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『処刑待ち令嬢と死んだはずの王子の事件簿』 ~殿下、あなたを殺した犯人は私らしいです~  作者: 余白 ことの


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2/5

第一話 死んだはずの婚約者が会いにきた

アレクシスが死んだ。


 ほんの少し前まで、エレノアの隣で笑っていた人が。


「――殿下の体内から、毒物が検出されました」


 医師の言葉が、大広間に重く落ちた。


「……毒?」


 誰かの呟きが聞こえた。


 けれど、エレノアは何も言えなかった。


 視線の先には、床へ落ちて砕けた白磁のカップがある。


 アレクシスが最後に口にしたのは、紅茶だった。


 エレノアが選び、彼へ贈った茶葉で淹れられたものだ。


「殿下がお口にされたものを、すべて調べろ。茶器もだ。何ひとつ動かすな」


 命令が飛び、人々が慌ただしく動き始める。


 卒業を祝うための晩餐会は、一瞬にして王族殺害の現場へ変わっていた。


(待って)


 エレノアは混乱する頭を、無理やり動かした。


 アレクシスは毒を飲んだ。


 いつ、何から?


 最後に口にしたのは紅茶だ。けれど、紅茶が原因だと決まったわけではない。


 食事かもしれない。砂糖かもしれない。それより前に口にした何かかもしれない。


 仮に紅茶だったとしても――。


(私は、毒なんて入れていない)


 それだけは絶対だった。


 ならば、誰かが入れた。


 茶葉を買ったあとか。屋敷で保管していた間か。王宮へ届ける途中か。それとも、王宮へ届いてから?


 考えろ。


 思い出せ。


 自分以外に、誰があの茶葉へ触れられた?


「ローゼンベルク公爵令嬢」


 突然呼ばれ、エレノアは顔を上げた。


「……はい」


「少々、お話を伺っても?」


 そこに立っていたのは、王宮の役人だった。その後ろには衛兵がいる。


 エレノアは一瞬だけ戸惑い、それから頷いた。


「もちろんです」


 アレクシスに何が起きたのか知りたい。


 自分に答えられることなら、何でも答えるつもりだった。


 このときはまだ、自分が何のために質問されるのか分かっていなかった。


 ◇ ◇ ◇


「殿下へ茶葉を贈られたのは、あなたですね?」


「はい」


 王宮の応接室。


 エレノアの向かいには、先ほどの役人が座っている。扉の前には衛兵が二人。


 すでにいくつもの質問をされていた。


 茶葉を買った店。購入した時期。屋敷へ持ち帰ったあと、どこで保管していたのか。誰が王宮へ届けたのか。


 分かる限り、すべて答えた。


「購入したのは、二月ほど前です。アレクシス様のお好みに合うものをと思い、わたくし自身で選びました」


「購入後、茶葉へ何かを加えましたか?」


「いいえ」


「贈るまでの間、他の者が触れることは?」


「……あったと思います」


「思います?」


「わたくしが常に茶葉を持ち歩いていたわけではございませんから。屋敷では使用人が保管しておりましたし、王宮へ届けたのもわたくし自身ではありません」


 答えながら、エレノアは違和感を覚えた。


 なぜ、こんなにも茶葉のことばかり聞かれる?


「紅茶から、何か見つかったのですか?」


 役人の筆が止まった。


「現在、調査中です」


「では、なぜ――」


 扉が開いた。


 別の役人が入ってくると、何かを耳打ちする。話を聞いた男の表情が、わずかに変わった。


 その変化を、エレノアは見逃さなかった。


「何が見つかったのですか」


「…………」


「教えてください」


 役人はしばらく黙っていたが、やがて手元の書類を置いた。


「殿下のお部屋に保管されていた茶葉を調べました」


 胸がざわついた。


「……はい」


「毒物が検出されました」


「……え?」


 意味を理解するまでに、数秒かかった。


「殿下の体内から検出されたものと、同じ種類です」


 アレクシスの身体から毒が出た。


 そして、自分が贈った茶葉からも同じ毒が出た。


「……待ってください」


 エレノアは思わず身を乗り出した。


「わたくしは入れておりません」


「令嬢」


「本当です。茶葉に毒など入れていません」


「落ち着いてください」


「ですが――」


「あなたが犯人だと決まったわけではありません」


 エレノアは口を閉じた。


 そうだ。


 決まったわけではない。


 自分が入れていないのだから、他の誰かが入れた可能性がある。それを調べればいい。


「ですから、茶葉がどのような経路で殿下の手元へ渡ったのかも調査します」


「……はい」


「そのうえで、もう一つ確認させてください」


「なんでしょう」


「あなたは以前、殿下との婚約解消を望まれていたそうですね」


「…………はい?」


 思わず間の抜けた声が出た。


「事実ですか?」


「……事実では、ありますが」


「理由を伺っても?」


(十三年前の話なんですけど!?)


