第47話 鍵の預かり手
野添慎二が倉庫の鍵を受け取ったのは、黒瀬巌が便利堂を訪ねた翌日の夕方だった。
祭りまで半年以上あるというのに、町内の集会所では提灯の電球を数えることになっていた。去年、片づけの最中に二箱を別の倉庫へ運んだらしい。発注を任された野添は、数が合わないまま注文書へ判を押すつもりはなかった。
「足りんかったら、夏に買い足せばええ」
黒瀬は倉庫のシャッターを押し上げ、指先についた埃を払った。野添は一箱目から電球を取り出し、割れていないものだけを脇へ並べる。
「夏に同じ型が売ってるとは限らんでしょう。去年も、最後の三日でコードを繋ぎ替えたんですよ」
「おまえらが全部LEDに替えると言いだしたからや」
「それは一昨年から言ってました」
箱の蓋には以前の担当者が貼った型番のシールが残っていたが、中身は途中から別の形の電球に替わっている。野添は二種類を新聞紙の上で分け、まだ使える数だけを鉛筆で書いた。型の違う電球を一緒に注文してしまえば、夏の準備で交換できないものが出る。
「これは去年、誰が買うた?」
「忘れた。酒屋が余りを引き取ってくれた年もあった」
「じゃあ、その年の箱を開けるまで発注できませんね」
黒瀬が別倉庫の鍵を持っていたので、二人は足りない二箱を確かめに行った。戸口に積まれた椅子をどかすだけでも手間がかかり、ようやく見つけた箱には発注番号だけで納品数が書かれていなかった。
野添は仕事を終えた夕方や休みの日に祭りの器材を見ている。昼間は建具の会社で働き、月末までに現場を二つ終えなければならなかった。七月に子どもを連れて帰省する弟からも手伝いを頼まれている。祭りの仕事だけに時間を割ける人間が、今年も集会所には足りなかった。
シャッターの端から風が入り、古い横断幕が床へ落ちた。黒瀬が踏みかけたので、野添は急いで拾い上げる。
「これ、もう出さないんでしょう。処分していいですか」
「勝手に捨てるな。町内の金で作ったもんや」
「倉庫に置いとくなら、目録に入れます。誰も場所を知らんまま残したら、来年また探しますよ」
野添は備品の一覧に「旧横断幕、一枚、端破れ」と書いた。黒瀬は何も言わなかったが、横断幕を丸めるときに上と下を二度確かめた。
倉庫のいちばん奥には、脚が一本曲がった長机が三台ある。去年、組み立てるときにぐらついていたものだ。野添は今年から出さないと決め、赤い紐を結んだ。
「三台とも、修理したら使える」
「修理する人、誰に頼むんです。見積もり取ってから考えますよ」
「榊のところへ持っていけばええ」
「じゃあ、黒瀬さん、運ぶの手伝ってくれます?」
黒瀬は長机の端を持ち上げ、二歩で下ろした。思っていたより重かったらしい。野添は笑わず、台車を取りに行った。
野添は天板の裏に白いチョークで三台の番号を振り、ぐらつく脚を一台ずつ確かめた。一台目のねじ穴は広がっていたが、二台目は脚を畳む金具の軸が曲がっている。三台目の天板には水が染み込んだ跡があり、指で押すと端が柔らかかった。黒瀬が補強板を当てれば済むと言うと、野添は「座る人の上へ倒れたら、それでも済みますか」と返した。
今年の備品費では、新品を三台買う金は出ない。修理費が予算を超える場合の扱いだけは、二人で決められないことになっていた。野添は見積もりを取るため、危険な机から順に紐を結んだ。黒瀬には古い金具を捨てるなと言われたが、ひとまず袋に分けて番号を付けることで折り合った。
検品が一段落すると、黒瀬が棚の下から綴じ紐のついた古い帳面を引き出した。前年の片づけ記録だと思っていた野添が覗くと、十年以上前の手書きの一覧だった。黒瀬はそれを布鞄へしまう。
「今年の帳面と違うんですか」
「昔の自分の記録や。倉庫のものが入っとるか調べただけや」
「会の備品の記録なら、俺にも見せてくださいよ」
「家で確かめてからにする」
黒瀬はいつもの調子で答えた。それでも野添は引き下がらず、貸出票の空欄を指した。
「持ち帰るなら、ここに名前を書いてください。会の帳面なら誰が持ってるか残さないと、去年と同じになるんで」
黒瀬は少し笑い、貸出票へ自分の名を書いた。何年も鍵を預かってきた男に、野添が受け渡しの順番を教えることになった。
最後の欄に返却予定を書こうとして、黒瀬は手を止めた。野添が翌週月曜なら自分も倉庫へ寄れると答え、二人で日付を決める。鍵の予備は野添が管理し、黒瀬には古い帳面だけを貸し出すことにした。帳面の角には傷んだ背表紙が引っ掛かっており、そのまま鞄へ入れれば綴じ紐が切れそうだったので、野添は余った封筒を一枚渡した。
「そこまでせんでも失くさんわ」
「去年、誰が持って帰ったか分からん箱が二つありますから。黒瀬さんを疑っとるんじゃないです」
「なら、自分の名前も書いとけ」
野添は確かに、と貸し出した側の欄へ署名した。
夜、黒瀬は帰宅してから帳面を広げた。倉庫で借りた備品台帳はほぼ毎年分が揃っているが、自分の字で小さく書いた紙片が一枚挟まっていた。十五年前の夏、祭りの準備中に使った連絡用の紙だった。
黒瀬はそれを読むと、新聞を敷いた机の上へ置いた。古いインクの字が読めるうちに、見せる範囲を決めなければならない。ひとまず家の棚から新しい封筒を出し、紙片だけ別にして入れた。
妻が夕飯の鍋を運びかけ、テーブルを埋めた帳面に気づいた。「また祭りの勘定?」と聞かれ、黒瀬は借りてきたものだと答える。妻は濡れた布巾を遠ざけ、紙の下へ敷いた新聞を外して食器の場所を空けた。
「毎年、置き場所から調べとるね」
「持っとる人が代わったからな」
「代わったんなら、新しい人に置き場所を教えたらいいでしょう」
黒瀬は否定しなかった。帳面を別室へ運び、紙片はまだ封筒から出さずに食卓へ戻った。
翌朝、野添の携帯へ短いメッセージが届いた。
『借りた古い帳面、週明けに返します。金曜、机を運ぶのは私も手伝います』
野添は会社の駐車場に停めた車でそれを読み、長机の運搬日を土曜から金曜の夕方へ変更した。黒瀬が何を持ち帰ったかは、まだ知らなかった。
午前中の現場を終えて昼休みに会社の事務員へ寄ると、週末に使う車両の予定表がもう埋まっていた。運搬用の台車だけは空いていたので、野添はそれを金曜の欄に予約する。祭りの手伝いを会社の道具で済ませるなら、社長にも一言断っておく必要があった。




