第22話 箱の底
竹岡実が車の後部座席から降ろした段ボールには、底だけ二重にガムテープが貼ってあった。
「これ、縁側へ置いてええか。かあちゃんが開けると、また包みを取っとくんや」
「雨が当たりますよ。俺が台所まで運びます」
「ええ、ええ。まだ運べる」
実は箱を抱え直し、庭の飛び石へ片足を載せた。十月の水曜の昼前で、作業着の襟を開けた榊透は朝から山茶花の内側へ腕を突っ込んでいる。竹岡家の剪定は毎年頼まれるが、今年は門に近い枝が道へ出てしまい、二日かけて切る見積もりを出していた。
「実、先に手ぇ洗い。車の埃まで家へ入れるんやないよ」
竹岡ハツが台所の窓から顔を出した。八十一歳。少し前から家の中でも途中で腰を下ろすことが増えたが、庭のどの枝を残すかとなると透より口が回る。
「上、そこは花がつくから切らんといてな」
「去年も残しましたよ」
「去年は実が切ってしもた」
「俺、去年は帰るの遅うなったやろ。切ったん榊くんや」
「人のせいにせんとき」
透は脚立の二段目に足を掛けたまま、二人が言い合うのを聞いていた。門へ張り出す枝の切り口を指で確かめ、鋏を腰の鞘へ戻す。縁側の下には、古いこたつの脚が一本だけ新聞紙に包まれていた。今年も具合を見てほしいとハツから頼まれているが、先に道路側を片づけないと通行人に切り枝が当たる。
実は県外の倉庫で出荷を担当している。帰省のたび、荷ほどきも済まないうちに家具や建具を直し始める。今回も連休を取れなかったらしく、車の助手席には職場で使う鞄が載ったままだった。
「佳代には帰る言うたんか」
「夕方寄るって。かあちゃん、こたつはまだ早いか」
「早いわ。まだ窓開けとるやろ」
「なら脚だけ見とく。去年、仕舞うとき外したん誰や」
「実や」
実は苦笑して、箱を縁側の下へ滑らせた。角が板へ当たり、乾いた音がした。
手を伸ばしたまま実が膝を折ったので、透は最初、落ちたものを拾うのだと思った。箱の端に掛けられていた指が滑り、実の肩が庭石へ傾く。透は脚立から下りる途中で最後の段を飛ばし、鞘の鋏が石に触れないよう身体を捻った。
「竹岡さん!」
身体を支えると、実の重みが一度に掛かった。透は石の角へ頭が当たらないよう身体を引き寄せ、携帯電話を取り出した。通報先へ住所と庭で人が倒れたことを伝え、指示を聞きながら実の状態を確かめる。
窓の向こうでハツが椅子を倒した。
「実。実、どうしたんや」
「ハツさん、こっちへ出んでください。いま救急車を呼んでます」
ハツは窓枠に手をつき、息を切らしながら何度も息子の名を呼んだ。隣家から庭に入ってきた松井が台所へ回り、ハツを窓際から離して椅子へ座らせる。透は電話の指示に従って動き、実の肩を支えていた手を離した。
実の唇がかすかに動いたとき、透は呼び掛けをやめた。聞こえたものは、庭で交わした声と同じ低さだった。
「かあちゃん、こたつ、出しといて」
言い終わる前から、身体の内側へ別の声が落ちてきた。透は口を閉じ、電話口から次に届く指示を聞こうとした。実に向かって名前を呼ぶ声と、台所から響いていたハツの声が途切れ、遠くで車が止まる音がした。
救急隊が到着すると、透は事故が起きた順序と通報後の状況を説明して庭を空けた。救急隊員の後ろを追って家の中へ入ろうとしたところで、松井が勝手口から出てきた。
「ハツさん、こっちで横になっとる。息が苦しい言うから、診療所にも連絡した。榊くん、庭にいてくれたんやな」
「俺はここで待ちます。佳代さんには」
「今、呼んどる。あんたも怪我しとらんか」
透は足元を見た。右膝の作業着に土がついているが、歩くのに支障はなかった。松井は必要なことだけ聞くと台所へ戻った。透はハツと顔を合わせないよう庭の塀際へ下がり、搬送先を告げる救急隊員の声を書き留めた。
※
実を乗せた救急車が出たあと、松井はハツのそばに残った。呼吸が落ち着かないため、佳代が迎えに来たら診療所で診てもらう手はずになった。受診には、いつもの薬と保険証が必要だ。ハツは台所の引き出しを指さしたが、薬の袋が入っていたのは別の棚だった。松井は電話口の佳代へ場所を確かめながら、包みを一つずつ鞄へ入れた。
「わたしの眼鏡、持ったかね」
「ハツさん、眼鏡は今かけとるで」
「ほな、替えのやつ」
探しているあいだにも庭には透の道具が残っていた。松井が見かねて片づけようとすると、透は救急隊員から確認された内容を書いた手帳を閉じ、剪定鋏だけ拾い上げた。脚立を庭の奥へ倒し、枝を受けるために広げていた養生シートも塀際へ寄せる。今日はもう仕事を続けられない。
「あとで取りに来ます。いまはハツさんのことをお願いします」
「佳代がこっちへ向かっとる。榊さんも、ずっとおったらあかんよ」
透は頷いた。実が置いた段ボールは、縁側の下で片方の角が潰れていた。ハツに見える場所へ押し戻そうとして、手を止める。箱をどうするか決めるのは、この家の人だ。松井が呼ぶ声を聞き、透は裏の通路から門へ出た。
軽トラックの助手席には、朝買ってきた替えの鋸刃が未開封のまま置いてある。夕方の別の現場へ向かう途中、透は先に事情を電話で説明して日程を変えてもらった。客は黙って聞いたあと、植木なら一日や二日待てると言った。
透は救急車が門を離れた時刻と、松井がハツに付き添ったことをメモした。通報内容についてあとから聞かれたときのためだ。佳代が聞きたいのは兄の容体だろうが、搬送先で何が行われたかまでは透にもわからない。気になって自分から電話しかけ、佳代がいまどこへ向かっているかも知らないと気づいて番号を消した。
※
夕方、病院からの連絡を待っていた竹岡佳代が透へ電話を寄越した。母は診療所でしばらく様子を見てもらうことになり、兄は搬送先で死亡を確認されたという。
「庭の道具、そっちに置いたままでええです。今日は鍵閉めますから」
「すみません。作業は止めます」
「榊さん。兄は、何か言うてましたか」
透は机の端に置いた剪定の見積書を裏返した。
「一言、預かりました。お母さんへ宛てたものです」
「……母には、まだ知らせてません」
佳代の後ろで、硬いものを引きずる音がした。病院の廊下なのか自宅なのかはわからない。
「明日、話させてください。今夜は母のところへ戻らなあかんので」
「わかりました。俺から会いには行きません」
電話を切ったあと、透は軽トラックの荷台を開けた。今日使わなかった枝を縛る紐は積んであるが、脚立と養生シートは庭に残っている。助手席の未開封の替え刃を工具箱へ入れ、明日には取りに戻らないことを手帳に書き加えた。庭の戸は帰る前に松井と施錠を確かめてある。
見積書の作業予定欄には、明日の午後も竹岡家と書いてあった。透は日付を二本線で消し、伝票の裏に一日目と記した。