 五歳。


 まだ五歳である。


 もちろんエレノアにとっては、前世の記憶を取り戻して人生最大級の危機に陥った重要な出来事だった。


 しかし、まさか十八歳になった今、王族殺害事件の事情聴取で掘り返されるとは思わなかった。


「幼い頃のことです。当時は婚約というものをよく理解しておらず、不安になっただけです」


「その後も、殿下とは一定の距離を置いていた?」


「……それは」


 否定できない。


 むしろ積極的に避けていた。


 攻略対象へ近づかない。ヒロインの恋路を邪魔しない。破滅の原因になりそうなものからは全力で離れる。


 十三年間、それを徹底してきた。


「ですが」


 エレノアは役人をまっすぐ見た。


「アレクシス様を害したいと思ったことなど、一度もございません」


「承知しております。今は、可能性を一つずつ確認しているだけです」


 男の声は穏やかだった。


 責められてはいない。犯人だと決めつけられてもいない。役人がしていることは正しい。


 エレノアにも、それくらい分かる。


 それなのに、妙な感覚があった。


 アレクシスの死。毒。自分が贈った茶葉。十三年前の婚約解消。そして、彼を避け続けていた自分。


 ばらばらだったものが、一本の線で結ばれていく。


 その線が向かう先は――。


(……私?)


 背筋が冷えた。


 ようやく分かった。


 自分は今、被害者の婚約者として話を聞かれているのではない。


 容疑者として、調べられている。


「ローゼンベルク公爵令嬢」


「……はい」


「申し訳ありませんが、疑いが晴れるまで王宮に留まっていただきます」


「……拘束、ということですか」


「王族殺害の嫌疑があります」


 その言葉が、重く胸へ落ちた。


「有罪となれば……?」


 聞く必要などなかった。


 それでも、聞いてしまった。


 役人は少しだけ目を伏せる。


「死罪です」


「…………」


 十三年間、たった一つのために生きてきた。


 死にたくない。


 だから悪役令嬢にならないように努力した。誰も虐げず、陥れず、傷つけず、ようやくゲームの終わりまで辿り着いた。


 なのに。


(ゲームが終わった途端に、死罪って……)


 冗談ではない。


 けれど、あまりにも出来すぎていて、笑うことすらできなかった。


 ◇ ◇ ◇


 ガチャリ。


 背後で鍵が掛かった。


 エレノアは振り返る。


 分厚い扉に、小さな窓。石造りの壁。簡素な寝台と机。


 王宮の地下にある、貴族を拘束するための区画だという。


 一般の牢獄とは異なり、清潔で最低限の調度品も整えられている。


 だが。


(牢屋は牢屋よね)


 扉には鍵が掛かっている。自由に外へ出ることはできず、見張りもいる。


 どれだけ小綺麗に整えられていても、完璧に牢屋だった。


 エレノアは寝台へ腰を下ろした。


 まだ卒業祝賀会のドレスを着ている。


 朝は学院を卒業した。


 夜には十三年間恐れていたゲームの終わりを迎えるはずだった。


 それが今では、婚約者殺しの容疑者である。


「…………」


 あまりにも落差が激しい。


「……違う」


 ぽつりと呟いた。


 ここで落ち込んでいる場合ではない。


 自分はやっていない。


 なら、必ずどこかにおかしなところがある。


 エレノアは机へ移動した。


 紙も筆記具もない。仕方なく、頭の中で整理する。


「まず、アレクシス様の体内から毒が見つかった。それから、私が贈った茶葉からも同じ毒が出た」


 ここまでは事実。


「でも、私が毒を入れていない以上、誰かが入れた」


 では、いつ?


 茶葉を買った店で?


 それでは、エレノアが購入することを事前に知っていなければならない。


 ローゼンベルク家にあった間か。王宮へ運ぶ途中か。それとも、アレクシスへ渡ったあと?


