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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第九章 持っていったもの

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第75話 空白の八月


 八月十五日を前にした週、役場の文書係へ、町外の女性から相談の手紙が届いた。トヨは現在の住所の公開を望まないと書き、自分が十五年前の高潮の夜に別の舟へ乗ったこと、助けられた場所を自分が覚えている範囲で記していた。


 牧野は手紙を開いた職員と二人で、本人確認と資料の取扱いについて返事を作った。記載された避難場所が一次連絡票の四世帯とどう関係するか、まだ断定できない。トヨの証言は当時の別の救助があったことを示す個人の話であり、四世帯全員の安否を示す証拠ではない。照合に使うための追加資料を希望すること、今の住所を公開記録へ転記しないことを、返事へ明記した。


「名前を公表してよいか、本人にも聞かんと」と同僚が言った。

「そうやね。もう十五年もほっといたんやから、今度はこっちが急かさんようにしよう」


 牧野は追補の隣へ新しい事実を書き足す準備だけをし、まだ決裁には回さなかった。窓の外では祭りの交通規制を知らせる紙が貼られ、ほかの職員が案内図の誤字を直している。


           ※


 牧野は受け取ったトヨの申出を、町の追補番号のすぐ下へ貼ろうとして手を止めた。いま届いた手紙は本人が書いた個人の申出であり、町が確認済みの資料と同じ意味ではない。受付記録へ番号を付け、照合の担当者が決まるまで元の封筒も保管する。


「住所を伏せるなら、返信はどうするんですか」と若い職員が尋ねた。

「本人が教えてくれた連絡手段で返す。外へ出す文書には、こっちが勝手に住所を書かんよう確認する」


 牧野は二通の返信案を用意した。一通は受付と今後の照合手順を説明する本人向け、もう一通は担当部署の確認用だ。前者に書くべきことは、十五年前の自分の体験を説明してくれたことへの礼と、追加の確認が必要な事実の範囲。後者には、当時の別の救助に関する資料がどの箱へ残っているか調べる予定を記す。


 昼前に上司へ確認へ行くと、別の災害資料を取り寄せた職員が、記載された地区の地図を広げていた。トヨの話と一致する地名が見つかったとしても、その人が元の四世帯のどこへ該当するかは別の照合を要する。牧野は地図へ鉛筆で印を付けず、参照した頁番号だけ付箋へ書いて戻った。


 文書係の若い職員は、トヨへ返す確認書を封筒へ入れる前に、差出人名をどの部署にするか牧野へ尋ねた。個人の手紙として届いている以上、町が調査を始めると決めた事実と、受付で相談を受けた事実は区別して知らせなければならない。


「返事を待つあいだに、本人の連絡先が変わったらどうします?」

「本人から新しい連絡方法を教えてもらうしかない。昔の住所を探して勝手に出さんといて」


 牧野は宛名だけを別紙で確認し、本文には必要な手続きの案内を入れた。翌朝の集計について質問したいことも、すべて一度に送ればよいわけではない。相手が覚えている範囲だけ話すと決めたなら、質問を細かくして答えを誘導するのは避けたい。


 文書を発送するまでに、祭りの交通規制の問い合わせが三件入った。担当部署が違うので若い職員へ回し、牧野は資料の写しの申請が来ているか確認する。自分が担当する記録の調査が終わらないからといって、町の明日の仕事まで止まるわけにはいかない。


           ※


 便利堂では、梶十三が、乾ききった古い椅子の脚へ木工用の糊を流し込んでいた。透が祖父の帳面を出してきたので、梶は手を拭き、作業台の脇へ座った。


「いまさら、あの年の帳面か」

「八月から九月まで、仕事の記録がない」

「そりゃ、おまえの親が帰ってこんようになった年やろ」

「そのあと、祖父はどこへ行ってたんですか」


 梶は、糊が乾くまでの時間を考えてから答えた。十五年前は、自分も家の仕事と近所の手伝いに追われていた。透の祖父がずっとどこにいたか知るほど、そばにいたわけではない。


「朝は、おまえを飯食わしてた。昼に俺が寄ると、店におらん日もあった。港へ行って、戻ってきた人の話を聞いとると聞いたことはある」

「誰の話を?」

「そこまでは知らん。おまえの親のことか、ほかの人のことか。言わんかったからな」


 祖父の帳面は、十五年前の七月の見積もりを最後に、次の記入が十月の初めまで飛んでいた。透がページをめくると、いつもの癖のある字で網戸の寸法が記されている。紙が抜かれた跡も、あとから書き足した様子もない。ただ、二か月分の仕事がそこには載っていなかった。


「あのころは店閉めとったんですか」

「見積もりを取りに来る人はおった。俺が断ったのも、手伝う言うたのもある。でも、全部覚えとるわけない。帳面に書かんかったからいうて、一日も働かんかったわけやないぞ」


 梶は椅子をひっくり返した。糊が少し垂れていたので、透に布を取ってほしいと頼む。透が古い布巾を差し出すと、梶は鼻で笑った。


「それは油拭いたやつや。こっちの白いの」


 梶が帰ったあと、透は帳面の前後の頁をスマートフォンで撮った。七月末の戸車交換には部品代と領収済みの印があり、十月の網戸二枚には未収の丸が残っている。間の白紙へ何かを書き足した形跡はない。透は「八月に仕事がなかった」と断定するための資料ではない、とメモして画像を保管した。


 透は手を止め、棚から布巾を取り直した。祖父が十五年前に何を知っていたか、いま梶の話だけで決めるわけにはいかない。けれど、あの夏に帳面を書かなかった理由を、秘密の仕事一つで説明できるとも思えなくなった。


           ※


 午後、千鶴は乾物屋の店先へ祭りの売り場用の札を並べていた。母から頼まれたのは昆布と干し椎茸の二種類だけだったが、去年、値段の札を入れ違えたので、今年は色を変えることにした。透が軽トラックで網戸を届けに来たとき、札を作り直す途中だった。


「明日は早めに上がるんです。家の店で祭りの準備します」

「便利堂の仕事は、午前中で終わるようにしとく」

「楓さんも祭り来るって。役場の仕事が終われば、ですけど」


 千鶴は書きかけの札を机へ戻し、透から請求書を受け取った。今日は便利堂の勤務日ではない。網戸の受け取りは乾物屋が依頼した分だから、帳簿も家の店のものに記入する。


「ハルさんのとこ、どうなりました?」

「トヨさんに会えた。受け取ってもらったよ」

「よかった、って言うてええですか」

「本人が聞いたってことなら」


 千鶴は少し考えてから、干し椎茸の札へ値段を書き込んだ。


 透が便利堂へ戻ると、黒瀬が許可した二度目の出航に関する写しは、作業机の端にあった。別の封筒には、トヨが手紙を送ったらしいという紗江からの連絡が入っている。町が公表した四世帯の追補は、何度読み返しても誰の帰りを待っているのか、まだ特定できない。


 祖父の帳面を棚に戻そうとして、透は二か月の空白にもう一度指を置いた。十二歳だったころ、祖父が帰りの遅い日に作ってくれた焼き飯の味なら覚えている。父と母が最後に家を出た日、何を食べたかは思い出せなかった。


 外で、祭りの設営車が一台通り過ぎた。透は窓から道路を見て、網戸の引き取り時刻を電話で確認した。




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