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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第八章 避難済み

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第60話 未確認の四件


 日曜日、義信は茶筒の底へ敷いていた紙を二枚取り出した。一枚は去年の防災訓練の当番表。もう一枚は、十五年前の夏に自分で書いた走り書きだった。何度も折りたたんだ縁が薄くなり、開くときに破れそうになる。


 楓は朝食の食器を下げ、洗濯機を回していた。昨夜、父が久保田のことを少し話したいと言いかけたのを覚えている。だが義信は話を始める代わりに、家の防災袋から古い懐中電灯を出し、電池を替えて点くか確かめた。


「その電池、茶筒に入ってたやつ?」

「新品や。古いのはもう回収袋へ入れた」

「ほな、いいけど。さっきの紙、今日は見るの?」

「自分で見てから、話す」


 義信は走り書きの折り目を指で伸ばした。途中で破れそうになり、古い新聞を一枚下へ敷く。近ごろは物の名前がすぐに出てこないことがある。十五年前の係の顔まで曖昧になっているとは、娘に話していなかった。紙を手に持つと、誰かが近くで押した判子の音だけが妙にはっきり思い出される。いま書き直す便箋には、確かめられないことを確かめたように書かないと決めていた。


 義信が紙へ向き直るまで、楓は洗濯物を干しに庭へ出た。父が何かを思い出せば助けられると思う反面、父にとって都合のよい言葉だけを選んで聞くのも怖かった。


 十五年前、港東の連絡所には避難した家からの電話が次々に掛かってきた。義信は住所を先に聞こうとして何度も聞き返され、人数の欄を埋めようとして場所を書き忘れた。隣の机にいた久保田と相談し、先に聞き取れた項目から書いてよいよう、用紙の空欄を広く取ったことは覚えている。


 連絡所では一台の電話を取り合っていた。別の避難所からの連絡を待つ人が、受話器の横で小銭を数えていたことも覚えている。義信が書く係を交代すると、久保田は必要な項目だけを大声で読み上げた。そのときの順序が、いま自分の紙に残る時刻と合うのかどうかを確かめるには、ほかの記録が必要だった。


 義信はその日、海へ出たわけではない。連絡所で紙を受け取り、次の係へ回していた。夜が明けるころ、まだ確認の取れていない報告をどう集計へ載せるか、何人かで話した。久保田が避難済みとしてまとめると言い、義信は次の担当へ渡す紙に印を付けた。誰からどの避難所の確認を取ったのか、そこを思い出そうとすると記憶が途切れる。


 茶筒の紙に残っているのは、自分の字で書かれた「確認待ち四件」という短い書き付けだけだった。人の名前はない。あとから別の係が確認した可能性はあるが、確認したという記録を義信自身が見た覚えもない。


「父さん、昼、何か食べる?」


 庭から戻った楓が声をかけると、義信は紙を畳まずに返事をした。


「うどんでええ。昨日の葱、まだあるやろ」

「あるよ。私は昼前に買い物行くから、先に食べとって」


 楓は買い物かごを持ち、父の紙には触れなかった。義信も説明を始めなかったが、娘が出掛けたあと、空いている便箋へ当時の自分の役割を書き出した。紙の端に年月を書こうとして手が止まる。日にちはもう正確に覚えていないので、年月だけ記して、口頭で説明する際にもそのように伝えることにした。記憶にない人名は書かず、自分の持っている紙に日付がないことも明記した。久保田の死後になって急に整った話を提出しても、その話だけで当時の集計を直せるとは思わなかった。


 午後、楓が帰宅すると、義信は封筒を食卓に置いていた。


「月曜、役場へ行ってくる」

「私に預ける?」

「その方が早いかと思うとったけど、おまえ、担当を外れたんやな」

「うん。父さんが出すなら、一般の相談窓口からお願い。私が職場で便宜を図ることはできんよ」

「わかっとる。どの紙を持っていったらええか、そこで訊いてみるわ」


 義信は封筒を自分の鞄へ入れた。楓は明日の勤務を確認し、父の診察券が鞄の底に紛れているのを見つけて別の場所へ戻した。午後のうちに弁当の米を研ぐと、義信が持ち出した便箋の控えをもう一枚作ろうとしたので、自分で読んで間違いがないか確かめておくように伝えた。


「榊くんのことは、どうするん」と楓が尋ねた。

「まだ、決めてへん」

「明日で七日目やって」

「知っとる。あいつが来たら言葉を聞くかどうかは、わしが決める」


 楓はそれ以上促さず、台所へ戻った。


 夕方、義信は自分で書いた説明を読み返し、「全員で決めた」と書きかけていた一文を消した。会議の席にいた人数は覚えていても、声を出さなかった人まで賛成したと書けるわけではない。久保田に押しつけようと思えばできたかもしれないが、提出する紙は自分の名前で残る。印を押した事実だけは、誰かの代わりに取り消してもらうつもりはなかった。紙を役場へ持参することと、久保田の言葉を引き受けることは、父の中でもまだ別の用事らしかった。


           ※


 同じ日の午後、野添は祭り会の倉庫で懐中電灯の点検をしていた。長机二台は修理済みで、残る一台には使用禁止の紙が貼られている。春になって集まる人が増える前に、雨天時の連絡表をもう一度書き直しておきたかった。


「黒瀬さんの番号、今の欄から消した方がいいですか」

「代わりに出られる人が決まってから。本人へも、いつなら手伝えるか確認せんと」


 手伝いの青年へ野添が答えると、倉庫の時計は四時を指していた。会計担当から修理済み二台の請求書が届いたと連絡があり、野添は訂正後の金額を持出表の裏に控えた。払い込む日付は会計の判断になるので、納品した透へ自分から振込済みとは伝えられない。次の会合で未修理の一台をどうするか決めるため、使える二台と壊れた一台の写真も撮っておいた。古い器材を全部替えれば簡単だと言う人もいるが、予算の帳尻を合わせるのは当日の責任者だ。電池を替えても点かないものを二本、買い替えの候補として別の箱へ移した。


 黒瀬から預かった十五年前の私的資料について、町から所在の照会が来ている。野添は、本人の許可がある範囲だけ写しを渡すことにし、保管簿へその日付を書いた。昔の祭りで誰が何を決めたのか、いまの祭り会が持つ書類だけで決められるとは思わない。


           ※


 夜、透は金曜に届いた役場からの連絡を読み直した。申請した公開資料の目録は、月曜午前に閲覧できる。元の連絡票に個人名があっても、まだ外部への公開範囲は確認中らしい。


 今夜、義信の家へ行く約束はない。透は作業車の燃料を確認し、翌日の午後に入った修理の工具を揃えた。久保田から預かった日は火曜日。月曜が七日目になる。台帳の配達欄は空けたまま、携帯を机の端へ置いた。


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