第44話 出さなかった封筒
年末最後の修理は、押入れの戸車だった。四枚分を頼まれたが、外してみると二種類の部品が混ざっている。透は現行品が合う一枚だけをその場で直し、残りは型を調べて年明けに持ってくることにした。
「暮れのうちに全部終わる思うとったのに」と家の主人が言った。
「早く閉まるようにはできますけど、削りすぎると今度は戸が外れます。お正月に使う部屋なら、一枚だけ閉めやすくしておきます」
「使うんは手前の一枚や。奥は年明けでもええ」
透は手前の戸だけ調整し、作業代と取り寄せの見込みを別々に書いた。部品が見つからなかったときは改めて相談することも伝える。家の主人は見積書の端を折って手帳に挟み、正月に息子が帰ってくるから、まず開け閉めできれば助かると言った。
便利堂へ戻ると、千鶴が空き箱を組み立てていた。乾物屋では明日も贈答品の引き渡しがあり、今日は午後だけ便利堂の掃除を手伝いに来ている。部品の箱と古い伝票を分けながら、机の下に積んだ年賀状の束を指さした。
「これ、今年の年賀状じゃないですよね」
「祖父の古いやつ。捨てないで」
「捨てる前に聞いてます。棚ごと奥へ動かしていいですか」
「箱だけ机へ上げておいて」
千鶴が手を洗いに行ったあいだ、透は箱を一つずつ開けた。祖父が書いた葉書と届いた葉書が混ざっている。送り主の住所は古いままなので、いま連絡に使う気はなかったが、見積書には残らない小さな仕事の記録もそこにあった。
箱の底板が浮いているのに気づき、透は千枚通しの先を差し込んだ。端に残った小さな釘を抜くと、薄い板が持ち上がる。中には書きかけの便箋と切手を貼っていない封筒が数通、紙紐でまとめられていた。
祖父は送らなかった手紙を、捨てずにここへ隠していたらしい。宛名だけ書いたものもあれば、仕事の住所を確認し直そうとして鉛筆で訂正したものもある。透は束を机へ広げ、最初に日付のない茶封筒を手に取った。
宛先は浦上ノブ様。裏に差出人の名前はなく、糊も付けていない。中に便箋が一枚入っているのがわかった。
※
千鶴が戻ると、透は机の上の紙を手で押さえた。見られたくないというより、まだ自分でも何が入っているのか確かめていなかった。
「ここ、掃除していいです?」
「年賀状だけ棚の上へ。こっちは俺がやる」
「ほこりがすごいんですけど。お客さんの伝票が混ざってないか、確認してくださいね」
千鶴はそれ以上訊かず、床に落ちた釘を拾った。古い封筒を仕事用の紙袋と間違えて捨てないよう、空き箱を机の下へ移す。あと一時間で実家の配達へ戻る予定なので、透に棚の掃除を任せて作業場の窓を拭き始めた。
昼過ぎ、町内会の人が、昨日頼んだ雨樋の見積書を受け取りに来た。透は玄関で応対しながら、開いたばかりの古い封筒が客の目に入る位置にあることに気づいた。台所から千鶴を呼ぶと、客に茶を出す前に、机の上の私物だけ片づけてもよいか確認してきた。
「それは俺がしまう。見積書は青いファイルの一番前」
「じゃあ、こっちへお通ししますね」
透は古い封筒を鍵の掛かる引き出しに入れ、青いファイルから雨樋の見積書を取り出した。町内会の人は一枚目の金額を見るなり、材料費が去年より高くなったと首を振った。透が同じ型の部品が廃番になっていると説明すると、冬のうちにどこまで直すか来週の会議で決めるから、と持ち帰った。
外の用事を終えても、千鶴は引き出しの鍵へ手を伸ばさなかった。透が戻って封筒を取り出すあいだ、納品済みの部品を数え、各現場へ回す袋に入れている。透も、客が見たかもしれない古い宛名を念のため裏返した。
透は浦上家への封筒を開いた。便箋の最初には、音吉の言葉を届けられなかった、と祖父の字で書いてある。次の行は、書き始めを一度消してから続いていた。
預かったものの中身を、私は見てしまいました。
宛先は、幸さんでした。
透は便箋を机へ置いた。祖父は自分で決めた掟を破り、預かった一言の中身を見たと書いている。どうしてそれを選んだのかも、そのあと何をしたのかも記されていない。
紙の下半分は白いまま残っていた。祖父が書き足そうとしたらしい言葉が欄外に見える。あの人には。続きはなく、鉛筆で一度なぞった跡だけが残っている。
透はノブが見せてくれた写真を思い出した。幼くして亡くなった娘の名も幸だった。けれど、祖父がこの文を書いたのは失敗から何日後なのか、筆跡を見たところでわからない。音吉が託した言葉の正確な文面は、どこにもない。
手紙の折り目には何度か開いた跡があった。祖父がこの便箋を書き始めてからしまうまで、いくらか迷ったのかもしれない。透は勝手な理由を書き足す代わりに、便箋の裏面と封筒の消印欄を確かめた。どちらにも日付はない。仕事の書類なら余白へ作業日を記す祖父が、ここだけ何も残していなかった。
箱に入っていたほかの手紙は、まだ開かなかった。家や名が違うものまで調べ始めれば、今日中に年賀状の整理は終わらない。ノブ宛ての一通だけを別の袋へ移し、最初にそれを返す相手を決めた。
封筒へ便箋を戻し、ほかの紙と混ざらないよう無地の袋に入れた。祖父がこれをノブへ出さなかった理由は、便箋のどこにも書かれていない。まず手紙が存在することを本人へ伝えようと思った。
※
夕方、梶が畑から大根を持ってきた。葉の先が傷んできたので、残すなら今晩のうちに切っておけと言う。透が封筒の宛名だけ見せると、梶は眼鏡を探さずにその字を読んだ。
「浦上さんか。爺さん、出さんかった手紙があったんやな」
「年賀状の箱の下に挟んでありました」
「なんで出さんかったんやろ」
「わかりません。俺から理由を付けて伝えるのは、やめときます」
梶は手紙の中を見せろとは言わず、大根を台所へ運んだ。千鶴が帰る前に、明日の仕事をどこまで片づけたか聞いておけと透に声を掛ける。透は袋の上に浦上家と書き、机の施錠できる引き出しへしまった。
ノブへ電話を掛けると、同居の家族が出た。本人は夕食の最中だという。透は出し忘れた手紙が見つかったことだけ伝え、年明けに改めて電話をしてもよいか確かめた。家族から了承をもらって受話器を置く。
戸車の採寸表を年明けの仕事の袋に入れていると、実家から千鶴へ電話が入った。乾物屋の配達は母親が代わってくれることになり、残りの掃除だけ済ませていくと言う。透は古い封筒には触れないよう頼み、二人で部品棚の戸を外した。年内に終わるはずだった掃除は、結局、店の閉まるころまで続いた。




