第16話 三番の鍵
千鶴が便利堂の裏口を開けるなり、透の軽トラックを指さした。
「うちのじいちゃん、あの車のこと見たって。県道の事故、透さんもおったんですね」
「近くで止めた。ぶつけてないよ」
「そこから心配してるわけじゃないです。新聞にも載ってましたよ」
透は網戸の押さえゴムを切り、余りを箱へ戻した。昨夜、ニュースで見た男性死亡の一文が頭に残っている。宛先の名字しか知らず、相手が町に住んでいる保証もない。
「仕事が終わったら、藤木さんに会えるか」
「じいちゃんですか。午前は干物の集荷に出てるけど、三時なら店におると思います」
「この絵、見てもらいたい」
透が手帳を開くと、千鶴は鍵の形を見て首を傾げた。角の欠けた札には三と書いてある。先に事故車のことを説明しかけた透を、千鶴が遮った。
「じいちゃん、言いたいこと先にしゃべり出すから、こっちが質問考えといたほうがいいですよ。倉庫の鍵なら、まず鍵だけ見せたらどうです?」
そう言いながら、彼女は電話で集荷の時間を確かめた。今日は千鶴の便利堂の勤務日ではない。実家の伝票を終わらせるまでは、透の調査に付き合うつもりもないらしい。
昼前、透は役場の公開資料窓口へ行った。楓が窓口の内側で別の来庁者の書類を受け取っているのを見つけたが、声は掛けない。番号札を取って待っていると、彼女の同僚が公開閲覧できる古い港湾施設図の一覧を出してくれた。
「漁協が借りている倉庫の利用者名は、こちらにはありません」と担当者が言った。
「番号と建物の位置がわかれば十分です」
「複写は、この用紙へ利用目的を書いてください」
必要な欄だけ埋めていると、楓が後ろから近づいてきた。
「透さん、ここでしたか。昨日の事故、大丈夫だったんですか」
「俺は怪我してない。そっちは仕事中だろ」
「ええ。だから、この資料の窓口は今、向こうの職員です。終わってから話します?」
透が頷くと、楓は別の人に呼ばれて戻った。待ち合わせは閉庁後ではなく、彼女の昼休みの最後の十分だけになった。透には午後から別の家の水道修理がある。
透は残りの欄を埋めて複写申請書を提出した。案内された複写機には、利用する紙の大きさごとに料金が書かれている。図面全体を大きく印刷するか迷ったが、倉庫の番号と通路が読めれば十分なので、窓口で勧められた大きさにした。配布用の説明書も一枚受け取り、裏へ相談窓口の営業時間を写す。
役場の外の自販機前で、楓は缶の麦茶を買った。
「預かった言葉ですか」
「うん。早瀬って人へ。事故の男とは面識がない」
「亡くなった方の名前は?」
「警察からは聞いてない」
「役場で調べろとは言わないでくださいね」
「それを頼みに来たんじゃない。倉庫の位置が知りたかった」
楓は缶のプルタブを開け、複写した配置図へ目を落とした。倉庫は八棟あり、図面に書かれているのは番号と通路の幅だけだった。
「それなら港の窓口でも見られます。借主が誰だったかは別の話ですけど」
「鍵の札、三って読めた」
「三番だからって、倉庫の三番とは限りませんよ」
透は手帳を閉じた。いま複写した図面には倉庫の位置しか載っておらず、鍵の形はわからない。
「期限は?」と楓が聞く。
「三日目。今日も数えて、あと四日」
「三日もある、とは思えないですよね」
「いつも、最後は足りなくなる」
休憩の終わりを知らせる職員用のチャイムが鳴った。楓は空き缶を分別箱へ入れ、午後の予定を確かめながら役場へ戻った。透も自分の車へ乗り込んだ。
藤木家の乾物屋へ着いたのは、水道修理のあとだった。店の裏では、大きな段ボールの口を開けたまま、千鶴が納品書の枚数を数えている。祖父は軽トラックから降ろした干物の箱を奥へ運んでいた。
表の売り場では、冷房を入れるためにいつも半分開けている引き戸が閉められていた。千鶴は配達用の車を先に出さないと、客が来ても駐車できないからと、透を奥へ回した。箱の数が合わなければ祖父がまた取りに戻ることになる。透はその仕事が片づくまで、乾物の値札を丸め直すのを手伝った。
「これ、わかりますか」
透が絵を見せると、老人は眼鏡を掛け直して、札の角を指で押さえた。
「この割れ方でわかるとは言えんけど、港の共同倉庫によう似とるな。昔は番号ごとにこういう札を付けとった」
「三番もありました?」
「一から八まであるわ。今は鍵も違うがな」
「いつ頃から?」
「十五年前や。水かぶって錠前が駄目になったとき、まとめて替えた」
千鶴が手を止めた。
「水かぶったって、台風?」
「高潮。お前が小さいころや」
「三番だけ、何かあったん?」
「八つ全部や。台風のたびに水の話するのも疲れるわ。そこにある納品書、先に持ってこい」
老人はそれ以上鍵について話そうとしなかった。透も訊かなかった。港が水をかぶった年については、立花家から引き取った新聞の束にも見出しがあった。あれは棚の下に結んだまま置いてある。ただし、見出しが同じ十五年前を指すからといって、男の鍵がその年まで使われていた証拠にはならない。
祖父が配達へ出る準備をすると、千鶴は手帳の絵を透から借り、別の紙へ写した。自分の鉛筆で描いた札は、いつの間にか角が丸くなっている。「ほら、見ながら描いても変わる」と千鶴が笑った。透は元の手帳を返してもらい、現物を見たときの自信がない部分に印を付けた。
千鶴は祖父の代わりに箱を奥へ運び、戻ると手を拭きながら言った。
「三番まで行くんですか。閉まる前なら、わたしも配達のついでに寄れますよ」
「いや、今日は一人でいい。持ち主の名前まで訊かないし」
「じゃあ、行ったら看板の写真くらい撮っといてください。今度、じいちゃんに見せるんで」
港へ下る道には、帰港した漁船の網を乾かす人がいた。共同倉庫は同じ大きさの建物が八つ並び、三番には新しい錠前が付いている。透は番号札の横にある、以前の鍵穴を埋めた金属板を離れた場所から見た。古いねじ穴が二つ残っているが、今の錠前は横へ少しずらして取り付けられていた。
倉庫の事務所には閉館時刻が貼られていた。透が窓口で明日の受付方法を尋ねると、契約の照会は漁協の担当へ申し出てほしいと言われる。古い名簿は個人の調べものには公開しない、とも。
透はその場で粘らず、貼り出された一般向け案内だけを写真に撮った。シャッターの前では作業を終えた男が魚箱を台車へ積んでいる。透が通り道を塞がないよう移動すると、男は「車、そこに停めたらすぐ出せんぞ」と声を掛けた。まず車をどけてから、透は港を後にした。
便利堂に戻るころ、千鶴から「じいちゃんが、札の色は昔は青かったと言い出しました」と連絡が来た。透は手帳の絵に色を足さなかった。事故車で見た札が何色だったか、覚えていない。




