第18話 三つの位牌
常光寺の庫裏から、刈り込み鋏を研ぐ音が聞こえていた。透が玄関で声を掛けると、住職の白木隆源は手ぬぐいで手を拭きながら出てきた。
「草刈りなら先週、檀家さんが済ませてくれましたよ」
「今日は別の用です。位牌のことで、少し聞きたいんです」
白木は透の顔を見てから、本堂の縁側を指した。透が腰を下ろすと、住職は供花の束をほどき、傷んだ茎だけ選んで切り落とした。法事が重なる日に仕入れた花が余ると、寺では翌日の朝に使える分まで分けておくらしい。
「三つの位牌を車に積んで走る人って、いますか」
「お家を片づけるんでしたら、珍しくはないです。引っ越しの途中かもしれませんし、寺へ納めに行くところかもしれない」
「その人、事故で亡くなったんです」
白木が鋏を置いた。透は死亡記事に書かれていた範囲だけ説明した。事故車に位牌があったことは、レッカー作業をした友人が荷崩れを防ぐ際に見たと伝える。どこの家のものか、名前まではわからない。
「早瀬という方をご存じですか」
「ご存じでも、寺にある連絡先を勝手に出すことはできませんよ」
「はい。先にそれを言ってもらったほうが助かります」
白木は手ぬぐいを膝に置き、しばらく透を見ていた。それから、本堂の横の通路を指す。
「墓地なら、開いています。墓誌に彫ってある字は、来た方に読める場所です。勝手に石を動かさなければ」
透は礼を言って回廊を抜けた。墓地の奥にある早瀬家の墓は、隣の区画よりも草が短い。低いところだけが手で引き抜かれ、根についた土がまだ乾いていない。供花の容器には水が半分残り、線香の灰が薄く重なっていた。
墓誌には三人の名が彫られている。いちばん新しい命日は十六年前だった。事故車にあった位牌の数と一致したが、それだけだった。位牌には故人の名が記されているはずでも、航は中身を読んでいない。透は手帳に墓誌の日付を書き写し、草を踏まないよう通路へ戻った。
水場へ戻ると、掃除当番の女性が柄杓を洗っていた。脇には、抜いた草を詰めた袋が二つ置かれている。透が手を洗うあいだ、女性は長い柄のほうを仕舞い、残った短い柄杓を水桶へ立てた。先に通路を通っていいと言われ、透は袋を避けて横へ出る。女性は早瀬家の墓のほうを顎で示した。
「あそこの草、よう抜いてあるやろ。最近は誰が来るんか見てへんけどね」
「いつも同じ人ですか」
「わからんよ。石屋さんも来るし。お寺さんに訊けば」
女性は水道の蛇口を閉め、空の桶を重ねて持っていった。透は墓へ戻らず、庫裏の玄関で白木を呼んだ。
「先月、早瀬家の閉眼供養について、問い合わせはありましたか」
白木は予定帳を手にして戻ってきたが、すぐには開かなかった。相談した人の名や連絡先については答えられない。ただ、早瀬家の墓について正式な予約が入っているかどうかなら、住職の立場で言えるという。
「予約はありません。問い合わせはありましたよ」
「取りやめになったんですか」
「日程の候補を出したところで、連絡が止まりました。名前も、きちんと伺えなかった」
白木は予定帳の角を押さえたまま、思い出すように言葉を続けた。
「『早瀬さんが生きとるうちに、片づけてしまいたい』とおっしゃったんです。それで、ご本人の了承を取ってからもう一度お電話をと。そこまでの話でした」
透は墓地のほうを見た。相手が墓の所有者でも親族でもないとは、まだ決められない。だが、事故の男が電話した可能性はある。閉眼供養を済ませるつもりで三つの位牌を積んでいたのなら、何を返そうとしていたのだろう。
「その方に、俺から連絡できますか。事故に遭われた方かもしれません」
「折り返し用の番号はあります。ただ、用途が違う人へそのまま渡しては、こっちが困る」
寺に誰かから相談があったことと、こちらが相談者を探したいこととは違う。透がもう一度用件を説明しようとすると、白木は手で制した。電話の先が本人でなかった場合、事故に遭ったらしい人の話まで聞かせていい理由はない。住職は相談の続きについて話したいとだけ告げ、透の名前は相手に確認されるまで出さなかった。
白木は透を待たせ、寺の電話から問い合わせの番号へかけた。呼び出しが終わると、女性が出たらしい。住職は名乗ってから、「先月こちらへ閉眼供養の相談をなさった方に、ご確認いただきたいことがある」と伝えた。透に聞こえるのは白木の声だけだった。
「……はい。わかりました。ご本人の了承が得られなければ、こちらにもお知らせいただかなくて結構です」
電話を置くと、白木は寺の帳場から別の紙を取ってきた。公開されている高齢者施設「春日苑」の代表番号だった。折り返し先として残されていた番号と同じだが、施設の誰が相談をしたのか、寺では確認できていないという。
「私からは、墓の相談について取り次いでもらえるかとお願いしました。先方が伝えるかどうかは、向こうの判断です」
「俺がかけても、入所してる人のことは教えてもらえませんよね」
「名前を聞き出しに行くなら、そうでしょう。あんたが何を渡したいか、先に考えたほうがいい」
透は番号の載った施設案内を受け取り、自分の手帳には寺から教わった公開情報だと書いた。七日間のうち、今日は五日目。早瀬という人が本当にそこにいるか確かめるためだけに、他人の立場を借りることはできない。
白木は透を見送ってから、午後の法事の準備へ戻った。供花を飾り直すと、檀家の女性が廊下に忘れた日傘を取りに来た。先ほどの早瀬家の墓を誰が手入れしているか、また尋ねられたが、住職はその人の知らないことを自分も知らないと答えた。寺に来る人の事情は、花の注文のついでに話すものでもない。
翌日の法要で使う座布団を出してみると、一枚の縫い目が大きくほつれていた。白木は庫裏へ運んだが、裁縫箱には糸が三色しか残っていない。自分で直すには色が合わず、近所の店はもう昼休みに入っている。白木は縫わずに別の座布団へ取り替え、ほつれた一枚だけ店へ持って行くことにした。寺の電話が再び鳴ったのは、それからだった。今度は明日の法要に出る人から、駐車場の場所を訊かれる電話だった。
透は車を出す前に、春日苑の公式案内に載った所在地を確かめた。町の外で、高速道路を使っても二時間半ほどかかる。明日の仕事をどう動かすか、先に予定表を確認して客へ電話しなければならなかった。




