第42話 名のない写真
土曜の朝、ノブは写真を包み直すため、机の上に薄い紙を二枚広げた。茶封筒の角が擦れて、取り出すたび写真の端に引っ掛かる。新しい封筒に替えればいいと家族は言うが、昔の宛名と一緒に片づけられると、あとで探すのが面倒だった。
「これ、写真の向きが逆やない?」
「その向きでええ。こっちが表やから」
写真には、縁側に座った若い音吉とノブが写っている。音吉は足を片方だけ伸ばし、膝の上の小さな子を抱いていた。外で撮るはずだった記念写真を、子どもが熱を出したため家で撮り直してもらった。写真師が三脚を縁側へ上げるあいだ、音吉が何度も抱き方を変えていたことを、ノブは覚えている。
その子は、まもなく亡くなった。病院でもらった紙や、そのころ隣家が持ってきた食器の柄はもう曖昧だが、写真の端に映り込んだ洗濯ばさみは、今見ても気に入らなかった。せっかくの写真だというのに、撮る前に誰も片づけてくれなかったのだ。
家族が薄紙を新しいものへ替えようとすると、ノブは自分で折り目を付けた。封筒の裏には、音吉が書いた年月日がある。そこへ新しく娘の名を足したのは、ずっとあとになってからのことだった。
「榊さんに見せるんですか」
「どうしようかね」
「聞かれたことに答えてもろうたらええやない。写真まで出さんでも」
「その答えを聞く前に、こっちも見せたいもんがある」
ノブは家族の手を止めさせ、写真だけを新しい薄紙で包んだ。元の封筒は捨てず、右側の引き出しへ戻す。家族が保管の方法を訊くので、来客のときに出しやすいところへ置いておけばいいと答えた。
家族は古い写真を新しい袋へ移したら、いざというときのために複写も作っておこうと言った。ノブは考えてから、裏書きまで写すなら構わないと答えた。ただし、親戚へ一斉に送ったり、誰だかわからない人の手へ渡したりはしないでほしい。家族は写真を撮るのを今度にしようかと尋ねたが、ノブは今日のうちに済ませたいと言った。
食卓に白い紙を広げ、光の反射しない向きへ写真を置く。端の洗濯ばさみまで入れようとすると、家族が少し笑った。
「そんなん、切って写したほうが見栄えがええのに」
「そこも一緒に撮って。音吉が片づけようとして、わたしがこのままでええと言うたんよ」
撮った画像は家の端末へ保存し、ノブにはその場で画面を見せた。昔の写真を守ることと、誰かへ見せることを、今度は別々に考えられる。家族が印刷を勧めると、ノブはそれはまだいらないと答え、原本だけ先に引き出しへ戻した。
昼になると、向かいの女性から電話が来た。膝が痛むので、約束していた茶飲みを翌日にしてほしいらしい。ノブは明日も人が来るかもしれないと答え、週の後半で改めて決めた。台所には昨日作った大根の煮物が残っている。茶菓子の代わりにはならんね、と話すと、向こうも笑った。
※
午後、透から電話があった。旧郵便局の写真に祖父と音吉が一緒に写っていたこと、ただしその写真からは最後の七日間のことはわからない、と伝えてきた。ノブは電話を耳に押し当てたまま、机の上の封筒へ手を伸ばす。
「そしたら、もう一度おいで。見てほしい写真があるんよ」
『いいんですか。今度はお宅の都合に合わせます』
「火曜の午後なら家におる。病院の日やないし、買い物も済むから」
『二時頃に伺います』
家族は電話を切ったあと、透を呼ぶのなら自分も同席しようかと言った。ノブは茶を出すまでは手伝ってほしいが、話すあいだは隣の部屋にいてほしいと頼んだ。
「何があったか、あとで聞いてもいい?」
「話したくなったら、わたしから言うわ」
相手は少し不服そうだったが、それ以上問い詰めなかった。ノブは写真を引き出しから出し、手の届くところへ置き直した。
※
火曜の午後、透は約束どおり玄関に来た。二度目の訪問なので靴を置く場所もわかっていたが、ノブは今日は縁側の障子を閉めておくよう家族へ言った。日差しが写真へ直接当たらないようにするためだった。
「お爺さん、ここへ来たとき、何か言わはった?」
「亡くなる前のことなら、祖父は俺に話していません。帳面は残ってますけど」
「そうやろね。まだ生まれてもいなかったんやから」
ノブは少し笑い、茶封筒を透の前へ置いた。中から出した写真を両手で持ち、昔の自分の顔を指さす。
「こっちがわたし。隣が音吉。その膝におるのが、うちの娘です。幸といいます」
透は写真の子どもへ視線を落とし、封筒の裏の年月日を確かめた。ノブが続けるまで、誰の名が祖父の帳面に書かれるはずだったのかを訊かなかった。
「生まれて間もなく死んだんよ。あの人、家ではこの写真をよく見とった。でも、わたしの前で幸のことを言うのは苦手やった」
「音吉さんが預けた言葉も、幸さんへ向けたものだったと思われますか」
「それがわからんから、あんたに訊いたんや。わたしが聞きたいように決めてしもうたら、もう訊く意味がないやろ」
透は、祖父が最期の言葉を預かったことと、受け手の名は控えに残していないことだけを改めて伝えた。ノブは写真を引き寄せ、透の指が触れないうちに薄紙で包み直す。
「まだ渡すつもりはないよ。見せるだけ」
「はい。ありがとうございました」
しばらくしてノブが写真を表へ返すと、透は一つだけ確かめた。ノブが見せてくれた写真の幸と、祖父の帳面に宛先が書かれていないことを、同じ紙へ記録してもいいかという質問だった。
「わたしの話として書くんなら、ええよ。でも、音吉がこの子へ何か言うたと決まったわけやないで」
「はい。写真は、ここで見せていただいたままにします」
ノブは自分の名前も書いておいてほしいと言った。夫の最後の一言を訊きに来たのは他人ではない、残された妻の自分だと、あとで読む人にもわかるようにしておきたかった。透は話した日付をメモに入れ、写真の年月日とは別の行へ記した。
廊下から家族が、今晩の買い物に必要なものはないかと声を掛けた。ノブは鰹節が切れかけていることを伝え、来客用の煎餅の缶も持ってきてもらった。透には三枚勧めたが、次の現場へ行くなら一枚だけ持っていき、と紙袋を探し始める。
透は遠慮して一枚をその場で食べ、薄紙に包まれた写真が右側の引き出しへ戻るのを見届けた。




