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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第四章 こたつを出しておいて

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第29話 呼ばなかった


 翌朝、ハツはこたつの上に裁縫道具を並べた。脚を少し直したせいで天板が前より平らになった、と言いながら、昨日まで縫っていた布袋の口をほどく。日曜に鋏を返した松井へ、今日は茶を飲みに来てほしいと電話をかける。


「もう電話したん?」と佳代が尋ねた。

「したよ。昼には寄ってくれる」

「私も昼休みに戻ろうか」

「話したいこともあるんや。あんた、今日は店が忙しいんやろ」


 佳代は母が人を呼ぶことにまだ慣れなかった。朝食の卵を半分残したのを見て、店へ電話しようか迷った末、昼の休みに必ず帰ると伝えて家を出た。


 松井が訪ねてくると、ハツは実が買ってきた乾麺を一束、紙袋へ入れて渡そうとした。隣家の人は「うちにもあるから」と遠慮し、代わりにこたつを見て「出すの早いな」と笑った。ハツは湯飲みを二つ並べ、松井が入れた茶をひと口飲んだ。


「実さん、今年も帰ってきたんか」

「帰っては来たんよ」


 ハツは顔を上げずに答えた。松井は急いで何かを言おうとせず、畳の端に落ちた糸を摘まんだ。


「若いころの写真、今度見せるわ。あの子、髪が長うてね。こんな長い顔して、写真屋に怒られとった」

「ほな、また寄るわ」


 ハツは写真の入った引き出しを開けかけたが、目当ての一枚がすぐには出てこなかった。下の段の古いアルバムを持ち上げようとすると、松井が「今度のときでええよ」と声を掛ける。松井は午後の用事があると言って帰り、ハツはアルバムを棚へ押し戻した。


           ※


 木曜、実の勤め先から小包が届いた。薄い作業用の手帳と、職場の人たちが書いた短い手紙が入っている。佳代は母の前で開けるか迷い、昼を食べ終えてから手帳だけを出した。


「ここ、兄ちゃんが年末に休み取ろうとしてた日やって」

「年末は毎年、こっちの雨戸の具合見に来るからな」

「今年は来られんよ」

「知っとる」


 ハツは手帳を受け取り、出荷数や担当者の略号が並んだ頁をめくった。母には読めない字も多かったが、実が書いたらしい、隅の「豆腐」という走り書きだけは見つけた。帰省の荷物へ追加するつもりだったのか、職場の買い物かはわからない。


「兄ちゃん、家に来たら何でもやり直して、腹立ったわ」

「去年、あんたの出したこたつ、全部ひっくり返しとったな」

「敷布団が湿ってる言うて、まだ晴れとらんのに外へ干したんやで」

「わたしも怒った。結局、そのあと雨が降ってしもたもんな」


 佳代は手帳を元の箱へ入れた。母が話を続けようとしたところで、勤務先から棚卸しの時間を変更したいと電話があり、佳代はいったん台所へ出た。戻ると、ハツはこたつの電源を切って眠っていた。


           ※


 金曜には千鶴が乾物屋の配達で来た。竹岡家から頼まれていた薄い昆布を届けると、ハツは前回より少し色が黒いと言って袋を開きかけた。


「うちの母が、今のやつでええか確認してました。違うなら持って帰りますよ」

「これでええ。佃煮はこっちがうまいんよ」


 ハツが鍋の中を見せたので、千鶴は煮詰める前に酢を少し入れると教わった。榊便利堂では見積書の番号を振っている時間だが、今日は乾物屋の店のほうから来ている。母へ頼まれていた代金を受け取り、次に薄い昆布を仕入れる時期を約束した。


「また教えてくださいね。うちの母、味付けの話になると自分のやり方しか聞かないんで」

「そら、わたしと同じやな」


 千鶴が帰ると、ハツは鍋の火を弱めてから昼食を取った。佳代は夕方戻り、佃煮を小瓶へ分けて入れた。ハツは松井にも分けたいと言ったが、数が足りないと聞くと、自分の分を一瓶減らした。


 土曜の朝、佳代は出勤する前に母の布団を干した。ハツはそのあいだ居間で針仕事をしていたが、昼には針を持つ手を休め、早く片づけてくれと言う。娘が帰宅したとき、こたつの上に広げられていた布は途中で折られたままだった。


