第4話 日付のない墓
沖田宗一郎の家は、港から続く道を外れた砂利道の先にあった。
入院してからも誰かが家の周りを草刈りしていたらしく、玄関まで人が通れる幅は残っている。けれど門扉には蔓が巻きつき、透が押すと錆びた蝶番が途中で引っかかった。
町内会の世話役が鍵を開けた。遠縁の親族からは、家の状態を確認して整理の見積もりを出す許可を得ている。写真や手紙など、処分するかどうか家族が決めるものには勝手に触れない約束だった。
「この先、家ごと頼むことになるかもしれんが、今日は数だけな」
「わかってます。屋根も外から見て、傷んだところを書いておきます」
千鶴は玄関で靴を揃え、家財用の記録紙を取り出した。今日は午前中だけ便利堂の勤務で、午後には実家の在庫を確認しに戻るという。
廊下には冬物の上着が掛かったままだった。乾ききった流しの水垢が白く残り、台所の食器は伏せたまま棚に並んでいる。透が畳の沈み具合を調べるあいだ、千鶴は押入れの扉を開け、箱の大きさを測っていった。
「宗さん、意外と片づける人だったんですね」
「道具は決まった場所に戻してたよ。雨戸の修理に来たときも、釘を一本落としたら拾うまで帰してくれなかった」
「じゃあ、透さんの机を見たら何て言うだろ」
「今日はよその家の見積もりをしに来たんだろ」
千鶴は笑って記録紙へ戻った。
仏間には妻の位牌と、小さな写真立てが並んでいた。赤い首輪をつけた若いマルが、宗一郎の膝に顎を乗せている。町内会報の写真より毛並みに艶があり、耳もぴんと立っていた。
写真立ての前には、しばらく何かを置いていたような楕円形の跡がある。千鶴が昨日透の車で見た餌皿の形を手で示したが、透は棚の寸法を測るだけにした。
「一緒に置いてたのかもしれないな」
「宗さん、診療所へ皿を持ってったんですね」
「いつ運んだかはわからない。川辺さんに訊いてみる」
吊り戸棚の中には、同じ大きさの茶碗が二つずつ重ねられていた。千鶴は割れ物の数を記したあと、一番低い取っ手だけねじの種類が違うことに気づいた。宗一郎が使いやすいよう取り付け直したのだろうが、今は金具が緩み、開けると扉が少し下がる。
「ここ、直した方がいいですか」
「見積もりには入れる。直すかどうかは親族に訊こう」
世話役が納戸から持ってきた木箱には、畑の肥料の領収書と町内会の集金袋が一緒に入っていた。家のものなのか預かり物なのか判別できず、三人で手を止めた。世話役が親族へ電話をかけ、町内会の袋は自分が確認することにする。透は箱のあった場所を記録し、勝手口の近くへ移したものだけ元に戻した。
犬の登録証が入った封筒も仏間の棚から出てきた。世話役が電話で親族に確認したところ、犬の関係書類は内容を見てよいとの返事をもらえたので、透は封筒を開いた。
二十九年前の登録日と、犬の名。最後に挟まっていた予防注射の控えは十五年前の六月だった。紙の角には、宗一郎が自分で付けたらしい折り目がいくつもある。
「これより新しいの、ないですね」
「見つからないだけかもしれない。死亡届が出てたかどうかは別だ」
千鶴は封筒の位置を記録紙に書き、透は書類を戻した。登録日の数字だけ手帳へ写し、持ち出す必要のないものは家に残す。
見積もりの作業を終え、透は外から雨樋と軒先も確かめた。樋の継ぎ目が一か所外れかけており、雨が降ると玄関のたたきへ水が落ちる位置だった。脚立が要る作業なので、今日は高さと傷みだけ記録し、修理費は別の欄に書いた。
「家財整理と屋根の修理、別々に見積もりますね」
「そうしてくれ。親族の人も、先に何に金が掛かるか知りたい言うとる」
三人はそれから裏庭へ回った。畑の奥に一本だけ草の低い通路がある。世話役によれば、宗一郎は歩けたころ、そこだけ自分で刈っていたそうだ。
「ほら、あれや」
指の先に、低い石があった。表面だけを平らに削り、マルと二文字が彫られている。溝には泥が入り、石の縁へ苔が薄くついていた。透は膝を折って文字の下を確かめた。
日付はなかった。
「ここに埋めたんですか」
千鶴の問いに、世話役は首をひねった。
「わしが見たころには石があった。宗さんが犬を探しとったのは知っとるが、埋めるところは見てない」
「石を置いたのが、いつかも?」
「そこまで毎日庭に入るわけやないからなあ」
透は石の左右に生えた草を分けた。土は固く、古い木の根が地面近くまで張っている。今ここを掘っても、昔何があったかは簡単にはわからない。
「親族の人が来るまでは、触らずにおきます」
「そうしてくれ。家を片づけることになっても、この石は残したい言うとった」
透が記録紙へ石の位置を書き加えると、千鶴は写真立ての写真を撮らなかったことに気づいた。室内の見積もり用に撮った写真には、仏間の棚が端に映っているだけだ。
「首輪の色、覚えてます? 赤だったよね」
「赤。会報のときより新しそうだった」
「中尾さんに訊くなら、写真があると早そうなのに」
「親族の確認が取れてからにしよう。今日は登録日がわかっただけでも収穫だ」
午後、便利堂へ戻った透が見積書を書いていると、勝手口が開いた。梶十三が胡瓜を入れた袋を提げている。
「おう。冷蔵庫、空いとるか」
「うちのですからね。一応、訊いてから入れてください」
千鶴は実家へ戻る支度をしながら言った。梶は胡瓜を流しへ置き、透の机の端にある祖父の控え帳へ目を留める。
「また古いもんを出しとるな」
「宗さんの犬に言葉を預かりました。家の裏には墓らしい石もあったんですけど、骨があるかどうかはわからなくて」
「犬か」
透が三十二年前の頁を開くと、梶は欄外の持越を見た。
「あの人の字やな」
「これ、何を持ち越したんでしょう」
「わしが手伝うようになる前の話や。失敗した一件があるとしか聞いとらん」
「死んだ相手だったんですか」
「知らん。あんたまで、知らん話を決めつけるな」
梶は頁に触れず、透が帳面を閉じるのを待っていた。宗一郎の家に墓石しかないなら、昔の散歩道を歩いてみろと言う。自分が飼っていた犬も、家から離れた納屋の床下で見つかったことがあったそうだ。
「中尾さんが、帰り際に何か言いかけてたんです」
千鶴が配達表を畳んだ。
「明日、中尾さんちへ昆布を届けます。ついでに犬の歩いてた場所、聞いてきますよ」
「こっちの仕事はいいのか」
「明日は実家の配達の日。ちゃんと配達してから訊きます」
梶は胡瓜を冷蔵庫へ運び、千鶴に場所を空けろと手で示した。透は見積書を最後まで書き上げてから、宗一郎の家の鍵を返すため世話役へ電話をかけた。




