第27話 母の留守
月曜の朝、透は竹岡家へ入る前に佳代へ電話を掛けた。診療所へ向かう車の中から、ハツも一緒に乗っていると返事がある。受診のあと買い物をして帰るから、昼過ぎまでは戻らないという。
「十一時半までには引き上げます。ただ、道が空いて早く帰ることもありますよね」
『買い物は母が行きたい言うてます。けど、急に具合が悪なったら帰ります』
「十時半を目安に片づけます。庭だけ触って、玄関へは上がりません」
『お願いします。終わったら電話ください』
電話を切ると、千鶴が軽トラックの荷台から脚立を下ろした。月曜は彼女の便利堂の勤務日で、午後には実家の乾物屋へ戻る。庭木の剪定には最初から二日を見込んでいたが、事故のあと道へ張り出した枝は手を付けられずにいた。今日も先に通路を空け、そのあと庭へ落ちた枝を集める。
「母に、日曜ぐらい休めって言われました」
「休んだのか」
「友達と昼ご飯食べて、夕方ちょっと帳場だけ。透さんも休んだんですか」
「見積もりを書いた」
「ほら、人のこと言えんでしょう」
千鶴は長い枝を一本持ち上げ、紐を掛ける位置を透に尋ねた。実が倒れた場所の庭石には、洗っても落ちなかった薄い土の筋が残っている。千鶴がそこへ枝の束を引きずろうとしたので、透は「石の手前で持ち上げよう」と声をかけた。足場が狭く、滑ると危ない。それだけ説明して二人で束を運んだ。
山茶花の内側は風が通らず、脚立の上にいる透の額へ汗がにじんだ。門の上へ出た枝を短くしても、ハツが残してほしいと言っていた花芽のついた部分には手を付けない。千鶴が下から枝の落ちる場所を確かめ、透は鋏を入れる前に声を掛ける。最後の一束を載せると、荷台の紐がぎりぎり届いた。
「門、開けるの先に見てきます」
「まだ十時や。慌てなくていい」
「慌てとるんは、こっちです。顔を合わせたら、止められんのでしょう」
透は時計を確かめた。佳代が早く帰る可能性を見込んで予定を組んだのは自分だ。庭に空箱を残してもう一度取りに来るようなことはしたくない。脚立、鋏、箒、替え刃、枝を集める袋。千鶴が積んだ順に声に出して確かめ、塀際の隙間まで二人で歩いた。
「こたつの脚は、置いたままでいいんですか」
「家のもんや。今日は庭だけって約束してる」
「なら、手をつけたらあかんですね」
千鶴が裏戸を閉めると、透は留め金を引いて施錠を確かめた。十時二十分。家の中から声はせず、二人が道へ出るまで玄関の戸も開かなかった。佳代へ作業終了の短い電話を入れ、請求書は後日送ると伝えた。
※
診療所の待合室で、ハツは呼出番号の札を上下逆に持っていた。佳代が直そうとすると、母は手を引っ込める。
「見えてるよ。あっちの時計、前から五分進んどるやろ」
「札と時計は別の話や」
「わかっとる。あんた、いちいち正すね」
佳代は薬の残りを数え直し、受診票の空欄を埋めた。ハツは廊下の鉢植えを眺めていて、名前を呼ばれると自分で立ち上がった。診察のあと、医師は薬の時間を変更した理由を二人へ説明し、息苦しさが強いときの連絡先をもう一度確かめた。佳代はメモを取っていたが、母は「それぐらい覚えられるわ」と途中で口を挟んだ。
車へ戻ると、ハツが豆腐屋に寄りたいと言い出した。朝から母を外へ連れ出すだけでも気を使っていた佳代は、買い物を翌日に延ばそうとした。
「店に寄ったら、すぐ帰るんやで」
「自分で選ぶぐらい、まだできる」
「わかった。重たいもんは買わんといて」
店では、ハツがいつも買う豆腐がちょうど売り切れていた。別のものを勧める店員に首を振り、厚揚げを一枚だけ選ぶ。急いで帰りたがったのは佳代のほうで、買い物袋を受け取ると車の後部座席に置いた。帰り道、母は榊便利堂が庭をどこまで切ったか気にしていた。
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便利堂へ戻った透は、千鶴と工具の汚れを落としてから、竹岡家の作業伝票へ終了時刻を記入した。千鶴の勤務時間は午前分だけ。彼女は家業の配達先を確かめ、乾物屋の注文票が便利堂の書類に紛れていないか見てから自転車へ積んだ。
「竹岡さんとこの剪定代、請求書は書けますよ」
「今日、宛名だけ書いとく」
「作業分と、こたつのことは一緒にせんといてくださいね」
「後者は頼まれてない。直したわけでもないし」
千鶴が帰ると、透は剪定代だけを記載した請求書を机の端へ置いた。まだ送らない。佳代は今日一日、母の診療に付き添っている。請求書を送ることが迷惑だと決まったわけでもないのに、宛先を確かめ直したまま封筒へ入れられなかった。
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昼過ぎに家へ戻ったハツは、道へ伸びていた山茶花の枝がなくなっているのを見つけた。松井が庭を掃いてくれた箒は、門の横に立て掛けてある。
「上のほう、花の枝もちゃんと残っとるね」
「榊さんに、何度も頼んどいたから」と佳代が答えた。
「せやけど、本人に礼を言えんかったわ」
佳代が厚揚げを冷蔵庫へ入れているあいだ、ハツは古い修理伝票を探した。二年前、榊便利堂に雨樋を直してもらったときの控えには、電話番号が大きく書かれている。夕方、娘が作り置きのおかずを小分けにし始めたころ、ハツは居間からその番号へ電話をかけた。
「榊さん、いますか。今日、庭を切ってもろうた竹岡です」
留守番電話が応じた。ハツは名乗り直し、明日の朝に一度来てほしいと伝える。庭のことと、実が倒れたとき何があったかを聞きたい。伝え終わったところで佳代が台所から出てきた。
「母さん、私に聞いたらええやん」
「聞いてるよ。あんたは病院で聞いた話を教えてくれる。けど、あの日、庭におらんかったやろ」
佳代は受話器を戻した母を見た。明日の仕事を代わってもらうには、いまのうちに店へ連絡しなければならない。母のほうは電話の控えを戻し、押入れからこたつの敷布団を少し引き出した。端を握って畳へ置くと、息を整えてから襖を閉めた。
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夕方、梶十三が畑の青菜を持ってきた。靴についた泥を勝手口で落とし、作業台に置かれた請求書を見る。
「仕事、終わったんか」
「庭は済みました。請求書、まだ出してなくて」
「なんでや。庭が終わったんなら、庭の分はもろうたらええ」
「家の人が落ち着いてからにしようかと」
「落ち着いたいうんは、いつや。あんたが日を決めたら、その日まで家の人が困ったままかもしれんで」
梶は青菜を流しへ置き、半分を濡らした新聞紙で包んだ。透が包みの片方を冷蔵庫へ入れようとすると、明日の夕飯の分だから取り分けておけと止める。
「それと、鍋はあんたが洗い。わしは食べるとこまでしか手伝わん」
「この前もそれ言うてましたね」
「この前も洗わんかったからや」
透は請求書を封筒へ入れず、青菜を洗った。佳代へ送る日はもう少し考えようとしていたが、先に鍋へ湯を張らなければ夕飯にならない。