「茶葉を贈ったのは二月前……」


「二月と十一日前」


「そう。二月と十一日――」


 そこで止まった。


「…………」


 今。


 誰か、答えた。


 エレノアはゆっくり顔を上げた。


 誰もいない。


 扉の外には見張りがいるはずだが、今の声はもっと近かった。


「……気のせい?」


「違うよ」


「…………」


 今度は、はっきり聞こえた。


 しかも、聞き覚えがある。


 ありすぎる。


 エレノアは、ぎぎぎ、と音がしそうなほどゆっくり首を動かした。


 机の向かい。


 いつの間にか、一人の青年が座っていた。


 正確には。


 椅子に座ろうとして、腰から下が半分めり込んでいた。


「…………」


 金色の髪。


 深い緑の瞳。


 つい数時間前まで、隣で笑っていた顔。


「こんばんは、エレノア」


「…………」


「久しぶり――ではないね。数時間ぶりかな」


「…………」


「どうしたの?」


 エレノアは無言で立ち上がった。


 一歩、二歩と後ずさる。


「アレクシス様」


「うん」


「お亡くなりになりましたよね?」


「そうらしいね」


「…………」


「僕も驚いてる」


「私の方が驚いています!」


 思わず声がひっくり返った。


 アレクシスが目を瞬く。


「お元気そうで何よりです」


「誰のせいですか!」


「僕を殺した人じゃないかな」


「そういう意味ではありません!」


 数時間前までの重苦しい気分が、別方向へ吹き飛んだ。


 エレノアは震える指でアレクシスを指す。


「どうしているんですか!?」


「ここに?」


「この世にです!」


「ああ」


 アレクシスは自分の手を見ると、試すように机へ触れた。


 その手が、何の抵抗もなく天板を通り抜ける。


「…………」


「…………」


 二人でそれを見つめた。


「どうやら幽霊みたいだ」


「そんな軽い調子で言わないでください!」


「僕も初めてだから、どう反応すれば正解なのか分からなくて」


「幽霊に二回目があったら怖いです!」


「なるほど」


「納得しないでください!」


 アレクシスが笑った。


 その笑い方を見た瞬間、エレノアの言葉が止まった。


 同じだ。


 生きていたときと。


 少し意地が悪くて、こちらの反応を面白がる笑い方。


 もう二度と見られないと思っていた。


「……本当に、アレクシス様なのですか」


「疑ってる?」


「当然でしょう。数時間前に死亡を確認された方が、牢屋で椅子にめり込んでいるのですよ」


 アレクシスが自分の下を見る。


「本当だ」


「今気づいたのですか!?」


「座った感覚がないから」


「…………」


 幽霊とは、そういうものなのだろうか。


 知らない。知りたくもなかった。


「では、何か本人だと証明できることを」


「今日の晩餐会で、君はずっと浮かれていた」


「…………」


「理由を聞いたら秘密だと言われた」


「…………」


「それから僕を見て、突然ものすごく困った顔をした」


「ちょっと待ってください」


「たぶん僕との婚約について――」


「本人です! もう結構です!」


 間違いない。


 本人だ。


 死んでもなお、余計なところまで見ている。


 エレノアは額を押さえた。


「……どうして幽霊に?」


「分からない」


「なぜわたくしのところへ?」


「それも分からない」


「他の方にも見えるのですか?」


「見えないみたいだ。さっき何人かに話しかけたけど、全員無視した」


「それは……」


「なかなか傷つくよ」


「死んでますけどね」


「エレノア、たまに容赦ないよね」


 誰のせいだ。


 そう言おうとして、エレノアは先ほどまで考えていたことを思い出した。


「……アレクシス様」


「うん?」


「わたくし、あなたを殺したことになりそうです」


「うん。聞いた」


「…………聞いた?」


「壁を抜けられるからね」


「…………」


「便利だよ」


「勝手に事情聴取を盗み聞きしたのですか!?」


「聞こえただけだよ」


「壁を抜けて入ってきたのでしょう!?」


 アレクシスは否定しない。


 エレノアは頭を抱えたくなったが、今はそこではない。


「私が贈った茶葉から、あなたの体内にあったものと同じ毒が出たそうです」


「そうみたいだね」


「……わたくしではありません」


「うん」


 あまりにも早い返事に、エレノアは瞬きをした。


「…………はい?」


「君じゃないだろう?」


「……信じるのですか?」


「信じるよ」


「ですが、毒が出たのですよ? 私が贈った茶葉から」


「それでも」


「わたくしは十三年前、あなたとの婚約解消を願い出ています。その後だって、ずっとあなたを避けていました」


「知ってる」


「それでも?」


