第十六章 最後の授業
周明遠の実験申請は、五月三日に提出された。
申請はこう書かれている。
「課題:魔力減衰速度の再現検証。
申請人:周明遠(古文化と生物学・科長)。
場所:学院北工房第三実験室。
参加者:一名。
対照計画:なし。
危険説明:本人は承知のうえ、自ら負う。」
「対照計画:なし」
この四文字を見た時、僕はただ奇妙だと思った。
研究者が「対照群なし」と書く。
僕はこの四文字を書き写し、午前中いっぱい見ていた。
正午になって、分かった。
立ち上がり、走った。
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北工房第三実験室は、学院で一番古い実験室だ。
扉は鉄。二重。間には砂が詰めてある。
着いた時、扉は閉まっていた。
観察窓には厚いガラス。内側に幕が下がっている。半分まで。
隙間から覗いた。
中は明るかった。
灯の明るさではない。白い、動かない、部屋の中に太陽が落ちたような明るさ。
周明遠は部屋の真ん中の椅子に座っていた。
いつもの灰色の袍を着て、手に筆を持ち、前には紙がある。
慌てていなかった。
書いていた。
とても落ち着いていた。
筆を上げ、墨を含ませる。
一行書き、手を止め、確認する。
また書く。
七行ほど書いた。
八行目で、筆が止まった。
動かない。
長く止まった。
そして筆を置き、顔を上げ、扉のほうを見た。
僕が外にいることを、知っていた。
彼は立ち上がり、扉まで来た。
厚いガラス越しに、僕を見た。
唇が動いた。
音は聞こえない。だが分かった。
四文字だ。
「論文を書き終えろ」
そして部屋の中央に戻り、椅子に座った。
目を閉じた。
光が白くなった。
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その後のことは、よく覚えていない。
誰かが来た。誰かが叫んでいた。扉が開かなかった。
誰かに後ろから抱えられ、長いこと抱えられていた。
一番よく覚えているのは、僕が泣かなかったことだ。
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実験室の記録帳は、翌日学院から出された。
最後の頁は、周明遠自身の字だった。
最初の六行は実験条件の記述。七行目は一つの読み値。
八行目は:
「第一四八号 魔力減衰速度 〇・〇四七」
九行目は:
「検証成立。」
それは両親の数字だった。
書き換えられたほうではない。
本物のほうだ。
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その日の午後、学院は公告を出した。
「古文化と生物学科長・周明遠教授は、第七五二年五月三日、実験中の事故により逝去
された。学院は深く哀悼の意を表する。」
「事故原因は調査中。」
調査は三日で終わり、結論はこうだった。
「実験条件が安全範囲を超えていた。責任は申請人本人にある。」
「他に責を問わない。」
僕は研究室でこの数行を何度も読んだ。
そして分かった。
「対照計画:なし」
この四文字は、彼が自分に書いた遺書だった。
対照群があれば、他人が再現できる。
他人が再現すれば、誰かが続きをやる。
彼は再現させたくなかった。
彼がやろうとしたのは実験じゃない。
彼が作ろうとしたのは証拠だ。
自分の命で作った、誰にも否定できない証拠。
彼は自分を、第一号の標本にした。




