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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第三章 戻らない鍵

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第17話 七人の鉄工所


「古い契約書を見せることはできません」


 漁協の窓口で、宮下正巳は透の用件を最後まで聞いてから断った。視線を向けた先には、水揚げの数字を記したホワイトボードがあり、消し残した昨日の値段の上から今朝の相場が書き足されている。


「名前だけでも、とは言わんでくださいね。倉庫を借りていた会社といっても、うちが勝手に教えられるもんではありません」

「わかりました。窓口、教えてもらってありがとうございます」


 透が頭を下げると、横で待っていた千鶴が身を乗り出した。


「じゃあ、今ある看板のことならいいですか。三番の、鍵穴の横に古い跡があるんですけど」

「今の設備のことは管理担当に聞いて。わしが見に行く時間はないよ」


 正巳は電話を取った。魚の集荷時間を間違えた船が一隻あり、保冷庫の空きが足りないらしい。透は千鶴を連れていったん外へ出た。


「訊くなって、言うとったのに」と千鶴が言った。

「契約者を直接訊かないつもりだった」

「私が余計なこと訊いた?」

「いや。担当が違うってわかっただけだ」


 駐車場の端で、千鶴はスマートフォンの画面を透へ向けた。昨夜、自分で検索した古い地域の企業紹介が残っている。早瀬鉄工所。所在地は港の外れ、仕事は船舶用の金物加工。十六年前に更新が止まっており、従業員は七名とあった。


「じいちゃんに見せたら、早瀬って名字は聞いたことあるって。けど、昔の帳簿持ってこいとか言い出すから止めました」

「ありがとう。でも会社が同じかはまだ」

「はいはい。三番の鍵と、早瀬さんと、早瀬鉄工。偶然の可能性も残ってます」


 千鶴は少し腹を立てた言い方をした。透は気づかないふりをして、企業紹介の公開部分を手帳へ書き写す。千鶴には午後、乾物の配達がある。付き合わせるために便利堂の勤務日へ振り替えるつもりはなかった。


 昼の取引が落ち着くのを待って、透はもう一度漁協へ寄った。正巳はカウンターの奥で数字を打ち直していた。こちらを見ると、自分から外のベンチを指した。


「さっきは言い方がきつかったな。古い会社の話なら、わしが覚えとることくらいは話せる」

「仕事の邪魔でしたか」

「まだ終わっとらん。でも午後の船が入る前なら五分はある。あんた、早瀬鉄工を調べとるんやろ」


 正巳は以前、造船所の下請けが使う資材を港へ運ぶ仕事をしていた。その中に早瀬鉄工があったという。三番を借りていたかは、台帳を確認せず自分の記憶だけで断言できない。だが、倉庫代を払いに来る若い従業員のことは覚えていた。


「社長は早瀬昭三さん。本人は溶接機の前から離れん人やった。集金には背の高い若いのが来た。封筒をまっすぐ置く男でな、こっちが釣りを返すまで席を立たんかった」

「名前は?」

「そこが出てこん。昭三さんも、工場が閉まったあと町を出たよ」

「いつ閉まったんですか」

「造船所からの注文が止まった年。十五年になるか。うちも、そのころ倉庫を片づけるのに忙しゅうて」


 正巳の携帯電話が鳴った。水揚げを終えた船から、氷が足りないという連絡だ。通話を切ると、正巳は立ち上がった。


「ここまでや。昭三さんの今の住所は知らんし、うちに残っとる個人の資料も出せん。探すなら、公開されとる社史か何かを当たってくれ」

「十分です。ありがとうございました」

「若いの、今は乾物屋なんやって?」

「千鶴ですか。藤木さんのところの孫です」

「質問が多い。あの爺さんに似とるな」


 透は返事を決めかねて、頭を下げた。正巳はもう魚箱の数を指で数えている。早瀬という名を聞き出すのに成功した気持ちにはなれなかった。相手のいなくなった会社を、正巳はまだ仕事の順番として覚えていた。


 入口の外で、仲買人が荷札の金額について抗議していた。正巳は窓口へ戻るなり相手の伝票と当日の板書を付き合わせ、事務員の計算が一桁違っていたことに気づいた。透に話した昔の倉庫のことをもう一度訊こうとする余地はなかった。


           ※


 正巳は午後の漁船が入る前に、新人へ氷の補充を頼んだ。新人は冷蔵庫の通路へ箱を置きかけ、正巳から二度目の注意を受ける。濡れた床で台車の車輪が滑れば、人にも魚にも傷がつくからだ。


「宮下さん。さっきの便利屋、亡くなった人のことを訊きに来たんですよね」

「そうらしいな」

「昔の会社なら、何か探してあげてもよかったんじゃ」

「手伝うと、他人の名簿を渡すのは別や」


 新人は納得しきらないまま氷を運びに行った。正巳自身、棚の上の灰色のファイルを見れば、覚えていない名前が載っているかもしれないとは思う。ただ、水に濡れて読めなくなった頁と、事務所が今も責任を持って保管している頁が混在している。昨日まで倉庫を借りていた人間の住所を、事故があったからといって見知らぬ便利屋へ教えるわけにはいかなかった。


 それでも、透に話した若い従業員のことは引っかかった。正巳は造船所が閉まる前の入港記録を確かめる仕事を終えたあと、倉庫の古い案内板を掃除した。今の番号札の隅には、昔の塗料がわずかに残っている。青い塗料を見て、若い男が鍵束に付けていた割れた札を思い出した。


 夕方、家の買い物を頼まれていたことに気づいたのは、事務所を施錠してからだった。買い物袋を下げて店へ向かう途中、正巳は名前を思い出そうとした。封筒を出していたあの男は、最後まで「早瀬さんからです」としか名乗らなかった。思い出せないものは思い出せない。帰りに誰かへ噂を聞くのも、今はしたくなかった。


           ※


 同じころ、透が便利堂で網戸の枠を積み直していると、航から電話が入った。工具の音が途切れないので、向こうは仕事の合間らしい。


『昨日の白い車、警察が今日また来たんだけどさ』

「車体のこと?」

『そう。保管先を変えるかって話。あの後部座席の箱、最初に荷崩れしないよう留めたとき、蓋がずれて中が見えたんだ』


 透は事故の夜、紐で留められた段ボールを思い出した。


『黒い位牌。三つあった。警察が引き取っていったから今はうちにないよ』

「数、間違えてない?」

『三つ。仏具だとは思ったけど、誰のかは見てない。読める位置じゃなかったしな』


 透は礼を言って電話を切った。積みかけていた網戸の縁から古い押さえゴムが垂れている。運搬中に外れないようガムテープで固定し、明日、常光寺の開門時刻を確認するためのメモを作業台の端へ置いた。


 そのとき、千鶴から「配達が遅れたので便利堂へ寄れません」と連絡が入った。透は「わかった」とだけ返し、積みかけた網戸を先に客の家へ運んだ。常光寺に寄るのは、翌朝にした。


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