↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の悪口が尽きたら、二人で何を話すの?  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/8

第3話

 三日たっても、あの平たい石は外套のポケットに入ったままだった。指で触れるたび、対岸を狙ったくせに足元でどぼんとやったヤーノを思い出す。あの人の石が一度でも跳ねたら、どんな顔をするだろう。

 焼き菓子を二つ、籠に詰めた。石を洗う布も一枚、畳んで入れた。彼がいなければ一人で投げて帰ればいい。そう思いながら、わざわざ役場の仕事が引ける頃を見計らって川原へ降りた。

 砂利浜の先で、ヤーノが杭に腰掛けて靴の砂を払っていた。来てよかった、と思わず足が速くなったところで、向こうが顔を上げた。

「また石投げか?」

「菓子が余ったんです」

「それはどうも」

 包みを開けたら、二つとも別々の紙でくるんであるのがばれてしまう。私は蓋をしたまま、籠を石積みの上に載せた。

「あれから練習したんですか」

「したよ。ちっとも跳ねないけど、よさそうな石は見分けられるようになった。ほら」

 差し出されたのは、親指のかかりがよくて、両面がとびきり平らな石だった。ポケットから出しかけた私の石はしまって、彼の選んだのを川面すれすれに滑らせた。五回跳ねて、葦の生え際で水に潜った。

「五回! 私、これだけ飛んだの久しぶり」

「じゃあ俺も」

 同じような石を、彼が思いっきり振り抜いた。石は手前の泥に刺さった。

 私のスカートの裾に細かな泥が飛んだ。いちばん大きな一滴は、投げた本人の鼻に載っていた。

「すまん、服が」

 ヤーノは袖で私の裾を拭こうとして、もっと派手に泥をかぶった自分の袖に気づいた。そのまま腕を浮かせて途方に暮れている。鼻の一滴まで、こちらに向かって律儀にお辞儀をした。

 笑いをこらえたら膝に力が入らなくなった。しゃがみ込んで籠から布を出し、彼に渡した。

「まず、その鼻」

「鼻?」

 拭いてみて、ようやくヤーノも笑った。

「おかしいな。腕はお前と同じ高さだったぞ」

「私、あの泥を狙えと言いました?」

「石が勝手に曲がったんだ」

「石のせいにしないでください!」

 言いながら、また笑ってしまった。


 菓子を開けると、大きいほうを彼が私に寄せた。そっちはあなたに食べてもらおうと選んだのよ、と言えば、余ったというのが嘘になる。黙って取り替えた。彼のほうでも黙って大きいのを齧った。

「私ね、形の変な石を拾うのが好きなの」

 口に出してから、しまった、と思った。けれど隣の人は菓子を飲み込むのに忙しく、続きを急かしもしなかった。

「じゃがいもみたいに歪んだのとか、鼻が出てるのとか。持って帰って、炭と絵の具で顔を描くの。不機嫌そうな石でも、眉をちょっと上げると、急に困った顔になるのよ」

 マレクにも、石の顔はひとつも見せたことがない。いつも取っ手の壊れた戸棚に並べていた。あれなら私しか開け方を知らない。

「俺みたいな顔のは、あるか」

「ええ。ひとつだけ、あなたによく似た仏頂面のが。今度持ってきてあげます」

「仏頂面か」

「そんな顔」

 指で教えてやると、ヤーノはなおさら眉を寄せた。鼻の頭に泥が残っている。下描きなんかしなくても、今夜のうちならあの顔が描けそうだった。

 帰るとき、彼は菓子の包み紙を二枚ともきれいに畳んで返してくれた。

「ごちそうさん。俺のほう、大きかったな」

 気づかないふりで食べてくれていたのか。私はもう、余っただけだとは言わなかった。



 その晩、ニナは川役場裏の長屋で蕪の煮込みをよそっていた。

 マレクの部屋を訪ねるのは初めてではなかったが、二人きりで食卓につくのは初めてだった。壁の空いた釘に自分のショールを掛けると、彼の仕事着が半分かぶさった。こういうのが見たかったのだと、ニナは鍋に向かってちょっと笑った。

「いい匂いだな。残りは明日の朝、食ってもいいか」

「どうぞ。朝の分は鍋の底を焦がさないでよ。ヒルカみたいに」

 一緒に笑うつもりで言ったが、マレクはもう匙を口へ運んでいた。

「そういえば去年、ヒルカが砂糖と塩を間違えて林檎のパイを焼いてさ」

「それ、話したの私よ。あなた、その場にいなかったでしょ」

 思ったより素っ気ない声が出た。ニナは笑ってやり直した。

「ねえ、私たちの話をしましょうよ。私、冬にはマルタと店を持てるかもしれないの。ほら、この通りの、今は桶屋が倉にしてるところ。表に窓が二つ並んでるでしょう」

 店先の布に並べて縫う二人の名を、もう端切れに何通りも刺してみた。マレクの上着もそこで仕立ててやりたい。

「あそこは日当たりがいいな。詰所から帰るとき、窓が二枚ともきらきら光ってる」

「手元が明るいと、黒い生地でも縫いやすいの。開いたら、来てね」

「ああ。船納めの頃なら、読み役の手当も出る」

 そこで会話が途切れた。ニナは湯気の消えた鍋から自分の皿に蕪を足した。もうお腹はいっぱいだった。

「今年も桟橋で口上を読むの? また一番前で聞くわ」

 川組は毎年、船納めから春の川開きまで、寄り合いの手紙や挨拶を代読する者を一人選ぶ。最初の大仕事は、舟を下りる船頭の口上だ。大勢の前では照れくさい、字を書くのは苦手だという人たちの話を聞いて書き留めておき、当日、桟橋で読み上げる。遠くの舟にまで聞こえるマレクの声は、あの役によく似合った。

 返事の代わりに、彼は左の親指の爪際をむしり始めた。役場で小言を食うとこうなるんだ、と教えてくれたことがある。そのときは余った布を巻いてやった。

「今日も、何か言われたの?」

「カレルがな。親父さんの口上を俺が酒場で喋ったって、朝からうるさいんだ」

「喋ったの?」

「どうせ本番でみんなが聞くのにさ。もういいだろ、飯を食おう」

 マレクは左手を卓の下に隠した。ポケットに麻の端切れが入っている。手を出してよと頼めば、前みたいに巻いてやれるのに。ニナの口から出たのは別の言葉だった。

「水門では威勢がいいのにね。そんなにカレルが怖いの、指をいじめるほど?」

「お前、人の悪口ばっかりだな」

 マレクは匙を置いた。

「……なによ、それ。あなたがヒルカの話をしてたとき、私が一緒に笑うと、あんなに喜んでたじゃない!」

「あれは笑い話だろ」

「じゃあさっき、私が言ったのもそうよ。どうして笑わないの?」

 隣の部屋で子どもが咳をした。いつもの酒場なら、どちらかが黙っても誰かがおどけてくれた。ここには椅子が二つしかない。

 ニナは残った煮込みを朝の分の小鍋に移した。この人の朝御飯を作るのは、ずっと羨ましかったことなのに。

「明日も来る?」

 訊いたマレクの声は急に頼りなかった。ニナはつい、うなずいてしまった。ショールを取ると、からし色の毛糸に釘の錆がついていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。