第51話 窓口の二人
木曜日、楓が勤める役場の窓口へ、夏祭りの担当者が資料の相談に来た。
雨天時に予定を変更するなら、町の施設を何時まで使えるか確かめたいという。窓口で申請できる書類はあるが、祭り全体を町の業務として取り仕切る権限まではない。楓は公民館の利用条件を確認し、担当課の公開された案内を印刷して渡した。
「中止になったら、体育館を待機場所にできるんですか」
「その日はほかの予約も入っています。使いたい場合は、先に予約状況を確かめてください」
「黒瀬さんなら、昔のことも知ってるんですけどね」
「昔の予定と今年の予約は、同じ書類では扱えません」
若い担当者は困った顔をしながらも、必要な欄へ団体の名前を書き込んだ。楓は電話番号の記載漏れだけを指摘した。相手が帰ってから、その書類を決まったトレーへ載せた。
窓口の外では、コピー機の用紙が切れたと同僚に呼ばれた。楓が倉庫の棚へ取りに行くと、最後の一包みしかない。必要な冊数を担当へ確認して発注を頼み、配布用の案内を刷る分だけ残した。祭りの準備も役場の日々の仕事も、誰かが余分を取り置いていると思えば、すぐ止まってしまう。
次の窓口に来た老人は、同じ日の小会議室を借りたいと言った。楓が予定表を見せると、老人は以前なら空いている時間に入れてくれたはずだと譲らない。窓口で判断できるのは公開された予約枠だけで、別の団体の都合を聞き出すことはできなかった。
「日にちをずらすなら、こちらの二つは空いています」
「みんなに聞いてからやな。紙、もらっとくわ」
老人が帰ると、楓は問い合わせを受付済みの申請と混ぜないように挟み込んだ。説明が長引いて昼休みが短くなってしまい、持ってきた弁当の魚はすっかり冷めていた。
庁舎の外では、千鶴が自転車の荷台を拭いていた。乾物屋の配達で近くまで来たついでに、祖母へ頼まれた証明書の申請に寄ったのだという。窓口の仕事を済ませたあと、二人は庁舎裏のベンチへ座った。
「ここの証明書って、家族でも委任状がいるんですね」
「申請内容によりますよ。窓口で説明、聞きました?」
「聞きました。祖母に書いてもらう紙、持って帰ります」
千鶴は封筒を鞄へ戻し、母の店で受けた試食用昆布の注文について話した。電話番号の貼り替えに時間がかかり、昨日の夜は包装紙を五十枚切ったという。
「透さんのほうは、黒瀬さんの机で作業場がいっぱいです」
「黒瀬さん、便利堂にも来てるんですね」
「机の修理ですよ。あと、最初は相談。私は中身知らないです」
楓は頷き、自分の昼食の包みを開いた。仕事で見聞きしたことを幼なじみの仕事と結びつける癖はつけたくなかったが、千鶴の言い方が少し気に掛かった。
「知らないままでいられるの、やりにくくないですか」
「請求書を出すとき困らなきゃいいかなって。透さんが言わない仕事もあるし、私も何でも知ってるわけじゃないですから」
「それで済む?」
「済まない日もあります。電話を取るの、私のほうですから」
「断るときも?」
「はい。聞けないことなら聞けないって言いますよ。透さん、仕事場の片づけを忘れるときがあるので、そこは私が怒ります」
楓は箸を止め、千鶴の顔を見た。透の事情を何でも許して働いているわけではなさそうだった。千鶴は弁当の端に残った梅干しを白米へ移し、午後には実家の包材を受け取りに戻ると言った。
「たまには聞きたいです。でも、知ったら自分で決めないといけなくなることもあるんですよ」
千鶴は紙コップのお茶を飲んだ。竹岡家へ昆布を届けた日のことは、楓も知っている。それでも二人とも、佳代がこれからどう暮らすかを話し合う気にはならなかった。
楓の携帯が鳴った。父の義信からで、夕食用の魚を買うなら帰りに寄ってほしいという。今日は自分が作ると朝言ったのに、冷蔵庫にあるものを忘れていたらしい。
千鶴のほうは、母から乾物屋の配達順が変わったと短い連絡を受けた。最後の二軒を済ませれば、夕方は包装の残りを一緒に仕上げられる。弁当を包み直して時計を見ると、二人とも予定していた休憩時間を少し過ぎていた。
「帰って見てからにする。買ったらまた冷蔵庫がいっぱいになるよ」
電話を切ると、千鶴が笑った。
「うちもそれです。母さん、売り場の奥にまだ干し椎茸があるのに、今週また発注するところだったんで」
「それ、家族のほうが止めにくそう」
「止めました。注文書、私が管理することにしたんで」
昼休みが終わりかけ、千鶴は自転車の鍵を手に取った。楓は窓口へ戻り、未処理の申請書を一件ずつ受付印の順に並べた。
午後の最初の電話は、先ほどの老人からだった。新しい日程で利用できることになったが、隣の部屋も空いているかという。楓は予約表を確認し、隣室は別の団体が申請中だと答えた。取れるかどうか決まる前に部屋を空けておくわけにはいかない。老人は少し不満そうだったが、確定した一部屋だけ先に申し込むと言って電話を切った。
楓は昼休みに千鶴へ話したことを思い返す暇もなく、書類の不足箇所を確認して担当へ回した。確認したのは利用時間と人数だけで、ほかの団体名を書く必要はなかった。
※
夕方、楓が家に帰ると、義信は魚を買わずに済ませていた。代わりに冷蔵庫の残りで汁物を作り、椎茸を二つ余らせている。
「これ、明日も使っていい?」
「そのつもりで残した」
楓が上着を掛けると、義信は台所の端へ回覧板を移した。今度の町内の会合では、夏祭りの準備と避難経路の案内を別の議題にするという。楓は回覧板の日付を確かめ、自分が役場で聞いた申請の話は持ち出さなかった。
「父さん、会合は行くの」
「行くなら、回覧板の余白に今年の担当者の番号を書き足しておいて。去年のままの人もおるから」
「うちの班の分だけやな。ほかの班まで勝手には書けんぞ」
「うん。役場の台帳もこっちで直したりしないから」
義信は回覧板から別紙を一枚抜き、鉛筆で古い番号を囲んだ。町内会で訂正するには今の担当へ確認する必要があるらしい。食卓へ戻ると、汁物の椎茸だけが二人の椀に一つずつ残っていた。
「当番やから、顔だけは出すよ。今の担当が決める話や」
義信は汁物を温め直した。楓は調味料の棚から味噌を出し、父の横に置く。庭先を自転車が一台通り、玄関の前でベルを鳴らした。隣から回覧板を取りに来た人だった。
義信が外へ出ている間、楓は回覧板を閉じた。今年の町内会の連絡先が変わっているので、古い番号を台所のメモから消しておく。




