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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第五章 マリアに

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第36話 空欄


 火曜の朝は、古い雨樋の部品を取りに行くところから始まった。注文していた継ぎ手の径が一つ違い、仕入れ先の店員と倉庫で品番を確かめる。透は自分が注文票へ書いた数字を見せ、もう一度正しいものを出してもらった。


「こっちの箱、開けてしまいましたけど」

「大丈夫です。中、使ってないんで戻しますよ」と店員が言った。

「悪かった。こっちの書き間違いだから」


 予定より出発が遅れ、現場の家へ着いたときには午前十時を過ぎていた。雨樋の中には落ち葉が詰まっている。上のほうへ梯子を掛ける前に、透は足元のブロックを二つ動かし、家の人へ水道を借りた。水を流して通りを確かめ、代金の伝票を渡すと、老人は庭に干してあった柿を一つ包んでくれた。


「今から帰って食べんさい。ちょうど甘うなっとる」

「ありがとうございます。あとでいただきます」


 梯子の下に敷いた板は、濡れた土にめり込んでいた。透は一段降りるたびに足場を確かめ、落ち葉を詰めた袋を荷台へ載せた。帰りの車で桑島の家の前を通ると、雨戸が閉まり、門へ近所の人が置いた小さな花が見えた。透は車を停めず、そのまま便利堂へ戻った。


           ※


 昼すぎ、寺村カルロスから連絡が来た。日野節子と相談して写しを見直したが、マリアの墓地を示す箇所は見つからなかったという。カルロスは、手紙に載っている住所が今も娘のものかどうか、確認できていないことも繰り返した。


『このあと、娘さんへ知らせますか。桑島さんが亡くなったってこと』

「いまは、あなたと日野さんの判断に任せます。手紙の写し、俺が持つものじゃないし」

『あの人、返事を書こうと思ってたかもしれませんよ。書いてほしいとは言いませんでしたけど』

「そうかもしれません」


 カルロスは仕事へ戻らなければならず、通話はそこで終わった。透は手元の帳面に、墓地の所在は確認できず、と書いた。本人に会う代わりに娘へ言葉を伝えることはできるかもしれないが、それをしたところで預かった一言が離れる保証はない。何より、本人がもういないと知っていた桑島が、娘宛ての手紙ではなく、あの名前を託した理由まで自分で決める気にはなれなかった。


 机の下の新聞束へ足が当たり、束の角が棚からはみ出した。立花家から譲られた十五年前の地方紙は、紐が緩んでいる。透は結び目を直し、埃を払って奥へ押し込んだ。午後の現場へ持って行く雨戸の金具が、作業台の反対側に置きっぱなしになっていた。


 現場では、依頼主の女性が古い雨戸を外そうとしているところだった。透が昨夜、戸車の溝の幅を電話で聞いたため、先に作業を進めても大丈夫だと思ったらしい。上の戸を持ち上げかけた手を止めてもらい、二人でゆっくりレールから抜いた。片側の木枠は水を吸って膨らんでおり、戸車だけ替えてもまっすぐ走らない。


「全部直すと、どれくらいかかる?」

「今日は動くようにはできます。ただ、枠ごと取り替えるなら別の見積もりを出します」

「年内はこれでええ。正月に子どもが帰って来るし、開け閉めできれば」


 透は枠の端を少し削り、戸車を取り付けた。戸を戻す前に女性へ押さえてもらい、動かしてみると、途中の引っ掛かりだけが残った。もう一度外して削り直す。女性は台所へ戻り、戻ってきたときには湯飲みではなく古いねじを四本持っていた。去年、自分で修理しようとして余ったのだという。


「これは使わんほうがいいですよ。長さが違う」

「ほんなら、また箱へ戻しとくわ」


 ようやく雨戸が閉まるころ、透の携帯が一度鳴った。修理の依頼だったので日を改めて折り返すと伝え、見積もりの金額を確認して現場を出た。夕方まで、桑島の宛先について新しい連絡はなかった。


           ※


 その日の午後、県外の会館では節子が、新しく手伝う事務員に宛名帳の古い印の意味を教えていた。住所欄の脇へ小さく丸がついている人には、会報を直接送らず、いったん家族へ問い合わせる。欠席した年が続いても住所を消せない人がいるので、印だけは残してあった。


「桑島さんの分は、どうします?」と事務員が聞いた。

「ご親族に聞くまで、手ぇつけんといて。訃報を誰へ送るかもまだ決めてないんよ」

「新しい名簿には載せますか」

「それも、まだ。先に今月の分やっとこか」


 節子はカルロスとの確認を終えたあと、会報用の封筒を数えた。古い便箋を見直しても、マリアの墓の場所を示す地名は見当たらなかった。ほかに尋ねられる人がいるのか考えたが、娘の連絡先はすでに何年も前のものだ。いま名前のわかった娘へ突然手紙を送る話も、便利屋が届けられない一言とは別に、時間をかけて決めたい。


 机を畳むと、節子は桑島の名札を空の封筒に入れた。去年の会報と一緒にしまえば、来年になっても探せる。


 片づけを終えた事務員が照明を消しに来たので、節子は封筒の箱を別の棚へ移した。床の張り替えで書類を一度預ける予定があり、古い名簿まで業者の倉庫へ運ばれたら、後から探すのに手間がかかる。節子は引継ぎ表の「要確認」欄へ桑島の名前を書き、その頁だけを事務員と一緒に複写した。手紙の写しは自分の鍵付きの引き出しへ戻す。


           ※


 夕方、残っていた見積書を二枚仕上げてから、透は受託の控え帳を開いた。水曜に受け取った桑島の名前を見直す。日付は七日目になっている。相手の欄にはマリアと書いてあるが、届けた日を書く場所は空いていた。


 祖父の帳面には、三十二年前の一件に「持越」と記した頁がある。透は隣に置いていた祖父の帳面も開いたが、その頁を読む前に閉じた。自分の帳面には、まだ書けることが残っている。


 雨が降り始めたのは、帳面を閉じて間もなくだった。帰ろうとして濡れた段ボールを軒下へ寄せ、工具の入った箱を台へ載せる。裏戸を閉めたところで、喉の内側に留まっていた桑島の声が遠くなった。


 透は戸の取っ手を握ったまま、もう一度飲み込んだ。これまではどんなに仕事へ気を取られていても、預かった一言はそこにあった。いまは輪郭を確かめようとしても、声が返ってこない。落ちていくような感覚だけが残り、やがてそれも薄れた。


 裏戸の鍵を回し、もう一度開けて電気をつけた。帳面の配達日欄へ何か書くつもりだったが、鉛筆の先を置いたまま手が止まる。日付を入れれば、誰かへ届けた記録に見える。祖父と同じ「持越」の字を書こうとして、透は鉛筆を引っ込めた。


 透は桑島の名を消さず、届けた日だけ空欄のままにした。まだ雨が降っている。袋へ入れた工具を車まで運ぶと、濡れた段ボールが風で一枚だけ裏返っていた。戻って拾い、また軒下へ置いてから店を閉めた。


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