第8章 轍
師走十七日。昼の鐘が鳴ってしばらく経った頃、一行は三里塚の北の街道を北へ進んでいた。小雪は朝からやまず、風が道の雪を削って、歩くたびに靴の裏が氷を鳴らした。そりの綱を引く荷馬が、白い息を吐いていた。
朝見つけた西向きの引きずりの溝は、もう遠くへ置いてきた。ここには別のものがある。
髭の端に氷の粒のついたダリオが先頭で歩き、列の中ほどをリナが杖を肩に担いで追う。フィンは荷馬の綱を引き、ケスは枯木の枝先に止まっては北の空を見ていた。ガズは列の後ろで、尻尾をゆっくり振りながら歩いていた。
ダリオの先頭の靴が、薄い雪の下の硬い畝に引っかかった。
「おい」と、短く声を上げて立ち止まる。
しゃがんで雪を払う。深い溝が、道に沿って南北に走っていた。轍だ。荷車の車輪の跡が二筋、ところどころで三筋に重なっている。縁には氷の殻がかぶり、溝の底には三、四日前の雪が半分ほど沈んでいた。溝の縁はところどころ崩れ、風が掘った細かい皺が氷の中に刻まれていた。
「帰りの轍だ」ダリオは言った。「北から来て、南へ下ってる。行きと帰りで、同じ轍を踏んでるな。車輪の重みで、二筋にまとまってる」
朝の溝とは違った。溝は片側だけ深く、車輪の跡を欠いていた。こちらには車輪の跡がある。
ダリオは剣の柄の端で轍の底を突き、氷の下の硬さを確かめた。轍に沿って十歩ほど歩くと、溝の底に馬の蹄の跡が点々と残っていた。凍って縁は崩れているが、蹄鉄の爪の跡は読めた。
「馬も通ってる」
背後の枯木の上から、ケスが降りてきた。羽を閉じ、雪の上に音もなく着地する。
「轍は北へも南へも続いてる。ただ一か所、道の西の茂みへ外れてる」
フィンが轍の縁にしゃがみ、指先で雪の沈みをなぞった。
「溝の底の雪が、三、四日前のものに見えます。隊商が消えたのは、二週間前ですよ」
「轍の底は風が当たらん」ダリオは言った。「道の上の雪は三日で飛ばされても、溝の中の雪は残る。二週間前の轍でも、こうなる」
「三台の荷車だ」ベルントが言った。話す前に、荷の紐を触った。「轍が二筋でも、三台ぶんかもしれない。うちの隊商は……」
言いかけて、口を閉じた。彼の指が、何もない空中で紐を巻く動作を繰り返した。
「行こう」ダリオは立ち上がった。「轍が道を外れてる」
*
轍が西へ外れた先は、棘草に囲まれた浅い窪地だった。押し倒された棘草の間に、踏み固められた雪の平地が広がっている。石を丸く並べた焚き火の跡が一つ、炭の芯が雪の下で黒く光っていた。荷馬が鼻を鳴らし、不安そうに前足で地面を掻いた。
荷が散らばっていた。留め紐の切れた背負い籠が一つ、麻袋が二つ。綱の束が一巻き。麻袋の一つは破れていて、白い粒が雪に流れ出していた。もう一つの袋は口を閉じたまま雪に半分埋もれ、木箱が一つ、蓋が外れて中身が抜けていた。箱の底に、藁の屑が凍りついていた。誰かが、中身だけを持っていった形だった。
「塩だ」ベルントが破れた袋の口を拾い、指ですくって舐めた。「粗挽きの。雪に混ざって、もう集められん」
彼は袋を雪の上に置き、あたりを見回した。
「うちの荷じゃない」
声は平坦だった。平坦すぎるくらいだった。彼は懐から手帳を取り出し、ぱらぱらとめくり、すぐに閉じた。何も書き込まずに。
籠のそばに、銅の鍋が転がっていた。底に穴があき、取っ手がへし折れて雪に刺さっている。
リナが鍋を拾い上げた。
「壊れてますね」
「値踏みしてどうする」
「銅貨三枚、といったところです。いや、穴が大きいから二枚。取っ手も折れてるから一枚。……もう、誰も買いませんね」
「拾うな」
「癖です。……直せば、まだ使えるかもしれません」
