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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第三章 戻らない鍵

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第19話 早瀬さん


 早瀬昭三は、食堂へ行く前に新聞の訃報欄を切り抜く習慣があった。知った名前を見つけたときだけ切るので、使うはさみは机の引き出しへしまったままの日が多い。この朝も刃を出さず、新聞を折り直した。


 施設へ来てから、朝の時間は決まっている。食事、薬、廊下を往復してから中庭の植木を見る。職員が運んできた車椅子の足置きを見て、取付けねじが緩んでいるのに気づくと、担当を呼んだ。


「そこ、増し締めしたほうがええ。端から出とる」

「ありがとうございます。整備の人に見てもらいますね」

「すぐ使うもんやろ。代わりのを出しといてや」


 昭三が言い終わる前に職員は予備の車椅子を押してきた。工場をやっていたころから、気になるものを見つけたら口を出さずにいられない。自分が使うものでもないのに、と言われることは増えたが、緩んだねじを見過ごす気にはならなかった。


 部屋へ戻ると、引き出しの奥から一枚の写真を出した。工場の入口で昭三と七人の従業員が並んでいる。端の背の高い男だけ、借り物の上着を着ていた。北野修一。まだ金属をうまく研磨できず、作業台の端を傷だらけにしたころの顔だ。


 北野から電話が来なくなって三週間ほど経つ。毎月一度はかけてくる男だった。用件がなくても、薬を飲めだの、墓の草が伸びとっただのと、年寄りにする注意だけは一人前だった。


 昭三は自分から電話しなかった。かければ、今度こそこっちへ来いと口にしそうだったからだ。北野にも仕事がある。以前、何か荷物を持っていくと言われたときも、預かる場所がないと断っていた。


 数日前、北野へ電話してみればいいと職員に言われ、昭三は番号なら持っとると答えた。実際、通話履歴にはいつも同じ番号が残っている。ただ、かけたところでまた墓地の草の話になるのかと思うと、受話器を取る気になれなかった。若いころ、自分の父親から返事の催促が来るのを嫌がっていたことを、こんなところで思い出すとは思わなかった。


 写真を引き出しへ戻したところで、職員が昼の献立を知らせに来た。昭三が魚の煮つけなら骨は自分で取れると言うと、職員は「今日は切り身です」と笑った。昭三は笑わなかったが、食堂で隣の席の人に味が濃いと文句を言い、結局、皿を空にした。


           ※


 同じ朝、便利堂では透が春日苑へ電話していた。


『こちらでは、入所されている方のお名前や面会の可否を、お電話でお答えできない決まりです』

「承知しています。昨日、常光寺から墓の相談でご連絡があったと思うんですが」

『お寺からのお電話についても、お答えは控えさせてください』

「榊便利堂の榊透と申します。早瀬昭三さんへ、ご本人が望まれるならお会いして伝えたいことがあります。俺の名前と連絡先を、可能なら渡していただけませんか」


 窓口の女性は、電話口では個別の対応を約束できないと繰り返した。透は無理を言わずに切った。春日苑がどこにあるかはわかっている。行ってみても、早瀬がそこにいないかもしれないし、いたとしても会ってもらえるとは限らない。


 千鶴が乾物屋の配達箱を持って店へ寄ったとき、透は請求書を三枚書き直していた。


「いつから字がそんなに雑になったんです」

「もともと、これくらいだよ」

「数字の七と一が同じです。お客さんに出せませんよ」


 千鶴は封筒をひっくり返し、白紙の裏へ書き直すよう渡した。透はそれを受け取り、午後の網戸引き取りについて客に日程変更を申し入れた。理由を細かく説明するとかえって相手が困るので、急用とだけ伝える。先方が夕方の配達へずらせると言ってくれた。


「車で二時間半かかるんだ。今日が六日目」

「今日はわたし、便利堂のシフトじゃないですよ」

「午後の店番、頼める? 時給はつける」

「乾物屋の配達は二時までですよ。先にうちの店へ言ってください」


 透は藤木家に電話し、配達後の二時間だけ千鶴を借りたいと頼んだ。千鶴が横で「借りるって言い方」と抗議したが、受話器の向こうの祖父は「ちゃんと給料出したれよ」と即答した。千鶴は二時になったら便利堂へ来る約束をして、配達へ戻った。


 往復で五時間の道を、仕事道具を積んだ軽トラックで走る必要はない。空いている代車があれば借りようと、透は航へ電話した。透が電話をすると、航は一度断り、去年こぼされた車内のコーヒーの話を持ち出した。


「今日は仕事だって。ガソリンは入れて返す」

『お前、その顔で運転するんか』

「電話なのに顔は見えないだろ」

『声がひどい。工場まで来い。俺が空いてる車見てやる』


 航は、事故の翌日に透が三時間しか眠らなかったことを聞いていた。引き渡された代車には、十分ほど休めるようにと母親が小さな水筒を置いていた。透は途中で一度サービスエリアに入り、冷たい水で顔を洗ってから出発した。


 朝の網戸の客から電話が入ったのは、その休憩中だった。今日は来なくていいと伝えたはずだが、古い網戸を片づけようとして枠を先に外してしまい、窓を閉められなくなったらしい。透は千鶴の都合を確かめてから、近所の建具屋の連絡先を教える。どの枠がどの窓のものか、テープを貼って置いておくようにも伝えた。電話を切ると、休憩用の水筒は空になっていた。


 春日苑へ着いたのは午後だった。受付の女性へ身分と目的を伝え、施設の中へは勝手に入らず、面会が可能か確認してもらえるか尋ねる。


「ご本人へ確認することはできます。ただ、いらっしゃるかどうかは、今はお答えできません」

「わかりました。もしお会いできなければ、名刺だけでも残させてください」


 女性は名刺を受け取り、待合の椅子を指した。透はそこへ座り、電話で伝えることも紙に書くこともできない言葉を、今日届けなければならないことを考えていた。


           ※


 昭三が昼寝をしていると、職員が控えめに戸を叩いた。臥雲町から榊便利堂の青年が来たと聞いて、昭三は眼鏡を掛け直した。


「榊? 先代の孫か」

「お知り合いですか」

「先代のじいさんには世話になった。窓の戸車が外れたとき、頼んでもないのに釘の具合まで見ていきよった」


 職員は本人の意思を確かめてから、面会室を使えるようにした。昭三は杖を選び、机の上の写真をいったん伏せる。誰が訪ねてきたのかはわからない。ただ、あの町から来たと聞くと、何も聞かず帰せと言う気にはなれなかった。


 透の待つ面会室は、中庭に面している。廊下側の引き戸は磨りガラスで、室内から先は見通せない。職員が「お会いになるそうです」とだけ告げたので、透は立ち上がった。廊下の向こうから、杖の先が床に当たる音が近づいてきた。


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