「それでも」


 迷いがない。


 エレノアの方が困ってしまった。


「……なぜですか」


 アレクシスは少しだけ不思議そうな顔をした。


「十三年も婚約者をやっているんだよ。君が僕を殺すような人じゃないことくらい、分かる」


「…………」


「それに、君が僕を殺すつもりなら、自分が贈ったと分かる茶葉なんて使わないだろう?」


「……私を何だと思っているのですか」


「慎重で、真面目で、考えすぎる人」


「…………」


 否定しづらい。


「だから、君じゃない」


 その言葉は、思っていた以上に胸へ刺さった。


 今日初めて、まともに息ができたような気がした。


「……ずるいです」


「何が?」


「なんでもありません」


 エレノアは顔を逸らした。


 今、泣くのは嫌だった。


 アレクシスがいるなら、なおさら。


 代わりに事件のことを考える。


「私が入れていないのなら、誰かが茶葉へ毒を入れたことになります」


「そうだね」


「問題は、いつ入れたのか」


「それと、なぜ君の茶葉を使ったのか」


 エレノアは顔を上げた。


「……私に罪を着せるため?」


「可能性はある」


 もしそうなら、アレクシスを殺すだけではない。


 犯人は最初から、エレノアまで巻き込むつもりだったことになる。


 背筋が冷たくなった。


「でも、まだ決めつけない方がいい」


「どうして?」


「君がさっき考えていただろう。僕が本当にあの紅茶で毒を飲んだのか、まだ分からない」


「……聞いていたのですか」


「途中から」


「勝手に人の独り言を聞かないでください」


「声に出していたのは君だよ」


「…………」


 そうだった。


「茶葉から毒が出た。僕の身体からも同じ毒が出た。だからといって、僕があの茶葉から毒を摂ったとは限らない」


「食事かもしれない。他の飲み物かもしれない。あるいは、それ以前に口にした何か……」


「そういうこと」


 アレクシスが楽しそうに笑った。


「やっぱり君、こういうときはちゃんと考えるんだね」


「褒めている場合ですか。あなた、殺されているのですよ」


「知ってる」


「私は死罪になるかもしれないんです」


「それも知ってる」


「でしたら、もう少し深刻そうな顔をしてください!」


「深刻だよ」


「どこがですか!」


「だって」


 アレクシスの笑みが消えた。


「僕を殺した人が、まだ分からない」


 その一言で、空気が変わった。


「僕は誰かに殺された。そして君は、その犯人にされようとしている」


 エレノアは拳を握った。


「だったら」


 アレクシスが立ち上がる。


 今度は椅子を完全にすり抜けた。


「……それ、慣れるまで時間がかかりそうですね」


「今いいところだったのに」


「気になります」


「僕も気になる」


 一度咳払いをして、アレクシスは仕切り直した。


「だったら、探そう」


「……何を?」


「僕を殺した人。それから、君に罪を着せようとしている人も」


 エレノアは彼を見つめた。


「……どうやって?」


「僕は壁を抜けられる」


「はい」


「扉も抜けられる」


「……はい」


「誰にも見えない」


「…………」


 嫌な予感がする。


 アレクシスがにっこり笑った。


「すごく便利じゃない?」


「捜査に使っていい能力なんですか、それ!?」


「駄目なの?」


「倫理的な話をしています!」


「死者にも倫理は適用されるのかな」


「そういう問題ではありません!」


 アレクシスは楽しそうに笑っている。


 エレノアは大きく息を吐いた。


 本当に、死んでも変わらない。


 まだ何も解決していない。


 自分は牢の中にいて、アレクシスは死んでいる。しかも、彼を殺した毒は自分が贈った茶葉から見つかった。


 有罪となれば死罪。


 最悪の状況だ。


 それなのに、不思議と先ほどまでの絶望感はなかった。


 一人ではないからだろうか。


「……分かりました」


「うん?」


「探しましょう」


 エレノアは立ち上がった。


「あなたを殺した、本当の犯人を。それから、私がやっていないと証明します」


 アレクシスの瞳が、わずかに細められた。


「その意気だ」


「ただし」


「ただし?」


「勝手に女性の部屋へ壁抜けするのは禁止です」


「…………」


「返事は?」


「捜査上必要な場合は?」


「禁止です」


「でも犯人が女性だったら――」


「禁止です!」


 アレクシスは肩をすくめた。


「幽霊も大変だね」


「あなたが言わないでください!」


 こうして、王子殺しの濡れ衣を着せられた令嬢と、殺されたはずの王子による奇妙な犯人捜しが始まった。

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