかった。
昼になって黒瀬が自分の担当場所へ移ろうとすると、野添は念のため連絡先を確認した。黒瀬の電話番号自体は変わっていないが、緊急時の判断を頼む番号ではなく、資材を運ぶ時間を知らせる番号として登録し直す。黒瀬もそれで構わないと言い、自分の当番の欄にだけ丸を付けた。
昼を回ったころ、会場の下見へ来た新しい担当者が、去年の祭りの配置図を持ってきた。屋台の位置が一つ変わり、搬入口の通路が図より狭くなっている。野添は巻き尺を取りに倉庫へ戻り、現場の幅を測り直した。
「このままじゃ車椅子の人が曲がれんかも」と若い女性が言った。
「去年は通れたよ」と別の人が答える。
「去年の屋台、ここにはみ出しとらんかったんです」
野添は新しい図へ実測の数字を書き、仮設の柵を半歩外へずらす提案をした。通路を広げれば隣の屋台が店先へ出せる商品が少し減る。誰が了承を取るのか決めないまま柵だけ動かしてしまえば、当日に揉めるだろう。
「俺が店の人へ話してくる。だめなら別の場所を探す」と野添が言う。
「黒瀬さんなら、すぐ決めてくれたのに」と年長の男性がぼやいた。
「今年は出す人にも確認してから決めます」
話し合いの途中で屋台の布が外れかけ、野添は紐を一本追加するよう頼んだ。通路幅の変更案には露店側から別の提案が返ってきたため、その場で数字を直した。
黒瀬は運搬用の台車を倉庫へ戻し、午後に透へ見てもらう戸の金具を指で押さえた。野添は露店の人と通路の幅を話し合っている。どちらも手は足りていなかった。
※
午後、透が集会所へ着くと、黒瀬は倉庫の戸のねじを指で押さえていた。野添から頼まれた仕事は、その戸が開け閉めするたび枠へ当たるのを直すことだった。
「榊くん。便箋の写し、まだ持っとるか」
「あります。お渡しした原本は黒瀬さんのところですよね」
「そうや。今度、役場へ話を聞きに行こうと思うとる」
「俺のために?」
「自分で書いたことやからな。あれをおまえだけに持たせたままにしとくのも違うやろ」
透は戸の下へ薄い板を差し込み、金具の位置を測った。黒瀬が第一便で救われた三人のひとりだったこと、両親がもう一度舟を出すのを見ていたこと。そこまでは本人が話し、紙にも書いた。二度目の舟が誰を迎えに行ったかまでは書いていない。
「もう少し詳しく思い出せませんか」
「聞かれれば考えるが、考えたから思い出すもんでもない。あのとき母親が岸で何を言ったか、おまえのほうが知っとるんやないか」
透の手が止まった。
「母が、岸に?」
「三人を降ろしたあとや。おまえがおったかどうかまでは見とらん。わしらも濡れた荷物を抱えとったから」
黒瀬は、見ていないことについて言い直した。透が十二歳のころ、岸へ迎えに行った記憶があるのかどうか、それも聞かなかった。
透は金具の位置を決め、短いねじを二本打った。戸を三回動かすと、最後まで枠に触れず閉まった。
「これで様子を見てください。雨で膨らんだら、また当たるかもしれない」
「仕事は確かやな」
「三回で褒めるの、早いですよ」
黒瀬はもう一度戸を閉めた。そのあと野添から今年の祭りの手伝いを頼まれ、会場の隅に張る日よけを倉庫から運び出した。




