第63話 残した欄
四月の最初の週、役場の資料室へ追補の頁が一枚加えられた。十五年前の高潮に関する一次連絡票と翌朝の集計版を照合した結果、港東地区の四世帯について記載が一致していないことが確認された。その事実と、これまでの記録から確認できなかった項目が、追補として残された。
牧野は文書番号を読み上げ、同僚と公開用の写しを確認した。元の冊子から頁を抜いて取り替えるのではない。以前の集計にどのような数字が載っていたかも、あとから確かめられるように並べておく。
「四世帯がどこへ行ったか、結局わからんままなんですね」
「そう。少なくとも、この集計を根拠に全員が避難できたとは言えん」
「どこかの避難所に別の名前で記録がある可能性は?」
「可能性があるから、まだ調べる。その可能性だけで追補を閉じるわけにはいかんよ」
閲覧用の写しでは人名の一部を伏せ、照合の途中にある原票は担当者が管理した。牧野は課の決裁を受けた追補を所定の箱へ入れ、閲覧の案内に新しい番号を書き添えた。個別の事情を知る人から問い合わせが来た場合、受付が勝手に調査結果を答えないよう、窓口で使う説明の紙も用意した。
午前の終わりに、新しい追補を見たいという男性が訪れた。町の昔の写真を集めている人で、十五年前の地図と合わせて資料を読みたいという。牧野は公開できる範囲だけを案内し、名字を知りたいと言われたときは、そこから先は閲覧許可の対象になっていないと伝えた。
「昔の数字と、今回の追補と、どっちを載せたらええでしょう」
「発表当時の数字を使うなら、その時点の資料だとわかるように出典を書いてください。追補も一緒に見ていただければ」
「消した方がいい数字もあるんですか」
「ここで昔の記録を捨てることはしません。不一致があるとわかった経緯ごと残します」
男性はノートへ日付を記し、借りた地図の戻し先を聞いた。牧野は受付簿を示してから、午後の会議に使う資料を取りに行った。窓口には、来月の公民館使用を申し込む人が二人待っている。
※
義信は追補が公開されたと聞き、別の日に資料室へ足を運んだ。自分の書いた古い紙は、公表された原票の隣へ挟まれているわけではない。本人が後日提出した参考資料として、聞き取りの記録と別に管理されている。
「追加で思い出したことがあったら、こちらへ連絡してもええですか」
「お願いします。内容によっては、また直接お話を伺うことになります」
「そのときは、娘を通さんと自分で来ます」
義信は受付で担当者の連絡先を確かめ、町内の花屋へ寄って帰った。楓が先週から、玄関へ置く鉢植えが欲しいと言っていた。何がいいかまでは聞いていなかったので、店の人に水やりの簡単な苗を選んでもらう。
帰宅した楓は玄関の鉢を見つけ、しばらく値札の札を眺めてから、父へ礼を言った。
「父さん、追補、見てきた?」
「行ってきた。四件のことは、まだ調べるらしい」
「うん。私の担当じゃないから、細かいところは聞いてない」
「おまえも、役場では自分の仕事しとき」
「それは、してるよ。鉢の皿、どこにしまったか知っとる?」
義信は台所の流しの下を開けたが、去年使った受け皿は見つからなかった。楓は別の棚から皿を探し出し、鉢を窓辺へ移した。父がその間に水をやろうとしたので、二人で店の人から聞いた量を確かめた。
役場で何が確認されたかを家へ持ち帰って話せても、記録にない人の行方を父娘で決めることはできない。楓は明日の弁当箱を洗い、父が買ってきた苗の説明書を冷蔵庫の脇へ貼った。
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公民館では、野添が残った一台の長机をどうするか、修理代と借用料の見積もりを並べていた。黒瀬が顔を出し、祭りの日の雨天連絡表を見せてほしいと言う。野添は当日の担当表を広げ、本人が参加できる時間だけ鉛筆で記した。
「朝から夕方まで一人で入るのは、今年はやめましょう」
「わし、まだ動けるで」
「動ける時間を聞いとるんです。連絡が取れんときに、誰が代わるかも決めときたい」
黒瀬は納得しきらない顔で、午後なら電話に出られると答えた。十五年前の私的資料は、いまも野添の管理する別封筒に入っている。町の追補が出たと聞いても、今年の会計から机を一台買うかどうかを、それだけで決めるわけにはいかなかった。
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便利堂にも、申請していた公開用の追補が届いた。透は自分の控えた新聞の日付と突き合わせ、資料番号を帳面へ書き写す。黒瀬の許可を得て撮影した最初の救助便の証言も手元にあるが、四世帯がその船に乗ったかどうかを確かめる手掛かりは載っていない。
「これ、棚の上へ置いときますか」と千鶴が尋ねた。
「新聞の束とは別で。公開資料のほうだけ、こっちのファイルに入れとく」
「なら表紙に日付書いときます。前のやつ、いつ申請したか探すの面倒やったから」
千鶴がファイルを片づけている横で、透は梶から預かった椅子を裏返した。脚の先を削ってほしいと言われていたが、よく見ると付け根のねじが緩んでいる。
「そこ締めとかんと、またぐらつくで」
裏口から現れた梶が、透の肩越しに覗いた。手には土のついた葉物野菜の袋を提げている。
「見たらわかりますよ。いま確かめてたところです」
「最初から言うといたほうがよかったか」
「そうしてくれたら、道具も先に揃えられます」
千鶴は野菜の袋を受け取り、冷蔵庫に入れる前に土を落としてくると言って流しへ向かった。梶が自分で洗おうとしたが、今日は水が飛ぶから置いといて、と追い返される。透はねじを締め直し、椅子を平らな床へ置いた。梶が腰を下ろして体を揺らしても、脚はもう鳴らなかった。
「これなら持って帰れるな」
「脚の先も削ってます。家で一度使って、気になるならまた持ってきてください」
梶は野菜の袋を一本減らしてもらい、椅子を抱えて店を出ようとした。千鶴が渡した修理伝票には、付け根のねじを締めたことと、脚先を削ったことが書いてある。梶はそれを一度読んで財布へ入れ、代金を渡した。透が領収書を書くあいだ、また壊れたら持ってくると言っていたが、今度は壊れる前に呼んでくれと返され、少し顔をしかめて店を出た。
千鶴が流しを拭き終えると、店の電話が鳴った。先月直した雨樋が、次の雨でも漏れなかったという連絡だった。透は領収書の番号を確かめ、追加の修理が不要だと伝えた。作業台の木屑を掃くと、午後に引き取り予定の棚板がまだ床へ立てかけてある。千鶴に手を借りて車へ積み、運ぶ途中で角をぶつけないよう毛布を掛けた。