「触れば、穴が二つに増えるぞ」
リナは名残惜しそうに鍋を置いた。雪の上で、からん、と鳴った。
ダリオは剣の柄で踏み固められた雪を突き、二、三か所確かめた。氷だけだった。あちこちに裂けて、下の氷を見せている。血はなかった。死体も、荷車も、一台もなかった。大勢の人が歩いた跡だけが、凍った平地になって残っていた。焚き火の石は一つも転がっていなかった。慌てて逃げ出したのなら、石は散らばるはずだ。
「荷車が、三台ともない」ベルントが言った。
「轍は乱れて、茂みに突っ込んで止まってる。それ以上は、雪が飲んでる」
「血がないなら……まあ、いい」
ベルントはそれ以上、何も言わなかった。ただ、荷の紐を触る手が、止まっていた。
ガズが窪地の縁まで歩き、尻尾をゆっくり振った。
「火の芯は冷えてる。ずいぶん前の火だ。近くに熱いのは、馬と俺たちだけだ」
人は雪に消え、荷だけが凍った平地に残っていた。
*
風が西から強くなり、雪の粒が横に飛び始めた。
「まず進路だ」フィンが灰色の外套の襟を立てて言った。「参事会の指図は、徴税役の迎えと帳簿の護送だ。ここに用はない。北へ行くべきだ」
「もう少し、この附近を調べたい」ベルントが言った。また、荷の紐を触った。「荷の勘定が……」
言いかけて、別のことを言った。
「人が逃げたなら、どこへ行った。跡もない。血もない。荷だけが残ってる。金なら足すが」
「金の問題じゃない。空の問題だ」ダリオは西を見た。「二週間前の雪だ。跡は残らん。連れて行かれたのか、歩いて逃げたのか、それも分からん。だが、ここに人はいない」
「年明けまでに、帳簿と税を街へ戻さねばなりません」フィンが言った。「雪が積もるほど、探す場所は増える」
「ここで夜を明かすのは嫌です」リナが言った。父親の杖を握りしめていた。「この前の夜、聞こえた音、覚えてます?」
「覚えてる。だから、移動する」
「……分かった。ただし」ベルントが言った。「帰りにまた、この場所を通る」
「帰りには、雪がもっと積もってる」
「それでも、だ」
「北へ行く。ケス、吹雪の前に野営の場所を探せ」
ケスは返事のかわりに、背の高い枯木をよじ登っていった。
風待ちのあいだ、フィンが干し肉を懐から出した。凍っていて歯が立たない。彼はそれを両手で挟み、息を吹きかけた。
「あの雲、魚に似てませんか」リナが言った。
「尾だけの魚だな」フィンが肉を齧りながら言った。「頭がない」
「頭は、あの低い雲の向こうです」
「じゃあ、頭だけ海の向こうだ」
ガズが首をかしげた。
「雲に熱はない。俺には、灰色の板にしか見えん。熱のない板だ」
やがてケスが降りてきて、枯木の並びの北の先、一里ほど先に雪の浅い窪みがあると告げた。ダリオは壊れた鍋の取っ手を引き抜き、焚き火の跡のそばの棘草に差した。
「鍋が目印とは」リナが言った。「銅貨一枚の、一本立ちです」
「役に立てば、いいんだ。帰りにここへ寄ることになったら、雪の中で探す手間が減る」
一行は轍を離れ、街道の北へ歩き出した。荷馬の蹄が凍った道を高く鳴らす。小雪は少しずつ重くなり、袖の上に積もるようになっていた。
ダリオは最後に、窪地を振り返って足を止めた。
焚き火の跡から十歩ほど西、踏み固められた雪の縁に、足跡が一列、並んでいた。
一人ぶん。一行のものでも、轍の主のものでもない。西から来て、捨て荷のそばで立ち止まり、西へ帰ってゆく。跡の底の雪は、まだ締まっていなかった。
「昨夜か、今朝だ」ダリオは言った。
「誰が?」リナが振り返った。
「さあな」
小雪が、浅い足跡を、ゆっくりと埋め始めていた。




