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預かり屋 榊便利堂 ~死に際の想いのこもった最期の一言を届ける裏稼業~   作者: MIYA
第二章 あの子

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第10話 ごめんね

 夕方、川辺から呼び出しがあり、透は診療所へ戻った。


 立花トキの病室には、午前中にはなかった折り畳み椅子が二つ置かれていた。康夫と兄がベッドの両側に座っている。扉の前で足を止めると、トキが先に気づいた。


「榊さん。入ってきなさい。あんたを呼んだんですよ」

「ご家族がいらっしゃるので、廊下で待ちます」

「息子二人、もう何時間もここにおる。交代で見に来るほうが落ち着きますわ」


 康夫が椅子を一つ空け、兄は立ち上がって川辺に面会のことを確かめに行った。本人も家族も透の同席を望んでいると確認した川辺は、体調に変化があったらすぐ呼んでほしいと言って廊下へ戻った。


「母さん、昨日まで仕事休むなって言うとったのに」

「今日は私が休みや。あんたらの仕事は、明日になっても残っとる」

「それはそうやけど」


 トキは康夫のネクタイを指で示した。昼から同じ結び目のままなので、少しほどいて首を休めたらどうかという。康夫が緩めると、今度は寒くないかと訊き始めた。


 透は窓際へ椅子を移した。朝、新聞で相撲の話をしていた声は少し細くなっていたが、トキの目は部屋にいる人を順番に追っている。枕元の新聞を康夫が棚へ移そうとすると、トキはすぐに戻させた。


「新聞なら明日、新しいの買うよ」

「まだ全部読んでません」

「昨日のやで」

「昨日の分が終わってから今日の分や」


 康夫は折り目をつけ直した新聞を枕のそばへ置いた。透が水を飲むよう促すと、トキはひと口だけ飲み、蓋を閉めるまで自分で済ませた。


           ※


 夜、透は一度、廊下の電話から便利堂へ連絡した。店の戸締まりは済んでいたが、明日の網戸引き取りを延期してもらう必要がある。千鶴は実家の乾物屋におり、電話の向こうから荷造りの音が聞こえた。


『網戸なら、お客さんに明日の朝電話します。先週の分の領収書、まだ机の上ですよね』

「右側の封筒にまとめた」

『右って、引き出しの右? 机の右?』

「悪い。明日、俺が確認する」

『はい。じゃあ立花さんのほう、気をつけて』


 戻ると、康夫の兄が廊下の自動販売機から温かいお茶を買ってきていた。三本のうち一本を透へ差し出し、夜明けまでここにいるなら飲んでおいてほしいと言う。透は代金を払おうとしたが、兄は財布を出させなかった。


 病室では、トキが布団の端を引っ張っている。寒いのかと康夫が訊くと、足のほうだけ出してほしいのだと言った。手伝おうとする息子の手を払ったあと、自分で布団を折るだけの力はなく、結局、康夫に足元を直させる。


「さっきから、すること全部怒られとる気がするわ」

「私が頼んだことをすればええの。勝手にやるからや」


 康夫は、母が飲みやすい位置へ水差しを戻した。透には、二人のやり取りに割り込む用事がなかった。新聞が床へ落ちたときだけ拾い、トキが指定した棚の端へ置いた。


 午前零時を過ぎたころ、看護師が来て呼吸と脈を確かめた。兄は明日の葬儀社への連絡先を調べようとしていたが、川辺にまだ急いで決めなくてよいと声を掛けられ、手帳を閉じた。康夫は交代で休むと約束したものの、廊下の長椅子へ移るまで何度も部屋を振り返っていた。


 透も一度帰宅を申し出た。トキは返事の代わりに、病室の壁の時計を指した。


「止まったら、電池を替えてくださいね」

「止まったら、ですね」

「うちの家のも、よう止まるんです。昔、源三が気づかんふりしておって」


 夫の名を出したあと、トキは口を閉じた。壁の時計は進んでいる。透は帰るのをやめ、廊下側の丸椅子に座り直した。


           ※


 夜中の二時ごろ、トキが目を開けて透を呼んだ。


 康夫は廊下で仮眠を取り、兄がベッドの反対側にいた。透が近づくと、トキは自分の手元を見せるように、掛け布団の上へ片手を出した。


「うちの人は、謝らん人でした。悪いと思うたら先に鍋を洗って、何もなかった顔をしてご飯食べる」

「立花さんは、そういうの嫌だったんですか」

「腹が立つでしょう。こっちは何に怒っとったか、忘れたわけやないのに」


 兄が母の話を聞いて笑いかけたが、トキは息を整えるため、しばらく天井を見ていた。透は家の時計を持っていないかと聞こうとして、やめた。夫が預けた言葉の内容は、祖父の帳面に残っていない。いまトキが何を思い出しているのか、仕事として訊き出す理由もなかった。


「私も、片づけたつもりにしてきたことが、あるんです」


 トキはそこまで言うと、目を閉じた。眠ったのかと思ったが、しばらくして薄く開け、今度は看護師を呼んでほしいと言った。透は呼出ボタンを押し、処置のあいだ廊下へ出た。


 川辺は出てくると、家族を呼び戻して構わないと伝えた。兄が康夫を起こしに行き、透は自動販売機の前で二人とすれ違った。康夫はまだ寝ぼけていたのか、着替えに使うつもりのシャツを鞄から半分引き出したまま病室へ急いだ。


 夜明け前、窓の外が少しずつ明るくなった。透が病室へ戻ると、トキは起きており、康夫の肩へ手を伸ばしかけていた。


「そのシャツ、皺になるよ」

「もうええから。あとで直す」


 兄が椅子を少し引いた。トキは二人を見てから、透へ視線を移した。透はベッドへ近づき、呼吸が落ち着くまで待った。


「榊さん」

「はい」


 トキの唇が動いた。耳に届いた声は小さかったが、透の身体の内へ、別の人が話すように言葉が入ってくる。


「ごめんね。あんたのこと、よう見てやれんかった」


 透はベッドの柵へ指を掛けた。トキの手が布団の上へ落ち、康夫が名前を呼んだ。川辺がすぐに来て、兄に医師を呼んでくるよう頼んだ。透は二歩下がり、処置の邪魔にならない場所で待った。


 死亡が確認されたのは、日が昇りきる前だった。


 康夫は母の新聞を折って鞄へしまおうとしたが、途中で手を止め、読みかけだった紙面を枕元へ戻した。兄が親戚へ電話を掛けに廊下へ出る。透は川辺に礼を言い、荷物をまとめた。


 待合で康夫に追いつかれた。


「榊さん、母さん、最後に何か言うとりましたか」

「俺には、頼まれた仕事があります。ただ、どなたへのものか、まだ分からなくて」

「そうですか。母さん、僕らには教えてくれんかったんです」


 康夫は下がりかけた眼鏡を押し上げ、ポケットから携帯を取り出した。葬儀社の番号を探しているらしい。透は言葉を預かったことだけを伝えて、余計な相手の名前を口にしなかった。


 外へ出ると、軽トラックのフロントガラスに朝露が残っていた。千鶴から、網戸の依頼先へ電話を済ませたという短い連絡が入っている。透は運転席で返信し、今日の訪問予定を一つ取り消した。


 透は携帯のメモに「立花家・写真」とだけ入力した。仕事の連絡先には康夫の番号が残っている。葬儀の段取りが少し落ち着いたところで話を聞こうと決め、車を出した。


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