第31話 名前のない住所
翌朝、真弓は惣菜売り場の値札を差し替えたあと、桑島の取り置き札を半分に折った。今日の売り場では別の客が鯖を予約している。同じ引き出しを使うため、札を入れ替えなければならなかった。
桑島が搬送先で亡くなったと聞いたのは、開店直前だった。連絡をくれた隣人に礼を言い、真弓は従業員へ仕事の順番を伝える。冷蔵ケースの点検は夕方になる。交換部品がすぐ届くかはわからないため、使えない棚の分だけ値引き品を早めに出し、昼の仕入れは別のケースへ入れることにした。
休憩中、真弓は事務所の壁に貼った古い案内を一枚剥がした。八月に県外の慰霊祭と交流会から届いたもので、行きたい客へ渡すつもりで取っておいた。桑島は毎年のように「今年は何時のバスやろう」と尋ねていたから、一度だけ行き方を調べたことがある。真弓自身は会場まで行ったことがなかった。
昼前に透が買い物かごを持って来た。仕事で近くの雨樋を直した帰りだというが、かごには釘も部品も入っていない。
「飯、買うならあっち。今朝の残りの弁当は値引きしてないよ」
「飯も買う。昨日の件で聞きたいことがあって」
真弓は案内を渡し、事務局の公開電話番号を指した。
「この夏、桑島さんが来られたかどうかは私にはわからん。若いころ南米におったらしくて、昔からこの集まりを気にしとったんよ。電話してみたら」
「マリアさんって名前は、聞いたことない?」
「ない。あんたが聞いた名前を、私が別の人と結びつけたらまずいでしょう」
そう言いながら、真弓は店の予定表をめくった。今日は上の子の学校から迎えを頼まれている。勤務を一時間早く切り上げる代わりに、明日は納品の立ち会いを引き受けた。予定表の赤い印を見て、彼女は弁当を一つ透のかごへ入れる。
「帰ってから食う、はなしね。うち、あんたの食事まで取り置きする店やないから」
「払うよ」
「当たり前や」
※
役場の窓口では、楓が高齢者向けの送迎申請を扱っていた。透が来たのを見て一度だけ目を上げたが、前の人の相談を終えるまで呼びかけなかった。
昼休みになってから裏口へ出てきた楓に、透は案内の紙を見せた。県外に住んでいた人の交友関係を、町の記録から辿れないかと尋ねると、楓は首を横に振る。
「窓口に来てもらえれば、一般向けの相談先は案内できます。けど、亡くなった方の記録を、わたしが透さんの用事で見ることはできません」
「そこまで頼むつもりはない」
「なら、最初にそれ言ってください。いまの聞き方じゃ、わたしの権限で探してほしいみたいです」
透は案内を畳み、知りたかったのは公開の相談先だけだと伝えた。楓は昼食の包みを持ち直し、紙に印刷されている番号が公開の事務局であることだけ確かめる。竹岡家で何があったかを詳しく聞いてきたときと違って、今日はそこから先へ踏み込まなかった。
「佳代さん、請求書が届かないって言ってましたよ」
「今日、出す」
「わたしを伝言係にせんでください」
「そうだな。ごめん」
楓は返事を急がず、自分の弁当箱を開いた。透がまだそこにいるので、箸で卵焼きを半分に割ってから言った。
「竹岡さんのこと、わたしが納得したわけじゃないから」
「わかってる」
「それでも、仕事の請求書は別です。佳代さんだって、払うつもりで待ってるんでしょう」
透はうなずいた。楓が役場へ戻るころには、昼休みがあと十分しか残っていなかった。
※
真弓は昼の客足が引いたところで、店長代理と翌朝の納品表を照合した。昨日の冷蔵ケースの故障で、予定した棚割りはまだ元へ戻せていない。業者から交換部品の到着は週明けになると聞き、今夜の弁当の置き場所を惣菜担当ともう一度決めた。
「明日の朝、私が立ち会う。今日だけ、夕方の締めをお願いできる?」
「迎えの件ですね。代わります。そのかわり明日、返品容器を一緒に数えてください」
「わかった。先週の分も積んどるやろ。あれもやろう」
退勤の時刻を記録してから、真弓は学校へ車を回した。子どもは昇降口で待っており、荷物を後部座席へ放り込むなり、図工で使う画用紙がいると言い出した。
「いつまで?」
「火曜まで。先生、昨日言った」
「昨日のうちに言いなさいよ。明日、店が終わってから買いに行くわ」
車を出す前に真弓は店からの着信を確認したが、入っていたのは修理業者の予定変更だけだった。子どもが助手席の下へ落とした水筒を探しているあいだ、真弓は紙袋の弁当を二つに分けた。片方は昼に透へ渡したものと同じ品だ。店では売れ残らなかったので、帰り際に自分の分を定価で買った。
子どもは水筒を見つけると、今度は図工の作品を折らずに持って帰れる箱がいると言った。真弓は車内にあった納品用の空箱を出しかけてやめた。店の備品を黙って持ち帰るわけにはいかない。帰ってから段ボールを一枚探そう、と約束すると、子どもは窓の外を見たまま「じゃあ大きいやつ」と念を押した。
※
夕方、便利堂へ来た梶十三は、冷えた弁当を見つけると蓋を外しかけた。
「買うてきて食わんのなら、わしが食うぞ」
「これから食べます。梶さんの分はないです」
「ほんなら、さっさと食え」
梶は自分の畑で採れた里芋を流しへ置き、縁台修理用の板を裏口へ運んだ。来週に納める約束をした板が、雨の当たるところへ出しっぱなしになっていたのだ。
「車の予約、取ったんか」
「航に明日聞く」
「明日が何回目か数えたろか」
透は弁当の輪ゴムを外した。梶は桑島の名を聞くと、造船所にいたころ同じ食堂で食べたことがあると言ったが、海外の話はほとんど聞いていないという。
「黙ってたんですか」
「わしらが聞かんかっただけかもしれん。あの人、うちで飯食うたら、ほかの奴の話はよう聞いとったで」
梶は里芋を洗い始めた。透も箸を動かし、食べ終えると机に戻った。竹岡家の請求書を改めて確認し、庭木の剪定代だけが記されているのを見て封をする。千鶴が出しておいた切手を貼り、まだ集荷に間に合う郵便局の窓口へ持ち込んだ。
宇野からは、昨日の開錠作業の伝票について連絡があった。透は指示された依頼番号を控え、請求するのは鍵を開けた作業代だけにした。県外へ出る燃料代や宛先探しの時間は、その伝票には入れなかった。
帰り道で、県外の会館へ電話をかけた。応答した女性は名を日野節子と言い、いまは名簿の整理で手が離せないが、明日の午後なら会えると答えた。電話の向こうでは、机を折り畳む金具が何度も鳴っていた。




