↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、王宮のお仕事はお返しします。引き継ぎは完璧ですが、私の人生までお任せするつもりはありません!  作者: ころもぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/21

第8話 優秀な人ほど休むのが下手

 北部の支援施設への輸送が予定どおり進み始めてから、財団の事務室には少しだけ余裕が生まれていた。


 大きな問題が解決したわけではないが、関係者の認識が揃い、それぞれの担当者が仕事を進められるようになったことで、余計な確認が減ったのだ。


 セシルはその変化を、少し不思議な気持ちで眺めていた。


 自分が仕事を増やした時よりも、担当者同士で話し合ってもらった後の方が、全体の進み方がよくなっている。


 以前なら考えられなかったことだった。


「アーデンさん、こちらの書類を確認していただけますか」


 隣の席の職員が声をかけた。


「はい。どちらでしょう」


「来月の支援物資の配分表です。数字の合計が合っているかだけ見ていただければ」


「分かりました」


 セシルは書類を受け取り、項目ごとに数字を確認した。


 合計に問題はない。


 以前なら、配分先の事情まで一通り確認していただろう。しかし今回は、依頼された範囲にとどめた。


「計算に間違いはありません。こちらでよろしいと思います」


「ありがとうございます」


 職員は嬉しそうに書類を受け取った。


 セシルは、その姿を見ながら少し笑った。


 仕事を任せることにも、ようやく慣れてきたのかもしれない。


 ただし、ひとつだけ問題が残っていた。


 自分自身の休み方である。


 財団では、決められた時間に仕事を終え、休日には原則として出勤しないことになっていた。


 最初はその規則に驚いた。


 王宮では、急な公務や行事が入れば予定を変更することが珍しくなかった。休みの日でも、連絡が届けば対応することがあった。


 けれど、ここでは本当に仕事を終えて帰る。


 そのことに慣れるまで、セシルは何度も机の上を確認し直していた。


「アーデンさん、もうお帰りにならないのですか」


 夕方、隣の職員に尋ねられて、セシルは時計を見た。


 終業時刻は、すでに過ぎている。


「もう少しだけ、明日の準備をしておこうと思いまして」


「明日は休日ですよ」


「……そうでした」


 セシルは手元の書類を見下ろした。


 明日は財団が休みの日だった。


 仕事をしてはいけないわけではないが、急ぐ必要もない。


「お疲れ様でした。私は先に失礼しますね」


「はい。お疲れ様でした」


 職員が帰っていくのを見送り、セシルも書類を片づけ始めた。


 机の引き出しを閉めると、急にすることがなくなったような気がした。


 明日は何をしよう。


 王宮を辞めた翌日に一日休んだことはある。


 しかし、その時も結局は今後の仕事について考えていた。


 完全に何もしない日を過ごすのは、どうにも苦手だった。


 建物を出ると、夕方の空気は少し冷たかった。


 街路樹の葉が色づき始め、通りには仕事を終えた人々が行き交っている。


 セシルはいつもの帰り道を歩きながら、近くの店先に並ぶ品物を眺めた。


 花屋には季節の花が飾られ、菓子店からは甘い香りが漂ってくる。


 どの店も気になる。


 けれど、何を買いたいのかと聞かれると、すぐには思いつかない。


「アーデン嬢」


 聞き覚えのある声に振り返ると、ルシアンが歩いてきた。


 今日は外交局からの帰りらしく、手には書類の入った鞄を持っている。


「ヴェルナー様。お疲れ様です」


「お疲れ様です。今日はお仕事が早く終わったのですね」


「はい。明日がお休みなので、少し早めに帰ることになりました」


「それはよかった」


 ルシアンはそう言って、セシルの手元を見た。


「また書類を持ち帰っているのではありませんか」


「持っておりません」


 セシルは少し得意げに答えた。


「今日は、明日の仕事の準備も途中でやめてきました」


「それは大きな進歩ですね」


「……子どもを褒めるような言い方ではありませんか」


「失礼しました。ですが、本当にそう思っていますよ」


 ルシアンの口元が少し緩んだ。


 セシルもつられて笑った。


「ところで、明日は何をなさる予定ですか」


「それが、まだ決まっておりません」


「おや。珍しいですね」


「ええ。予定を立てるのは得意なはずなのですが、自分の休日となると何をしてよいのか分からなくて」