「母さん、今日はもう横になろ」

「うん。あんたも店の帰りに、何か食べてきたらよかったのに」

「明日は休みやから、家におるよ」

「わたしはおるから、あんたまで閉じ籠もることないで」


 佳代は返事をせず、押入れへ布団を取りに行った。昨日までとは違い、母は夕飯のあとに台所まで来なかった。


           ※


 日曜の夕方、ハツは電話の隣の椅子に座っていた。佳代が針箱を片づけようとすると、まだ縫い終わっていない布袋を渡して、松井へ見せる写真も一緒に置いておいてくれと言った。


「写真は、次に来はったときでええやろ」

「うん。引き出しの右のほうや」


 夕食のあと、ハツはこたつの電源を切り、自分で布団へ移った。佳代は診療所の番号を書いた紙を電話の脇へ置き、夜中でも呼ぶよう頼んだ。


 寝る前、ハツは何か言いかけて口を動かした。佳代が近寄ると、母は唇を舐めて、水がほしいとだけ言った。水を渡しても、もう続きは聞けなかった。佳代は一瞬、便利堂の番号の書いてある古い伝票を思い出した。けれど今夜、母のところへ誰かを呼びたいとは思えなかった。


「また明日ね」と佳代が言うと、ハツは頷いた。布袋はこたつの上に残り、若い実の写真は引き出しに入ったままだった。


 月曜の朝、佳代が声を掛けてもハツは目を開けなかった。


 枕元の水は半分残っている。佳代は母の肩に触れ、名前を呼び、電話を取った。救急隊が来るまでに何をしたか、あとになって思い返そうとしても順番が曖昧だった。搬送先で医師から死亡を告げられたとき、昨夜自分が置いた水のコップのことを思い出した。


 実の言葉が届いてから、六日後だった。


           ※


 ハツの葬儀は常光寺で行われた。佳代は兄のときより多くの参列者へ挨拶し、松井に受付を頼んだ。親族が母の最後の六日間について尋ねると、こたつを出したことと、庭がきれいになったことを話した。兄の話をどこまで聞いたかは、相手によって答えを変える気になれなかったので「母に訊けなかった」と言った。


 透は白木から頼まれた本堂の椅子の修理だけ済ませ、焼香の列ができる前に工具を片づけた。佳代が玄関の外で呼び止める。


「榊さん。母が亡くなる前の晩、呼ぼうかと思ったんです。あんたのところへ」

「はい」

「けど、呼びませんでした。母が何を言いかけてたのか、私にもわからんままです」


 透は言葉を探した。佳代が今ここで求めているのが返事なのか、受け取り損ねたことへの弁解なのか、それさえ決められなかった。


「もし、あんたが来てなかったら、もう少し長生きしたかもしれん。母はあれから、寝る前にも兄の話をしてました。私が止めても」

「それは、わかりません」

「わからんから嫌なんです。母が喜んだやろ、言われても、私には言い返せへんでしょう」


 佳代は葬儀の受付へ戻る前に、庭木の請求書を送ってほしいと言った。透が頷くと、「こたつの修理の分はいりません。頼んだ覚えはないから」と付け加えた。


「お母さんには頼まれました」

「母は、兄の声を聞かせてほしいと頼んだんですか」


 透は答えられなかった。佳代はそのまま寺へ戻り、次に来た参列者のため、入口の傘立てを壁際へ寄せた。


           ※


 夕方、楓が便利堂へ寄った。避難訓練で使った長机の脚を直す見積もりを持ってきて、透が金額を記入するあいだ入口の椅子に腰を下ろしていた。


「竹岡さんのこと、聞きました」

「うん」

「わたし、まだ、佳代さんが言ってたことを軽く扱えません。ハツさんが自分で呼んだとしても」

「俺も、軽く扱ってない」

「なら、そこは前に話したときのままです」


 透は鉛筆を削り、数字を一つ書き直した。楓は提出用の見積書を封筒へ入れ、「予算が通ったら改めて連絡します」と言って立ち上がった。壊れた机はまだ倉庫に置かれている。


 乾物屋の配達帰りに千鶴が便利堂へ寄ると、こたつの電源コードの空箱が工具棚の下にあった。透が当日持ち帰り、資材の箱に紛れたものだ。千鶴は資源ごみの日を確かめてから箱を平らに畳んだ。


「竹岡さんの請求書、まだ封筒入れてないですよ」

「出す」

「今日じゃなくても、忘れんといてくださいね」


 透は請求書を机の引き出しに入れた。次の週の予定表には、網戸の引き取りと、別の家の雨戸修理が二件入っている。店の電話が鳴り、千鶴が受話器を取った。


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