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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第六章 あの人には言えんな

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第39話 半分の引き出し

第039話 半分の引き出し


 浦上ノブは朝食のあと、新しい薬箱を返してきてほしいと言った。三日前、家族が曜日ごとに薬を分けられるものを買ってきたのだが、蓋を押す部分が固く、指の腹で何度試しても開けられなかった。


「開けるときだけ呼んでくれたらええやないの」

「朝の薬を飲むために、毎日あんたを呼ぶんか。古いので足りとるよ」

「せっかく買うたのに」

「せっかくでも使えんもんは使えん」


 家族は箱とレシートを鞄へ入れ、午後に店へ寄ると言った。ノブは古い木箱を布巾で拭き、蓋の緩くなったところへ輪ゴムを掛ける。見た目は悪いが、毎朝自分で開けられた。


 昨日、榊便利堂の若い男が座った場所には、座布団を半分に折って置いてある。透は祖父の帳面に何か記録が残っていると言い、次は調べてから連絡すると約束した。ノブも聞く用意をしておこうと思ったが、何を見せるかまでは決めていなかった。


 机の引き出しを開ける。左には通帳の袋と薬の説明書、書きかけの年賀状。右には茶封筒が数通と、音吉の使っていた古い木の定規がある。定規は長いこと触っていないせいで、目盛りの間に埃がたまっていた。


 暮れの葉書を一枚取り出すと、差出人の欄に宮下ハルとあった。昔は買い物の帰りに寄って、お茶を飲んでいった人だ。近ごろは年賀状だけになり、今年の夏に電話が来たときも、話の途中で互いの家の用事が入って切ったままだった。


 返事の一行目に寒さのことを書きかけ、ノブはやめた。毎年同じ文句を書くなら、印刷しても変わらない。家族が戻るまで時間があるので、いつもの菓子屋が店を畳んだ話でも書こうと思い直した。あの店の甘い煎餅を気に入っていたのは音吉で、ハルはよく土産に買ってきた。


「今年は、あそこの煎餅も売っとらんようになりました」


 そう書くと、何年も会っていない相手をわざわざ寂しがらせる気がして、すぐ次の行を足した。坂下の店が代わりに焼いているのを見つけたこと。まだ食べたことはないが、今度買いに行くつもりだということ。正月が済んだら、一度電話してみようとも書いた。


 ノブは書いた紙を乾かしてから、今のハルの住所を確認した。昨年の葉書が手元にある。電話番号は紙の電話帳に挟んであるが、数字の小さいところだけ読みづらい。家族に頼んで拡大鏡を持ってきてもらうより、前の年の字を見て書くことにした。


           ※


 昼前、近所の女性が大根を二本持ってきた。家族は買い物に出ており、ノブが玄関へ出ると、相手は大根を抱えたまま台所まで上がってきた。


「今年はよう育ったんよ。葉っぱも食べられるで」

「うちは二本も食べ切れへん。一本持って帰り」

「二本持ってきたのに、一本返されるんかいな」

「葉っぱは全部置いてって。そっちは食べる」


 女性は呆れたように笑い、まな板を借りて葉を切り落とした。ノブは自分で包丁を握ったが、根元の硬いところだけ代わってもらう。葉は塩を振って今夜炒め、根のほうは明日の煮物にする。冷蔵庫の一段を空けるには、昨日の残り物を先に片づけなくてはいけなかった。


「榊さんとこの孫が来たんやって?」

「よう知っとるね」

「坂を上がってくる軽トラ、目立つもん。何か直してもろうた?」

「昔のことを、ちょっと訊いただけ」


 女性は大根を半分に切りながら、音吉の写真でも探しているのかと聞いた。ノブが首を振ると、代わりに自分の畑の水路の話を始めた。雨のあと泥が詰まり、年内に一度さらわなければならないらしい。ノブは家族が帰ったら町内会の連絡先を確かめると答え、女性へ瓶詰めの漬物を持たせた。


 玄関を閉めると、台所の流しには大根の葉が山になっている。先に葉を洗い、傷んだものだけ取り分ける。そのあいだ、透に何を聞かせるかは一度も考えなかった。


 家族が戻ったのは午後二時を過ぎてからだった。薬箱は店が交換を受け付けなかったらしく、今度は蓋が軽く開く品を見つけてくると言う。ノブは古い箱を見せ、当分これを使うから新しいものを買わなくていいと繰り返した。


「お金より、飲み忘れが怖いんよ」

「飲んだら、ここの欄に丸つけとる。昨日のも見てみ」


 ノブの書いた丸は日によって大きさが違ったが、一日も抜けていなかった。家族はそれを見て、次に買うときは本人も連れていくと約束した。


 買い物袋の底からは、頼んだ覚えのない柔らかい手袋も出てきた。家族が自分で選んだという。ノブは手を通してみたが、手首が緩く、湯呑みを持つときに滑りそうだった。家族が残念そうにしたので、外へ出る日だけ使うことにした。


「もうちょっとしたら、こっちで全部用意するから」と言われ、ノブは夕飯の献立を先に訊いた。自分の台所を人へ任せるのは構わないが、大根の葉を捨ててしまわれるのは困る。家族は冷蔵庫を開け、洗った葉が一袋あるのを見て、今日は卵と炒めることに決めた。


 昼間の女性から、帰り道の坂で自転車のチェーンが外れたと連絡があった。ノブは修理できる人を紹介する代わりに、明日の朝、使わない自転車を家族に見てもらう約束をした。庭に置いてある古い自転車は音吉が買ったもので、もう何年も乗っていない。処分してほしいと言われる前に、自分で一度動かしてみたかった。


 家族が庭へ出ているあいだに、ノブは年賀状の宛名をもう一度読み、住所録を棚へ戻した。ハルへ書いたものと、返事の来なくなった人へ毎年送っていたものが同じ束にある。後者は今年から出すのをやめると決め、相手の名前に印を付けた。亡くなったと人づてに聞いた人もいるが、確かめようのない人はそのままにしておいた。


 夕食前、ノブは右側の引き出しを空けることにした。音吉が局を辞めたときにもらった記念品、切れてしまった腕時計の革紐、死亡通知の控え。それぞれ別の封筒に分けると、古い写真が何枚か出てきた。若いころの自分と音吉が縁側に並んだ一枚だけ、裏に日付がある。


 ノブは写真を長く見なかった。茶封筒へ厚紙を挟み直し、右側のいちばん奥へ戻す。昨日、透が座っていた場所からは、その引き出しの中が見えない。


「お母さん、もうご飯にする?」


 家族が台所から呼んだ。ノブは左側の年賀状を一枚取り、ハルへ書いた文を読み直してから封をした。葉書は明日、自分で坂下のポストへ持っていく。車で連れていくという家族の声に、まだ歩けるところまで歩くわと返した。


 右側の引き出しは、半分だけ片づいたままだった。


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