 ルシアンは少し考えた。


「では、街を歩いてみてはいかがですか」


「街を、ですか?」


「はい。この辺りには古い書店もありますし、季節の菓子を売る店もあります。何かを買わなくても、眺めるだけで楽しめると思いますよ」


「なるほど……」


 セシルは真面目に頷いた。


「では、まず訪れる店を決めて、順番に回る予定を立てた方がよいでしょうか」


 ルシアンは一瞬、返事をしなかった。


 それから、少し困ったように笑った。


「アーデン嬢。休日の散歩に、そこまで綿密な計画は必要ありません」


「……そうでしょうか」


「むしろ、気になった店に入るくらいでよいと思います」


 セシルは考え込んだ。


 気になった店に入る。


 それだけのことなのに、何か大切な準備を忘れているような気がする。


「私、予定を決めてから動くことに慣れすぎているのかもしれません」


「そうですね」


 ルシアンはあっさり認めた。


「ただ、人のことを言える立場ではありません」


「ヴェルナー様も、ですか?」


「ええ。休日に何もしないで過ごすのは、私も苦手です」


 セシルは驚いて顔を上げた。


「いつも余裕があるように見えますのに」


「余裕があるように見えるだけですよ。実際は、仕事のことを考えている時間も多いです」


「そうなのですね」


「ですから、休日の過ごし方については、私も偉そうなことを言えません」


 ルシアンは少し恥ずかしそうに笑った。


 その表情が、仕事中の彼とは違って見えた。


 セシルは、以前から聞いてみたかったことを思い出した。


「あの、ヴェルナー様。以前、お仕事で失敗なさったことがあるとおっしゃっていましたね」


「ああ、あの話ですか」


「もし差し支えなければ、伺ってもよろしいでしょうか」


 ルシアンは少し迷ったようだったが、やがて頷いた。


「昔、私がまだ外交局に入ったばかりの頃のことです」


 彼は歩きながら話し始めた。


「初めて任された使節団の受け入れで、私はすべての準備を自分で確認しようとしました。会場、宿泊先、移動手段、食事の手配まで、担当部署があるにもかかわらず細かく口を出したのです」


「……私にも覚えがあります」


「でしょうね」


 ルシアンは笑った。


「結果として、私は仕事を抱え込みすぎて、当日の重要な連絡を見落としました。担当者からの報告も、私の確認待ちで止まっていたのです」


「大変だったのですね」


「ええ。幸い大きな事故にはなりませんでしたが、上司から厳しく叱られました」


 セシルは思わず尋ねた。


「その時、どのように立て直されたのですか」


「自分がすべてを管理するのをやめました。担当者を信じ、必要な情報を共有する仕組みに変えたのです」


 ルシアンはセシルを見た。


「あなたに偉そうなことを言っているのは、同じ失敗をしたからでもあります」


 セシルはしばらく黙っていた。


 ルシアンが仕事に厳しい理由を、少しだけ理解できた気がした。


 彼は最初から何でもできたわけではない。


 失敗して、それを認め、やり方を変えてきたのだ。


「……ありがとうございます」


「何がですか?」


「お話を聞かせていただいて、少し安心しました」


「安心?」


「私だけが、仕事の進め方を変えられずにいるのかと思っていたので」


 ルシアンは穏やかに微笑んだ。


「最初からうまくできる人の方が、少ないと思いますよ」


 二人は通りの分かれ道まで歩いた。


 セシルの借家は右手、ルシアンの帰宅先は左手の通りにある。


「では、私はここで」


「はい。お気をつけて」


 別れようとして、セシルはふと思いついた。


「ヴェルナー様」


「はい?」


「もし、明日お時間がございましたら……」


 言いかけて、セシルは少し迷った。


 仕事以外の用事で人を誘うことに、まだ慣れていない。


「いえ、何でもありません」


 ルシアンは不思議そうに首を傾げたが、無理に続きを尋ねることはなかった。


「では、よい休日を」


「ヴェルナー様も」


 セシルは一礼し、家へ向かった。


 部屋へ戻ると、机の上に手帳が置いてあった。


 明日の欄は空白のままだ。


 セシルはしばらくそのページを眺めてから、筆を取った。


『気になった店に入る』


 それだけを書き込んで、手帳を閉じた。


 細かな予定は、決めないことにした。


 明日、街を歩いてみれば、何か面白いものが見つかるかもしれない。


 そう考えると、休日が少し楽しみになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。